序章 経済学における富および目的概念
1 古典派経済学における富概念
 経済学とは社会的な富(Wealth)に関する知識体系である。そして富とは豊かさの指標となり得るものであり、したがって、また経済学は豊かな社会をきずくことを目的としている傾向的な学問である。たとえ経済現象に認識可能な客観的な法則というものが存在したとしても、確かにその理論的把握は決定的な重要性を持つだろうが、経済学の目的性から言えば、それはあくまでも手段なのである。経済学がこれまで存在し続け、また一つの学問として今日認知されているのは、この学問の持っているこの目的に対する社会的な共感が存在してきたからに他ならない。さらにそれは、経済学がかかげている富の概念そのものに対する社会的な共感であった。しかし、現代は経済学を支えてきた社会の豊かさそのものに対する確信が揺らいでいる時代でもある。それはまた、今日の経済学が意識的に、あるいは暗黙のうちにかかげている富の概念そのものに対する不信でもある。本書の主題はこの経済学と富概念との緊張関係の分析に他ならない。
 経済学を規定するものとしての富の重要性を最も深く認識していた経済学者は、
他ならぬアダム・スミスである。スミスは、『諸国民の富』の中で「経済学は人民と主権者の双方を富ますことを目的にしている」<1>と明快に述べている。そしてスミスを中心とする古典派経済学者<2>は、こうした富との関係における経済学の目的をはっきりと意識したという点で、その後のいかなる時代の経済学にもない特徴を持っていた。スミスは、財貨の生産過程が社会的な規模で再編されたもとでの、それ以前の、金、銀のみを富の対象と考えた重商主義的な体系、農業部門だけが富に関して生産的だと考え、その剰余をして富と考えた重農主義的な体系が克服し、今日の経済学に通ずるような富の概念が確立したのであった。スミスのとらえた富とは、経済の持続的な成長を可能にする社会的な純生産物あるいは国民所得であった。スミスが『諸国民の富』の中で繰り返している「実質的富、すなわち土地および労働の年々の生産物」とは、このように理解することが、彼の体系の本質を把握し、全体の整合性を確保する上で決定的に重要である。そして、この富の概念はマルクスの経済学を除くその後の経済学において、意識されるかされないかにかかわらず、理論の前提となった富の概念である。したがって、それらの経済学はスミスによって提示された富の概念のもとに一つのパラダイムを形成するものとなっている。
 しかし、実際にはスミス以後の経済学が、時を経るにしたがって自らの富の概念を意識しなくなり、結果としてそれを相対的に把握することがなくなっていった。リカードはスミスの富のパラダイムの展開において重要な役割を果たした、古典派の中のもっともすぐれた経済学者の一人であるが、彼自身は「分配を左右する法則を決定することが、経済学における主要問題である」<3>として、富の問題を意識的に経済学の直接の対象とはしなかった。リカードは、マルサスに当てた手紙の中で、二人の間の論争における立場の違いについて、次のように述べている。
 「経済学は、富の性質および原因の研究であるとあなたはお考えです私は
それはむしろ勤労の生産物の形成に協力する諸階級のあいだへのその生産物の分配を決定する法則の研究と呼ばれるべきだと思います」<4>
 そうであるならば、なぜここではリカードもまたスミスの富の体系のもとでの経済学者とみなすかが問題となろう。もし、リカードの体系がスミスとは異なった富を前提にしていたとなれば、今日に存する多くの経済学の分野においてもまた、そのようなものとしてとらえることができるであろうから、現代経済学と富に関する先の主張がなんら有効性を持たなくなる。しかし、現実にはスミスの富の体系とリカードの分配理論の体系とは深い関連を持っているのである。リカードが問題にした分配というのは、商品としての財貨の交換による分配であり、したがってなんらかの全体的な計画性のもとに遂行される分配ではない。交換による分配では、それらの増加がどのような比率で行なわれるかが問題となる。というより、結局は社会的な分配はその交換比率によって決定されるのである。もともと、分配という概念には総価値の分配という意味が含まれている。したがって、リカードの理論は財貨の交換比率の体系、すなわち価格体系を決定するものに他ならないのである。そして、その価格体系は次の章でより精密に明らかにされるように、富の概念と表裏一体の関係を持つものとしてとらえることができるのである。すなわち、富という社会的な目的因が設定された相互依存体系において、その目的から派生する評価体系、帰属価値の体系なのである。
