第2章 経済成長の理論
第1節 古典派成長理論の基本課題
 一般に成長とは、ある個別的な対象が内面的な動機に促されて自己を完成していく不可逆的な変化をさす概念である。経済成長とわれわれがいう場合には、それが経済という特殊な対象に対して適用されているのであるが、成長というのが単なる変化をさしているのではなく「自己の完成」という目的論的則面を持っているが故にそれだけでは済まされない。そこで、われわれは、この経済が富によって規定されているものであることを想起しなければならない。すなわち、経済とは富の再生産に関する体系の総体なのである。前章で明らかにしたように、富は議論の余地なく唯一のものとして存在しているのではない。歴史的にみれば、一つの社会にとって富とは選択されているものなのである。偶然的なものであれ、必然的なものであれ、富が選択枝として複数存在しているが故に、選択された富によって、その経済の特殊性があらわれるのである。これまでに明らかにしてきたように、富とは経済体系を動機づけている社会的な目的因である。確かにその目的因は、個々の経済主体の目的因の単なる総計ではない。それは一国が、あるいは一つの共同体がそれの増大が全体を豊かにすることに通じていると、共同的な了解を与えている指標である。したがって、また富には常にある種の主観性がつきまとっている。そして、経済の運動はそれによって方向づけられ、その進歩もまたその富の概念を媒介にして初めて測定されうるのである。
 それ故、経済成長とは量的には富の再生産規模が増大していくことであり、質的にはそれに対応して構造を変化させていくことに他ならない。
 古典派経済学において経済成長とは、スミスの富したがってまた、この資本制経済を規定している富が増大し、それにふさわしく経済が変形していくことであった。古典派の体系において、富が増大するとはまさに社会的な剰余が資本として蓄積されていくことであるから、経済成長に関する理論は同時に資本蓄積の理論でもあった。
 スミスの経済学においては、資本制的な経済関係のもとで、こうした社会的な富を増大させる条件、可能性を明らかにすることが、中心的テーマだった。資本制経済は、与えられた条件のもとで、それ自体が解決不能な困難を生じさせること無く発展していくこと、すなわち資本の蓄積をつづけることは可能なのか、もし可能であるとしたならば、それを実現する条件は何なのか、ということである。これは、現代に生きるわれわれにとっては自明ではあっても、産業革命がいま本格的に始まろうとするそのときには、まさに解明しなければならない課題だったのである。すなわち、資本制経済の発展のビジョンを明らかにすることがスミスの経済学の重要な課題だったのである<1>。
 『諸国民の富』におけるスミスの資本蓄積の理論を理解するためにはこうしたかれの経済学に負わされた課題を明確に意識していることが不可欠の条件である。スミスが本格的に蓄積理論を述べているのは第2編、第3章の「資本の蓄積について、すなわち、生産的および不生産的労働について」である。この生産的労働、不生産的労働というのは、重農主義者が彼らの富を生産する工程である農業部門の生産者を生産的階級と呼び、彼らの富の生産に直接に貢献しない工業部門のそれを不生産的階級と呼んだのに由来している。スミスは、重農主義者に関する記述をした章で、彼らのように生産的階級を狭くとらえるのに異議を唱えているが、その中心的内容は、工業者といえども貯蓄をすることによって社会の収入を増大させることができるという点であることは、あとの議論との関連でも注目される。スミスの意図した生産的労働の完全な定義は、必ずしも本文において明確になっていないが、こうした重農主義者との関連もふまえれば、明らかに彼のいう富の増大に貢献する労働と理解しなければならない。したがって、それは資本の蓄積に貢献する労働でなければならない。この生産的労働の真の意味はおそらくスミス自身には解決できない問題であったように見える<2>。
 スミスのこの資本蓄積の章では、この生産的労働、不生産的労働の問題と、資本を増大させるものとしての貯蓄あるいは倹約の二つが主要なテーマになっている。そして、われわれがここで注目するのは後者である。スミスの資本蓄積理論において、社会的な貯蓄は確実に投資につながっていくことがはっきり示されている。
 「勤労ではなく、倹約が資本増加の直接の原因である。実際のところ、勤労は、倹約が貯蓄する対象物を調達する。けれども、勤労がたとえどのようなものを獲得しようとも、倹約がそれを貯蓄し貯蔵しないならば、資本は増加しようにも決してできないであろう。倹約は、生産的な人手を扶養するために予定される基金を増加することによって、その労働が加えられることによって対象の価値が増加するところの、こういう人手の数を増加させる傾向がある。それゆえ、それはその国の土地および労働の年々の生産物の交換価値(すなわちスミスの富)を増加させる傾向がある」<3>
「年々に貯蓄されるものは、年々に費消されるものと同じように規則的に、しかもそれとほぼ時を同じくして消費されはするが、それは異なった一群の人々によって消費されるのである」<4>
 スミスのこの章の蓄積理論をみる限り、われわれが通常用いるケインズの所得のうちの消費されない部分としての貯蓄に対応するものはこの倹約という言葉であり、スミスの貯蓄というのは、われわれの通常の貯蓄と投資というものの折衷的な概念のように見える。しかし、彼の主張を理解する上で、この点の区別はなんら障害とならない。彼がはっきりと述べていることは、資本蓄積の条件が貯蓄(ケインズ的な意味でもよい)だということであり、また富を増大させる直接的な要因が貯蓄だということになる。そしてまた、後者の引用文にみられるように、そうした貯蓄が投資に向かうことは当然である、あるいはそうならざるをえないものであるという信念を抱いていたことは、またそのほかのところにおける彼の記述にもはっきりとあらわれている。さらにまた、スミスは結局人々がみずからの状態を改善することを希望することによって、貯蓄に駆り立てられることは必然的なものであると考えていた。
 「貯蓄するように人々を駆り立てる本能は、われわれの生活状態をよりよくしようという願望であり、それは総じて穏やかで冷静なものではあるけれども、母親の胎内からわれわれに同行してきたものであり、しかもわれわれが墓にはいるまで決してわれわれからはなれないものである。・・・・たとえ金を使うという本能は、ある場合にはほとんどすべての人々を支配し、また人によってはほとんどすべての場合にこの本能に支配されているけれども、大部分の人々についてその全生涯を通じての平均をとってみれば、倹約という本能の方が優位を占めているばかりでなく、はなはだしく優位を占めているようにさえ思われる」<5>
 したがって、スミスにおいては、こうした人々の貯蓄の動機が必ず、資本の蓄積を実現することによって、彼の定義した富の増大が、資本制経済の内的な機能によって約束されていることになるのである<6>。それによって、彼の示した体系の理論的統一性、整合性が確立されている、ともいえる。この、貯蓄が必ず投資に向かい対応した量の資本の蓄積を実現するというのは、現代経済学的な語法にしたがえばいわゆるセイ法則である。スミスの見えざる手という概念も、すでにわれわれが検討したところからもわかるように、その本質はこのセイ法則につながるものなのである。
 セイ法則は、ケインズの定式化した有効需要理論の対極にある理論として、最も広く名前が知られていることは疑い得ないところである。ケインズの理論がその後広く経済学の主要な学説の一つとして受け入れられていったことは、逆にそこでやり玉に挙げられているセイ法則の誤りに対する確信の普及となり、それを一般に採用していたとされた古典派経済学の地位の低下を生み出すことになったとも考えられる。実際、今日の標準的なマクロ経済学のテキストにおいて、古典派に即してそれを記述しようという努力はほとんどなされていない。そこでは、ケインズとその後の現代経済学によって議論されてきたセイ法則の定義、およびその内容だけで十分とされているのである。しかし、セイ法則の積極的側面を評価したシュムペーターは、それを、誤解の積み重ねが創り出した一つの妖怪にたとえている<7>。
 こうした「妖怪」が形成されていく過程で投下された経済学者の労働は、決して不生産的な労働ではない。スミスの『諸国民の富』の基本的な主題は、重商主義批判であったが、彼が措定した重商主義の正当性について多くの議論が存在するように、経済学においては、自らの理論を打ち立てるために都合のいいように、その批判の対象を構成することがよく行なわれる。そして、それによって成立した理論がすぐれたものであるとき、この方法は一つの有効性を獲得するのである。実際、ケインズのそれも含めて、セイ法則をめぐる多くの議論は理論経済学の内容を豊かにしていったことは間違いない。しかし、シュムペーターの指摘するように、セイ法則の「本体と考えられたもの」についての議論は数多く積み重ねられたものの、その発信地である古典派経済学におけるその積極的意義が省みられることは少なかった。そうした経済学の現状の中で、セイ法則を知識の博物館のガラクタ置き場の中から救いだして、それを古典派経済学の中心的理論の一つとして位置づけることは、重要な課題となっている。それは何よりも、古典派経済学を再評価し、そこから現代の理論経済学をより発展させていく上で必要な養分を吸収する上で緊要なのである。次節で古典派経済学におけるセイ法則の内容について詳細な検討を加えよう。
脚注
<1> 「古典派経済学とは、理論と教義の種々雑多な寄せ集め以上のものである。その独特の理論と政策処方箋は単一の中心的関心である《経済成長》の回りを回転する。現代成長理論とは異なって、古典派経済学者は主に成長過程に関する経済の調整に関心をもったのではなく、どのようにそのような一つの過程が生成され維持されたかに関心を向けた」、Sowell(1974)、p.33。
<2> スミスの成長モデルは、現代経済学的にいえばフォン・ノイマンの成長均衡モデルによって最もよく表現できると考えられる。スミスが、その蓄積論のところで繰り返し述べている、利潤の低下命題は、フォン・ノイマンの評価体系、価格体系において支配的な最大利潤率が最小になるという想定とまったく整合的であると考えられ、その最小利潤率が成立した点での均衡価格体系において投下費用を一般利潤率とともに完全に回収できる工程は、スミスの体系において生産的工程であり、そこで使用されている労働がスミスの生産的労働に最もよく適合している。