 リカードが富の問題を重視していると指摘したマルサスは、確かに経済学における富の概念の重要性を明確に認識していた経済学者である。すなわち彼は、重農主義者からスミスへの転換を富の概念の変遷としてとらえて、その重要性を強調していた。
 「エコノミストやアダム・スミスの著作によって、この主題が科学へと引き上げられるやいなや、名高い分裂が、かなりの期間にわたって、富とはなんであるか?またそれはどんな源泉または諸源泉からえられるのか? という根本的疑問について、この新しい知識領域の学徒たちを二派にわけたのである。・・・・エコノミストとアダム・スミスとの見解の違いはたんに理論上の違いではなかった。それは実践にはなんの影響も与えない、同じ現象についての違った説明ではなかった。そうではなくて、それは、もし採用されるならば、ほとんどすべての国において、特に課税(Taxation)というきわめて重要な問題について、実際上の大変化をもたらしたにちがいないような、富の性質および起源とについての見解を含んでいた」<5>
 また彼は、富を定義することの困難性も同時に認識していた。
 「経済学者のあいだに見解のくいちがいを引き起こしている諸命題のうち、富の定義はきわめて注目すべきものである。このくいちがいは、もし定義がはっきりしてやさしいものであったとすれば、けっしておこりえなかったであろう。しかし、実際上は、多少でも反対をうけないような一つの定義を定立することは、この問題を考えれば考えるほど、不可能ではないにしても、困難であるように思われる」<6>
 しかし、結果として彼が定式化した富は、理論的な明快性を欠いたものとなっている。すなわち彼は、「富をもって、人類に必要で、有用な、または快い物質物(material objects)である、と定義」しているのであるが、この定義自体初めに述べたスミスの考えていたものと比較して曖昧なものとなっていることは明かであるし、また、彼自身の経済学の体系との関連も、つかみがたいものとなっている。マルサスがこの定義を採用したのは、スミスの富の定義では、人間にとってなんの役にもたたない土地、自然の生産物も富に含まれてしまうという理由であった。これはスミスの富の定義をマルサス自身がよく把握していなかったことの証でもある。スミスの定義の重要性は、それが社会的な再生産過程との関係で定義されているところにあり、結果として、マルサスのは生産との関係を曖昧にしたことによって、富概念を後退させているのである。
 その後、たとえば、J.S.ミルにおいては、このマルサスの定義にさらに、富の必要な内容として、それが労働あるいはなんらかの犠牲において生産されることを条件とした折衷的なものとなっている。
 「いわく、富とは、交換価値を有するあらゆる有用または快適なるものであると。あるいは、富とは、労働または犠牲なしに欲するままの量において得られるもの以外のあらゆる有用または快適なものであると」<7>
 しかし、こうしたさまざまのスミスの富概念の類似物を検討するよりも、われわれにとっては、ここでマルサスの定義のような生産過程から遊離してしまったような富の定義が、なぜ問題なのかを検討することがはるかに意味ある作業であろう。スミスにおいて、富の概念の大きな転換がはかられたことを認識するならば、当然そこでは、重農主義者の富とスミスの富とかいったような形で、それぞれの富概念の特殊性をみることになり、さらに一般的な意味での富はその不可欠な内容としてどのようなものを持っているかが問題にしなければならない。
2 ケインズの「豊かさのパラドクス」
 スミスの富の体系は、資本制の本質を端的に反映させたものであるが故に、その後の経済学が、経済の発展とともに、その富の規定を問い直す必要を経済学者に感じさせなかったということができる。その富概念は、近似的なものではあるが現代においては持続的に増大するGNP(国民総生産)に最もよく代表させられている。またそれから資本減耗分も差し引いた、実質純国民生産は、それがあらわそうとしている対象において、スミスの富の概念と内容的にも強い親近性があるのである。それは、個々の企業が、あるいは労働者なりが直接にそれの増大をめざしているのではないことは明かである。しかし、それはこれまで一貫して一国の豊かさを表わす指標と考えられてきて、また先進資本主義国においては、以前の高度成長を実現してきた時代において、実質GNPの増大とともに生活水準の向上が一般的には行なわれてきたのである。しかし、今日この富の指標としての実質GNPは二重の危機にさらされている。第一に、生態主義の立場からばかりでなくより一般的な観点からもGNPが真の富の指標として意味ある概念かと、理論的に問われてているとともに、第二には、現実の経済がその高度な成長を実現できなくなっているということである。これらはもう一度、富の概念を相対化してとらえ直そうという契機となっている。