<3> スミス(1776)、、p.351。
<4> 同、p.351。
<5> 同、p.359。
<6> こうしたスミスの観点はミル(1871)にも、数多く散在している。たとえば、(一)p.149、pp.169−172、p.195、pp.306−608、などである。
<7>「ジャン・バチスト・セイという名の人物が、理論的観点からは相当な興味のある定律を発見した。それは、カンティヨンやチュルゴーの伝統に根ざしているとはいえ、いまだかつてかくも文字どおりに述べられたことはないという意味で斬新なものであった。・・・・・リカードという名のもう一人の人物は、この発見物が自分の国際貿易の分析において遭遇した種々の考察とぴったりとあっていたので、これをよく理解したが、しかし彼もまたこれを不当なる使途に当てた。大多数の人々は、それぞれこのものの本体と考えていたものに対して、愛好または嫌悪をいだきながら、これを誤解した。かくして、これに参加せるすべての党派に対してほとんどなんの栄誉をももたらさないような討議が、今日に至るまであとを引いているのであって、今日では人々は、もっと優れた技術を身につけながら、なおもこの古くさいものを反芻し続けて、その各々はこの「法則」に対する自らの誤解を、他の同輩の誤解に対抗せしめ、すべてのものがこの法則を一つの妖怪たらしめるにあずかって力があるのである」シュムペーター(1954)、p.1312。

第2節 長期均衡としてのセイ法則
1 セイ法則と現代経済学
 現代経済学において、セイ法則がどのように認識されているかをみるために、さしあたってケインズの『一般理論』までさかのぼってみよう。それは、「セイやリカードの時代から古典派経済学者たちは、供給はそれみずからの需要を創造すると教えてきた」とし、この原理は「古典派理論全体の基礎をなしており、それがなかったならば、古典派理論全体は崩壊するであろう」<1>と述べている。ケインズは、この基本的な認識の上に彼の有効需要理論を打ち立てたのであるが、ここでその理論そのものを議論する必要はない。ただ、われわれが認めなければならないのは、こうした彼以前の経済学において、暗黙に前提とされていた理論を的確に引出し、それが持っている理論全体における決定的な位置づけを明確にした、彼の理論的直感の鋭さである。実際本稿の結論においても、彼のこの指摘そのものを取り出せば、そこにただちに誤りを認めることはできない。ただ、残念なことは、ケインズの認識で、セイ法則がなければ理論の全体が崩壊するような基礎を持った古典派経済学が、いったいどのような本質的な性格を持ったものであったかは、彼の『一般理論』において、ほとんど明確になっていないことである。そして明らかなことは、ケインズによるこのとらえ方は、彼の理論の有効性が確かめられればそれだけ、彼の定義したかなり広い概念となっている古典派経済学の理論的権威を失墜させる構造をもっている。結論的にみて、彼の意味でのセイ法則を不可欠の内容とするような古典派経済学の定義は大きな問題があるといわざるを得ない。この点で、ソーウェルによる「ケインジアンによる古典派経済学の定義は、傾向的で自己中心的である」<2>という指摘は支持できる。
 まず、われわれは、古典派経済学をスミス、リカードを中心とした、現代の経済学の権威ある伝統を確立した18世紀末から19世紀初頭の経済学者の提示した理論をさすとみる。そしてわれわれは、ケインズによって彼らの中心教義であるとみなされたセイ法則が、決して彼がとらえたようなものではないことを示して、その呪縛から解放しなければならないのである。
 このケインズの「供給はみずからの需要を創り出す」という命題が、今日、セイ法則といわれているものの代表である。それは『一般理論』のいくつかのところでパラフレーズされているように<3>経済が完全雇用のもとでの総需要と総供給の一致する均衡にかならず向かうことだけでなく、貨幣の機能についての特殊なとらえかたによって、そうした状態が恒等的に成立しなければならない命題としてもとらえられている。すなわち、この総供給と総需要の恒等的一致はという命題は、生産によって生じる所得はすべて支出されなければならないとしているのが、古典派の命題としてとらえられていることである。こうした観点のミクロ的な再現となっているものが、ランゲあるいはパティンキン<4>らによって定式化され、今日支配的となっている「セイの恒等式」としてのセイ法則の理解である。すなわち多数財と、貨幣の市場を同時に考慮したワルラス法則が成立する体系のもとで、貨幣市場が恒等的に均衡していることを、セイ法則の内容としてとらえたのである<5>。しかし、そこで指摘されているように、この意味でのセイ法則が成立しているもとでは、体系が過小決定となり、財の相対価格は決定できても、その貨幣価格を決定することはできなくなる。さらに、そうした困難を回避する意味を持った、セイ法則のもう一つ別な理解は森嶋通夫によって与えられている<6>。それは、ワルラス体系との関連で定式化されているものであるが、一般均衡体系における独立な投資関数の不在を、セイ法則の内容としてとらえたものである。この森嶋の理解は、ワルラスの原体系との関連のいかんはどうあれ、ケインズがもともと意図していたセイ法則の内容を表現するという点では、強い説得力を持つものであることは疑いない。