 この点に関しては、ケインズの主張をとり上げなければならない。ケインズは、『一般理論』の中で、豊かさのパラドクスについて述べている。
 「社会が豊かになればなるほど、現実の生産と潜在的な生産とのあいだの差はますます拡大する傾向にあり、したがって経済体系の欠陥はますます明白かつ深刻なものとなる。なぜなら、貧しい社会はその産出量のきわめて大きな割合を消費する傾向にあり、したがって完全雇用の状態を実現するにはごくわずかな程度の投資で十分であるが、他方、豊かな社会はその社会の豊かな人々の貯蓄性向がその貧しい人々の雇用と両立するためには、いっそう豊富な投資機会を発見しなければならないからである。潜在的に豊かな社会において投資誘因が弱い場合には、その潜在的な富にもかかわらず、有効需要の原理の作用によって社会は現実の産出量の減少を余儀なくされ、ついには、その潜在的な富にもかかわらず、社会はきわめて貧しくなり、消費を越える余剰は投資誘因の弱さに対応するところまで減少することになる」<8>
 ここで、ケインズは、スミス的な富そのものについて異議を唱えているのではない。そうではなく、その富の追求が逆説的な形で貧困をもたらす可能性を指摘することによって、その意味を問いなおす契機を提供しているとみなければならない。ケインズの有効需要不足による産出量の減少あるいは失業の増大という命題は、すでにマルサスの『経済学原理』の中にはっきりとあらわれているのであり、むしろケインズとマルサスを分かつ重要な側面は、こうした富の追求、社会の豊かさとの関連で有効需要問題を位置づけているか否かにある。スミスにおいては、その社会的な富は「見えざる手」という論理装置の助けをかりざるをえなかったものの、社会的な再生産過程において結果的には目的として追求されていくものであり、またいくべきものであった。それはまた資本制の正当性に対する確信に裏付けられたものでもあった。ケインズのここでの主張は、この立場に対するアンチテーゼとしての性格をはっきりともっている。すなわち豊かさそのものが豊かさを阻害する可能性を持っていると指摘しているのである<9>。マルサスと、このケインズとの認識の差は、同時にその間の経済の発展段階の差の表れでもあった。ケインズには、その理論の裏付けとして明確な歴史認識を持っていたことに注目しなければならない。それは『一般理論』に先立つ時代にかかれた短いパンフレットの中に表れている。そこでケインズは次のように主張しているのである。
 「私の結論は次のようなものである。すなわち、重大な戦争と顕著な人口の増大がないものとすれば、経済問題は100年以内に解決されるか、あるいは解決のめ
どがつくということである。これは、経済問題が将来を見通すかぎり人類
の恒久的な問題ではないことを意味する。これが、なぜ驚くべきことなのかと諸君
は問うかも知れない。それが驚きであるのは未来ではなく過去を考えるならば
経済問題、すなわち生存のための闘争がこれまで常に、人類にとってただ
単に人類だけでなく、最も原初的な形態の生命の始源以来、生物界全体にとって 第一義的なもっとも切迫した問題であったからである。・・・・・・しかし、この豊かな時代が到来したときに、その豊かさを享受できるのは、活力を維持することができて、生活術そのものをより完璧なものに洗練し、生活手段のために自らを売り渡すことのないような国民であろう。
 しかし余暇の時代、豊かな時代を、不安感を抱くことなしに期待できるというような国もなければ国民もないと、私は考えている。なぜならば、われわれは余りに長いこと楽しむようにではなく、懸命に努力するように訓練されてきているからである」<10>