 こうしたケインズを出発点とするセイ法則に関する議論の流れとは別に、セイ法則を古典派が意図した内容にそくして正しくとらえようという、もう一つの流れがあることを見逃してはならない。ラーナーは、経済において個別的な観点から正しいとされた命題が必ずしも全体的な観点からは正しくない場合がある一つの例を示した命題として、セイ法則をとり上げている<7>。すなわち、経済が不景気な場合に、個別的な観点からはその生産を縮小して価格を引き上げることによってその収益を回復させることができるとみえるが、全体的な観点からは各個別的な生産の縮小は、さらに需要を減退させその回復を遅らせる可能性があることをラーナーは示している。セイ法則は、まさに需要が生産とは独立ではないこと、生産が需要を生み出す条件であることを示して、不況期における生産縮小論の誤りを明確にしていると、ラーナーはみるのである。そして、このとらえ方は、シュムペーターのより発展した議論につながっていくのである。彼は、セイ法則を次のように評価している。
「分業が行なわれる場合には、何人にとっても自分の持ちたい商品や用役をえるために通例用いられる唯一の手段は、これらのものの対価となる何物かを生産する
もしくはその生産に参加することにある。したがって、それからして生産
は単に市場における財貨の供給を増加せしめるのみならず、また通例これらに対する需要をも増すことになるのである。この意味において、生産物に対する需要がながれでる「基金(ファンド)」をつくりだすものは、その生産自体(「供給」)である。すなわち生産物は「終局においては」、国内取引であれ外国貿易であれ、、生産物をもって支払われる。かくして、あらゆるラインにおける生産の(均整のとれた)拡張は、ある個別産業もしくはある産業群の産出量における一方的な増加とは、はなはだ異なるものである。この点の理論的な意味内容を看取したのは、セーの主要な業績の一つである」<8>
 彼は、このようなセイ法則が「明らかに真理」であるとし、「セイ法則を陳腐な公理としてあっさり無視するのを許さないものがある」と述べている。また、こうした意味から、ケインズのいった「総供給価格と総需要価格の恒等的一致」というセイ法則の命題は、「全体としての産出量の集計的需要価格はあらゆる産出量の集計的供給価格に等しきものにたりうる」と述べられなければならないとしている。そしてまた、ケインズが実際に批判しているものは、現実の産出が、可能な資源の条件のもとで最大になるという命題であるとも述べている。こうした、ラーナー、シュムペーターによるセイ法則の理解は、資本制経済が過大な供給のゆえに行き詰まらざるをえないという命題の否定、あるいは、その全体の供給は部門間の部分的不整合が除かれればそれに対応する需要が生み出される可能性があること、を内容としているのである。すなわち生産はそれと等価な購買力を生み出すという命題に他ならない。ソーウェルも古典派経済学に即したセイ法則の内容をまとめるにあたって「産出のある与えられた量(あるいは価値)の生産に対して受け取られた総要素支払いはかならず産出のその量(あるいは価値)を購入するのに十分である」<9>という命題としてとらえている。
 こうした内容は、あとでみるように古典派経済学の意図していた一面を的確にとらえている。しかし、それだけでは足りない。古典派経済学は、総供給に対応する需要の発生を単なる可能性とだけとらえていたのではなく、現実的なものとして、すなわちその均衡が実際に達成されるものとしてとらえていたのである。その点をみるためには、パティンキンと、ベッカー=ボウモル<10>のあいだの議論に注目する必要がある。ベッカー=ボウモルは、ランゲ等によって理解されたセイ法則が、均衡貨幣価格を与えないという問題に対して、セイ法則を恒等式ではなく「セイの等式」としてとらえ、いかなる財の相対価格の組合せのもとでも貨幣の需給を均衡させるような解が存在する、という命題として定義し直した。したがって、彼らの定義のもとでは、財の総需要価格と総供給価格のあいだの一致は、恒等的に成立するのではなく、ありうべき一つの均衡として理解される。そして、彼らは古典派の議論に即しながら、その均衡は、一時的な不均衡の可能性も認めた長期均衡であることを主張したのである。
 こうした、ベッカー=ボウモルの議論に対するパティンキンの反応はきわめて興味深い。彼は、古典派経済学が本来セイ法則を長期均衡のもとで成立する命題として提示していたことを認めている。次の論述は、その点を的確に表現し優れたものである。
 「特に、彼ら(古典派経済学者)の主要な関心事は、絶えず増加する生産能力による生産物を吸収する資本制経済の長期的な能力にある。近代的表現によれば、彼らの主要な関心事は、長期停滞の可能性を論駁することであって、循環的失業の可能性を論駁することではなかった。したがって、彼らは「市場の一般的過剰生産」が不可能であることを、「商業恐慌」の表題の章においてではなく、「蓄積の諸効果」の表題の章で論じている」<11>
 しかし、彼は古典派経済学がこうした長期均衡を成立させるメカニズムを示さなかったことを、決定的な問題としてとらえるのである。
 「セイの法則についてこの長期的解釈を認めおよびそれに有利な根拠を確
信したとしても、古典派経済学者たちはこの法則を成立させるメカニズムを
規定しえなかったことをもう一度強調しなければならない」<12>
 しかし、パティンキンのこうした批判的議論は、その脚注において、古典派経済学の議論の中には、こうした長期的な均衡の成立を説明するようなヒントが数多く存在することを認めることによって、きわめて弱々しいものになっている。パティンキンの議論は、古典派経済学がセイ法則によって主張しようとしたことが、長期均衡にあることを認め、さらにそれを説明したとはいえても、それに対する批判にはなっていない。
 以上のような、セイ法則の意義を古典派に即して明らかにしようという議論は、それがその学派の能力の限界を示す稚拙な命題であったのではなく、むしろ積極的な意義を持っていることを十分に予感させるものである。われわれは次節で、このセイ法則の成立の現実的な基礎の解明をも含めて、それが長期均衡における問題であることをより明確にしていく。
2 古典派経済学とセイの命題
 古典派経済学において、セイ法則の主張である、一般的過剰生産の不可能性の命題がまさに長期均衡において成立するものであることを否定することは、その本来の意図を故意にねじ曲げようとしない限り困難である。われわれ現代の経済学者にとって、「初めにランゲの定式化あり」で、それにあうような文章を古典派の文献の中に見つけることは困難ではない。しかし、それによって古典派の意図していたところも今日のセイ法則の定式化を前提にした理論であるとは決して結論してはならない。
 まず次のような点から確認していこう。古典派経済学者のほとんどが、一般的な過剰生産の可能性を否定していたと考えた場合、彼らがわれわれとは違って、そうした現実を目の当たりにしていなかったのではないか、ということが考えられる。しかしこの疑問は、古典派経済学が直面していた18世紀末から19世紀初頭にかけて経済においては、すでにイギリスを中心に過剰生産恐慌が頻発していたという事実によって、払拭される。メンデリソン<13>によれば、「過剰生産という現象は、歴史上1788年の恐慌ではじめにあざやかにあらわれ」その後、綿工業を中心に1793年、1797年、1810年と続き、そして1815年の恐慌で「過剰生産は、はじめて、しかも最も鋭い形態で、イギリスの重工業の
主要な部門製鉄業と石炭工業にも波及した」。さらに、1819年の恐慌を
へて、さらに恐慌が全般性を帯びてくる1820年代へとつながっていったのである。それらの恐慌は、古典派経済学者にとって、直視しなければ、知らないあいだに終わってしまっていたというような軽いものでは決してなかった。古典派経済学は、現代の経済学に優るとも劣らないくらいに、その理論の現実性を重視した。したがって、彼らの中心的なテーマも、政策的色彩を強く帯びていたのである<14>。にもかかわらず、彼らが一時的な意味での一般的過剰生産も否定していたとはまったく考えられない。ソーウェルは次のように述べている。
 「古典派経済学者は、文献においてときどき指摘されているような不況、失業あるいは売れない商品の存在を否定することの非合理の罪を着せられることは決してありえない」<15>
 特にわれわれが注目しなければならないのは1815年の恐慌である。この恐慌はヨーロッパを舞台にしたナポレオン戦争、英米戦争など一連の戦争の集結の直後に起こったものである。戦争から平和への流れの中で、イギリスの主要産業はヨーロッパおよびアメリカへの輸出に重点をおいて急速な生産の拡大を行なった。イギリスの製品はそれらの国に溢れた。たとえば、当時木綿工業の生産額の約8割が輸出に回された。こうした戦後のブームはごく短期間で終わり、イギリスは一挙に過剰生産恐慌に突入する。それは、海外におけるイギリス製品の乱売を引き起こし、恐慌そのものが輸出された。こうした過剰生産は、木綿工業にとどまらず、製鉄業および石炭工業にも波及していった。そして、もちろん大量の労働者の失業をともなっているのである。この15年の恐慌は、16年には底をつきその後やや回復に向かったが、完全な回復を見ないうちに1819年の恐慌に続いていった。われわれがこの恐慌を重視するのは、この恐慌に対応している1815年から1820年という期間は、また古典派経済学者の中で、販路をめぐって最も活発な論争が行なわれた期間であるからである。1817年にはリカードの『経済学および課税の原理』が発行され、その後この問題をめぐってマルサスとリカードのあいだに活発な書簡のやりとりが行なわれ、1920年にはマルサスの『経済学原理』、リカードのそれに対する『マルサス評注』、セイの『マルサス氏への手紙』が発行されている。古典派経済学における19世紀の販路問題の活発な論争は、こうした恐慌を目前にしながら行なわれたのであり、また、だからこそ行なわれざるをえなかったのである。そして、その論争の当事者たちの議論には、それぞれの国がこの恐慌の中でおかれていた状況そのものが色濃く反映しているのである。それを以下では確かめることができるだろう。