ケインズは、半世紀以上も前の当時においてすら近い将来に人類が経験したことのないような豊かな時代に行き着くことを予言していた。そこでは、もちろん、富の蓄積が人々の経済的な目的ではなくなっている。そして、これにつづく文章で、その社会においては、生活様式にも、道徳律にも大きな変化がもたらされると指摘している。ケインズには、このように豊かな時代における経済の問題が一つの重要なテーマとして存在していたのである。こうした、スミス的な富の概念そのものを反省する契機を与えているケインズの主張は、その後ガルブレイスの『ゆたかな社会』などに受け継がれていくことになるのである。<11>
 現代の理論経済学の主要な分野であるマクロ経済学は、『一般理論』をその源流としているのであるが、こうしたケインズの理論の中にある側面を無視したまま、その有効需要にかかわる理論的な枠組みを引き継ぐことにのみ執着している。また、理論経済学全体が、富を問題にすることがなくなってしまっているのである。それはまた、スミスの富の概念が社会に十分に浸透していることの反映でもあるだろう。人々の生産の様式、労働の様式そして生活の様式に至るまで、直接の関連が十分に理解されていなくても、スミスの富と整合的なものに組織されているのである。理論経済学はその結果として、その理論の重要性を判断する基準を喪失してしまっている。理論経済学は自らの理論の性格を、富とか社会的な目的にとらわれることのない、経済的諸変量間の相互依存関係の「客観的な」分析をその内容として考えているのである。一つの理論は、その論理的な整合性については厳格な判定が下されるが、なんらかの価値判断を必要とするような評価は重視されないのである。というのも、価値判断を加える際の前提となるべき、その経済学が対象とする基準概念である、富の問題が意識されていないからである。意識されていないということは、それから独立していることではない。そこにおいても、支配的な富の概念であるスミスの富の概念は常に生き続けているのである。これについては、現実性という基準があるではないかと、問われるかもしれない。すなわち、ある理論の評価は、現実性という基準によっても与えられると考えるかもしれない。実際、理論の妥当性の検証を一つの中心任務としている計量経済学というものが存在している。理論を、計測可能なモデルによって表現し、それを統計的なデータにもとづいて計量経済学的な分析を加えることによって、その妥当性を検証するということが、実際行なわれている。しかし、よく知られているように計量経済学が想定している仮定は余りにも強いものであって、それを理論の検証に採用することは誤りと考えざるをえないのである。しかし、それが計量経済学そのものの意義を否定することであってならない。実際、なんらかの経済変量の現実の数量が近似値として求められる場合、その一つを与えるものとしてのその分析手法は意味あるものである。したがって、スミスの富が支配的な経済のもとでは、一つの理論を完全に評価するための方法は、客観的には存在しえない。そこでは、ただ、スミス的な富とのあいだにいかなる関連を持つかが唯一評価の基準となりうる。したがって、それは首尾一貫した客観性を持つものではなく、目的論的性格を持たざるをえないのである。<12>
 ここで、富という概念のもう一つの側面を検討しよう。それは、希少性との関係である。スミスの富の概念は、それが社会的な再生産過程と結びつけられながら定義されていることによって、それが同時に希少性を持っているものであることは明かである。但し、その場合の希少性は生産されなければそれをえることができないという意味でのそれである。したがって、生産が行なわれればいくらでも増大させることができるとか、その場合にもなんらかの制限が加わるとかはなんら問題になっていないのである。通常の状態で、もし人々が欲するのを十分にまかなうことができるくらいに多量に存在するものは、決して富とみられることはないだろう。もちろんそれも、一国の国民とかいった特定の主体に結びつけれれている、相対的なものであるから、ある主体にとってはなんら富とはいえないくらいに多量に存在しても、他の主体にとっては希少であり、富であるということは十分に起こりうることである。スミスの富概念は、経済が人口とは人々の必要、欲望と行ったものとの関連で、十分に成長してしまった場合、その生命力を喪失してしまうだろう。それも、一つの希少性の喪失ととらえることができる。ケインズが予想したのは、そうしたスミスの富概念から希少性が失われ、その概念そのものもが意味を持たなくなる時代である。