 次に、われわれは古典派経済学者が語るところにおいて、今日セイ法則と言われるものの内容をとらえることにしよう。まずセイ自身の命題とその限界性について検討しよう。法則の提示された原典ともいうべき『政治経済学要論』の第1篇、第15章で、セイが述べたかった命題は、「生産物の販路は、生産によってのみ開かれる」であり、それ以上の何ものでもない。したがって、それはラーナー、シュムペーターのとらえた「生産はそれと等価な購買力を生み出す」という内容と軌を一にするものである。確かにセイの議論の中にはパティンキンがとり上げているような、「セイの恒等式」を支持する文章もある。
 「生産物は作られたその瞬間からそれ自身の価値を完全に満たす程度に、ほかの生産物にたいして市場を用意する。生産者が、彼の生産物に最後の手を加えたとき、その価値が彼の手元から消えてしまわないように、彼は即座にそれを販売することを切望する。また、彼が得るであろう貨幣を処分することを望まないこともありえない。というのは、貨幣価値もまた消えてしまうからである。貨幣を取り除く唯一の方法は何かほかの生産物を購入することにある」<16>
しかし、この意味も必ずしも、ランゲ等の現代的な定式化を直接支持するものになっているのではないことが、すぐそれにつづく文章によって解る。すなわち、セイはそれにつづいて、「このように、一つの生産物を生み出す環境だけが、即座にほかの生産物に対する販路を開くのである」とのべて、前の議論は彼の命題を支持する一つの根拠としてのみ意味を持つものであることがわかる。さらにそれにつづく文章は、まったく彼の命題にのみかかわるものである。
 「この理由のために、よい収穫は、農民のためだけでなく、すべての商品の取扱者にとってもまた一般に好ましいのである。作物が多くなればなるほど栽培者の購入も大きくなる。逆に悪い収穫は、大きく商品の販売を傷つける。そしてそれは、工業家の生産物と商業についてもいえるのである。商業の一つの分野の成功は、より多くの購買の手段を供給し、結果としてすべてのそのほかの分野の生産物に対して市場を開く。また、他方では、一つの産業あるいは商業における不況はすべてのほかの産業においてもそう感じられる」<17>
 そして、彼はこの章の結論を次のような4つにまとめているが、それは彼の命題をだけを支持するものであり、それ以上のものでもない。
 (1)「すべての共同体において、生産者の数が多くなればなるほど、あるいは彼らの生産の種類が多くなればなるほど、それらの生産物に対する市場は、より速やかで、より数多くそしてより力強くなる。そしてまた、自然な結果として、価格が需要に応じて上昇するので、その生産者にとってより収益性のあるものとなる。しかし、この優位性は現実の生産によってのみ引き出されるのであって、強制的な生産物の循環によってではない。というのは、いったん創り出された価値は手から手に移ることによって増大させられることはない」<18>
 (2)「それぞれの個人はすべての人の一般的な繁栄に関心をもっているのであり、産業の一部門の成功はすべての他の部門の成功を促進するのである」<19>
 (3)「この実り豊かな原理(すなわちセイの命題、鷲田)から、われわれは次のようなより進んだ結論を引き出す。すなわち、外国から商品を輸入することあるいは購買することが、国内的あるいは国際的な工業あるいは生産を傷つけることはない。というのは、海外の交易にはけ口を見いだす自国の生産物無しには、海外から何物をも買うことはできないからである」<20>
 (4)「同じ原理が次の結論をもたらす。単なる消費の勧めは、消費者になんの利益ももたらさない。困難はその手段の供給にあるのであって、消費者の欲望を刺激することにあるのではないからである。そして、われわれは、生産だけがその手段を用意することをみてきたのである。このように、生産を勧めることがよい政府の目的であって、、消費を激励することは悪い政府のそれである」<21>
 このように結論においてもそうであるから、議論の全体が彼の命題のみを、したがってまたラーナー、シュムペーターによって語られたセイ法則の内容だけをそこで述べようとしていたことは明かである。セイが販路法則ということで述べようとした内容がまさにそうしたものであるがゆえに、一時的な過剰生産の存在は彼の認めるところともなっている。そして、彼のそれに対する処方箋は彼の命題の具体化であり、すなわち生産こそがその販路を切り開くものというものになっている。
 「しかし、もしそうであるなら市場において時々商品の重要な供給過剰が存在するということ、それらのはけ口を見つけることが困難ということがどのようにして生じるのかと尋ねられるかもしれない。なぜ、これらの過剰なものは他の生産物と交換されないのか?ある特別な商品の供給過剰はそれに対する総需要を、一つあるいは二つのの方法において追い抜いてしまったことによって生じると私は答える。すなわち、それが余りに過剰に生産されてしまったか、他の商品の生産が不足してしまったかのいずれかによってである」<22>