そのとき、ケインズのいうような「経済問題の解決」が行なわれるであろうか。これに対してはわれわれは、明確に否と答える。少なくとも、スミスの富に代わる次の富の考え方が支配的なものとなって行き、古いものを一掃するだろう。実際、われわれは、その代替的な富概念までは、本文において提示し、それを理論経済学の手法で分析することになるだろう。もちろん、その富のもとでの経済の再生産過程の表れ方は、スミスのものとは大きく違ったものになっているだろう。また、しかし、その富の概念も生命力を喪失し、さらに次の富の概念が表れることも十分に考えられる。そうした、富の概念が変遷して行く過程で、経済学の性格も大きく変わらざるをえない。おそらくその過程で、少なくともスミスが背負い込んだ富の概念をめぐる矛盾、すなわち社会的な富と個別的な富の間の矛盾は解決されて行くだろう。さらに、人間の自然を支配し、コントロールする力が高まっていく過程で、人間が必要とし、また欲するところのものすべてが、完全に希少性を喪失するところまではいかないにしても、それらの希少性がとるに足らない、Trivialな問題になってしまうことがあるだろう。そのときは、まさに経済学が知識の博物館に葬りさられるときであり、ケインズのいう「経済問題が解決」されるときである。
3 古典派経済学と理論経済学
 次章以降において展開される理論は、応用理論ではない。理論経済学における原理的なところがテーマとなっている。そしてそれは、基本的に、スミス、リカードを中心にした古典派経済学の基本的概念をめぐって行なわれる。古典派経済学が、そのもっとも健全な部分で、全体として目指していたものは、この資本制経済の発展に関する基本的なビジョンを作り上げることであった。そして、その発展は富の増大を意味している。また彼らは、ただあるがままに経済の現実を描写しようとしたのではなく、こうした基本概念を用いることによって、理論的に再構成しようとしたのである。
 「彼ら(古典派経済学者)は特に経済生活の運行の中に思考的な秩序と明確性を与え、これによって初めてその根本諸過程を原理的に理解しようとした」<13>
 そして彼らは、一時的な、短期的な現象ではなく、資本制経済の長期的な運動に主に目を向けた。したがって、彼らの理論は、資本制経済はその内部的な制約によって行き詰まることはないのかといった、長期的なビジョンの構築にかかわるものが非常に多いのである。われわれは、こうした古典派経済学のビジョンを現代的な分析用具を用いて精密に把握し、彼らの基本ビジョンを再検討していかなければならない。現代の理論経済学の出発点は古典派経済学にあり、またその枠組みに決定的に依存しているのである。
 さらに、われわれはまた古典派の世界そのままにとどまることはできない。古典派経済学以降、経済学がその理論の分野においても大きく発展してきたことは間違いない。確かに、その発展方向の多様性と内容の深さから、その全体が整合的なものではない。理論の間に深刻な相違が存在するからこそ、さまざまな経済学派が共存しているのである。以下の章でわれわれが検討するのは、そうした古典派以後発展してきた理論経済学の全体では決してない。そうではなく、古典派経済学にとっての基本的な概念、すなわち、価値、成長、分配の概念に直接か変わっている側面である。現代の理論経済学そうした側面のうちには、古典派経済学者がとらえていたそれらの基本概念の内容と、必ずしも完全な整合性をもち得ないもの、あるいはそれらの概念、理論をどうしても発展させなければならないもの、あるいは古典派経済学者がその射程にとらえられなかったそれらの理論の発展、そうしたものを集約的に検討しているだけである。しかし、それはまた経済学全体に新たな視角を提供するものであると確信する。
脚注
<1>スミス(1776)、、p.5。
<2>本書で一貫して用いる古典派経済学という用語の範囲は、J.S.ミルにいたる経済学者とともに、K.マルクスも含めることにしている。
<3>リカード(1817)、p.5。
<4>リカード(1821)、p.312。
<5>マルサス(1820)、p.20。「エコノミスト」は重農主義者をさす。
<6>同、p.25。
<7>ミル(1871)、p.44。
<8>ケインズ(1936)、p.31。
<9>飛躍と思われるかも知れないが、こうしたケインズの主張と同様なものに、ヘーゲルの議論がある。ヘーゲルは貧困を救済するために公的福祉を行なうことが「市民社会の原理に、すなわち市民社会の諸個人の自主独立と誇りの感情という原理に反する」と述べ、また、彼らに労働の機会を与えると、生産物の量が増え消費に対する生産が過剰になるという「禍の本質」があらわれると指摘している。後者は、ヘーゲル流の有効重要問題の把握に他ならないが、前者においてもこの禍は増大するととらえた上で、次のように結論する。
 「ここにおいて、市民社会が富の過剰にもかかわらず十分には富んでいないことが、すなわち貧困の過剰と賎民の出現を防止するにたるほどもちまえの資産を具えてはいないことが暴露される」、(ヘーゲル(1821)、p.470、強調はヘーゲルによるもの)。
 この主張は、富の過剰と貧困の併存という矛盾した状況(これをヘーゲルは市民社会の弁証法と呼んでいる)の指摘という点でケインズと共通するところがあることは認められるだろう。しかし、両者は存在していた時代状況に百年の開きがあるために、その内容には大きなずれがあることも容易にわかる。この点では、ケインズの方がその矛盾を本質的にとらえている。というのは、ケインズは富そのものが貧困の原因であると考えるからである。それに対してヘーゲルは、貧困を解決できない富という矛盾を措定しているにとどまるからである。
<10>ケインズ(1930)、p.395。
<11> われわれの以上の議論との関連で、ワクテル(1985)によって行なわれている議論は、重要な意味を持っている。彼の次のような問題意識は、われわれが真剣に受けとめなければならないものである。
 「常に「より多く」を求めるわれわれの飽くなき欲望こそ、これまで経済成長を押し進めてきた原動力であった。しかし、それはまたその成長を空しい勝利に変えるものである。われわれの満足感は、単に成果の絶対水準が高いから生まれるのではなく、比較の基準によっても左右される。・・・・・期待以上の成果が上がれば、われわれは満足するが、高きを望んで到達できなかったときは、たとえ客観的にはかなりの水準に達していても失望感をおぼえる。そして期待は常に膨らみ続けるのである。成果が上がるごとに期待も大きくなる。「これで十分」といえる地点は常に地平線の少し向こうにあり、その地平線は、われわれが近づくにつれて徐々に後退していくのである」(p.22)
 「われわれの経済組織は、すべての人々が豊かに暮らすことなど論外で、ものを十分に生産することさえ困難だった時代に発達したものである。比較的最近まで、すべての人が力を振りしぼって働かなければ余剰など生まれる可能性はなく、仕事の持つ分配機能は第二義的な問題で、ものを作り出すことこそが最大の課題であった。もちろんすべての人が働くことをやめたら人間は生き残れない。その意味で、依然、ものをつくることは必要である。だが、今日われわれが真に頭を悩ませるべき問題は、どうしたら必要な数の人々を働かせ、最適量の(最大量でなく)ものを生産しながら、なお人々に公平感をもちつづけさせられるか、である。労働力の一
部だけで間に合う社会にどう生きるそれは人類の歴史上まったく新しい問
題であり、われわれはまだその問題に取り組むどころか、その存在すら認めるにいたっていない」(p.287、下線 鷲田)
<12>シュンペーター(1954)は社会科学における目的論の存在の可能性とその危険性について次のように述べている。
 「目的論、すなわち諸制度や行動の諸形態を、これらが役立つと考えられている社会的必要もしくは目標から、因果的に説明せんとする試みが、必ずしも常に誤謬であるとは限らないのは明かである。すなわち、社会における多くの事柄は、勿論その目標の尺度で理解しえられるのみならず、また因果的にも説明される。目標を持つ人間の行動を扱うあらゆる科学において、目的論が常になんらかの役割を果たすのはむしろ当然である。しかし、それは注意深く取扱われなければならない、それを誤って用いる危険は常にわれわれをとりまいているのである。大部分の場合、この誤用は、人間がその中で生活している制度に対して、最も合理的な方法で意識的に実現せんと欲するところの・明瞭に感知された目的にしたがって働きかけ・これを形づくらんとする程度を過大に評価せんとするところから生ずる」(p.113)
 現代の理論経済学、数理経済学が因果的分析の極端な発展段階にあることは否定できないように思える。しかしまたそれは、シュンペーター(1908)で展望した理論経済学の発展方向だった。
<13>シュンペーター(1914)、p.162。