 セイは、『マルサス氏への手紙』の中でもこの点を繰り返している。
「私の主張はこうだったのです。すなわちもしもいくつかの商品の滞貨、つまり過剰があるとすれば、それはこれらの商品と交換される他の商品が交換に必要な量だけ生産されなかったからに他ならず、もしこの後の商品の生産者たちがその商品をより多く生産していたならば、前の商品生産者たちは、いまつまっている商品の捌け口を見いだすことができただろう、ひとくちにいえば、ある種の生産物が過剰だということは、他の種類の生産物が十分でないからに他ならない」<23>
 セイは、このように彼の販路法則で生産による購買力の発生の意義強調したのである。したがって、彼の法則は、生産を離れては成立しないものであることは明かである。この点で、恒等式と理解されたセイ法則は、セイ自身の意図を完全に表現したものでないことを、われわれは認めなければならない。しかし、それでも供給が一般に生産によって行なわれることを想定しているような静学的な一般体系においては、このセイの販路法則は、セイの恒等式と一致するだろう。確かに、セイの恒等式はセイ自身の主張と完全に一致しているものではないが、だからといって両者は矛盾するものでは必ずしもないのである。この点において、リカードの立場とセイの立場の根本的な違いがあらわれてくる。すなわち、次の節で述べるようにリカードの立場は部分的過剰生産が資本の過剰によってもたらされると考えることによって、こうしたセイの恒等式とまったく両立しないような側面をもつのである。
 端的な表現を与えれば、セイの過剰生産の認識は表面的である、といえよう。セイがもっとも注目している現実は、生産されたものに対する購買力の欠如が、過剰生産を引き起こしている現実である。したがって彼の全体の議論は明らかに、過剰生産を解消するために、もう一方の生産が生み出す購買力の創出に絶対的な期待をかけていることを示しているのである。そして、これこそ、1815年恐慌においてフランスのおかれた立場の明確な反映なのである。すなわち、戦争で疲弊した産業がまだ十分立ち直りきれない段階、しかもイギリスの商品に大して十分な優位性をもつ産業が育ってきていない段階で、イギリス商品の洪水で恐慌に巻き込まれてしまったという現実を反映しているのである。1815年恐慌はフランスにとって、自らの生産が引き起こした過剰生産恐慌ではなかった。過剰生産は、あくまでもイギリスのそれであり、フランスは十分な生産を行なわないままに過剰生産恐慌に突入したのである。フランスにとって、必要だったのは、このセイのいう購買力を生み出ことのできるような生産に他ならなかったのである。
3 リカード過剰生産論の本質
 次に、まさにイギリス的なものを表現しているリカードの過剰生産に関する認識について検討してみよう。その認識は、セイのそれにくらべてはるかに根本的である。<24>
 彼の主著である『経済学および課税の原理』において、今日言われているようなセイ法則に関する記述が集中しているのは第21章「蓄積の利潤と利子とにおよぼす影響」である。パティンキンが指摘するように、それが蓄積の問題に関連して述べられているのに注意することも必要である。すなわち、この章の中心的なテーマは、スミスが「利潤の低下原因を、一律に、資本の蓄積、及びその結果として起こるであろう競争のせいにして、追加資本が雇用するはずの労働者の追加人数に食物をまかなうことがますます困難になってくることには、少しも注意を向けていない」ことに対する批判である。その批判は、リカードの基本法則、すなわち利潤率の低下は基本的には実質賃金の上昇によってのみ引き起こされる、の立場から行なわれ、利潤の低下法則は劣等地への耕作の展開による実質賃金の上昇によって説明されるべきであることを論じたものである。ここで、彼は、確かにケインズ、ランゲの恒等式による定式化をほうふつさせる次のような主張を述べている。
 「セイ氏は、需要は生産によってのみ制限されるのであるから、どんな資本額でも一国内において使用されえないはずがない、ということを最も十分に説明した。誰でも、消費または販売の目的を持たないで、生産することはない、そして誰でも、ただちに彼に役立つかあるいは将来の生産に寄与する、何か他の商品を購買する意図を持たないで、販売することは決してない。そうしてみると、生産することによって、彼は、必然的に、彼自身の財貨の消費者となるか、あるいは誰か他の人の財貨の購買者および消費者となるか、そのいずれかである」<25>
 確かに、ここにはセイの恒等式といわれているものに矛盾するところはなにもない。しかし、彼がそれにつづけて書いている文章にも注目しなければならない。
 「彼(生産者)が意図している目的、すなわち、他の財貨の所有ということを達成するために、彼が最も有利に生産しうる商品について、彼がかなり長い期間にわたってよく知らないなどということは、想像さるべくもない。それゆえに、彼が、それに対して需要のない商品を引き続いて生産するであろうということは起こりそうにない」<26>
これは、恒等式による定式化においては、決して理解することのできないリカードの過剰生産問題に対する立場である。すなわち、長期的にみて生産者は、みずからの資本のもっとも有利な使用機会を選択し続けるであろうから、需要に対する過剰な生産ということが継続的に発生することはありえないということである。これは、古典派的な長期均衡の考え以外の何物でもない。そして、初めの引用文もこの長期的観点において理解すべきなのである。
 リカードの『マルサス評注』における立場もこれと同じようなものである。この問題については、マルサスの『経済学原理』の第7章第3節に対する評注が最も注目される部分である。ここでは、リカードが生産の過剰によって諸物価が低落したとき、労働者の賃金の実質的な購買力の上昇があることをマルサスが見逃していることに対する批判的見地を重視していることもあって、過剰生産、それからくる失業という問題についての見解がやや影が薄くなっている面がある。しかし、リカードは、マルサスの過剰生産の可能性による蓄積の悪化という問題に対して、先の『原理』と同様に、長期均衡を阻害する要因がないという立場で一貫している。<27>
 『原理』の場合と同じような論述の構造をわれわれは他にもみることができる。彼は、一時的な過剰生産が行なわれる可能性があることを指摘した上で、次のように述べる。
 「商品を所有しているものは誰でも必ず需要者であり、需要者はその商品を自分
で消費するのを望むかそのときは購買者はいらないあるいはそれを売
って、その貨幣でなにか他のものを購入するのを望むかそれは彼によって消
費されるか将来の生産に役だたされるかであるのいずれかである」<28>
 これらの記述の内容においては、かのランゲの定式化となんら矛盾するところはない。しかし、リカードはこの同じパラグラフで、つづいて次のように述べるのである。 「読者の脳裏に明記してもらいたいのは、生産される商品がどんな時でも(at all time)人間の欲求に適応しないことが、特に弊害があるのであって、商品の豊富ではないということである」<29>
 ここで確認できることは、リカードが過剰生産が必ずしも一時的なものではないということをはっきりと認めていたということである。すなわち、リカードは過剰生産が一時的な生産者の見通しの誤りによって引き起こされるものであるととらえ、部分的であれ一般的であれ過剰生産がある程度の期間継続する可能性を認めているのである。ただ、そうした誤りが長期的にも継続することはないという意味で、過剰生産は短期的なものであると認識していることは明かである。過剰生産の発生についてのこれらのリカードの認識は重要な意味をもっている。生産者の誤りとは、資本が需要に対応するように正しく投下されていないという意味である。したがって、リカードの過剰生産に対する処方箋はセイとはまったく違ったものとならざるを得ない。
 セイの発行した『マルサス氏への手紙』についての論評が直接のきっかけとなった1820年夏からのマルサスとのあいだの過剰生産問題についての書簡のやりとりの中で、リカードはセイの処方箋にたいして厳しい批判を行なっている。
 「(セイは)商業における停滞は、市場にでている一方の商品を購買するところの、他方の商品が生産されないことから起こるものだと考えているように見え、そしてこういう他方の商品が市場にでてくるまではその弊害は除去されないと推論するように思われます。しかし、真の救済策は将来の生産を規制することにあるでし
ょう、ある商品の供給過剰が存在するならばそれをより少なく生産し他のも
のをより多く生産すべきであって、より多く需要されている商品を購買者が生産することを選ぶようになるまで、供給過剰を存続すべきではありません」<30>
 すなわち、ある財貨についての供給過剰が存在するもとで、セイはそれと交換されるべき他の財の生産の必要性を主張しているのに対して、リカードは供給過剰になっている財の生産は縮小されるべきであって、より多く需要されているものに資本を移動させるべきであると述べている。リカードは、ここで他のより多く需要されている商品が存在していることを前提にしている。それゆえ、彼の過剰生産に関する認識は、それがセイと同じような意味で一時的にしか存在しないというように見える。これは、次に述べる、彼の資本制経済における投資機会、その蓄積のビジョンについての重要な認識に基づいているのであるが、それを議論する前に、こうした彼の過剰生産のとらえ方の本質的な特徴についてさらに議論しておこう。セイと比較した場合に明らかになる、リカードの過剰生産のとらえ方の特徴は、すでに述べたようにそれを資本の問題に還元していることである<31>。すなわち、ある財に対する過剰生産が存在しているということはそこに過剰な資本が存在していることに他ならないとリカードはとらえているのである。彼にとってその過剰生産が解消されるというのはその資本が引き上げて新たな部面に投下されていくことである。したがって、その過剰生産が一時的、あるいは短期的なものであるとしても、それを真に一過性のもので終わらせるためには資本の大きな運動が伴わざるを得ないということを、十分にリカードは認識しているのである。
 そして、リカードはこの資本の運動が決して楽なものではないことを理解している。それは、『原理』の「第19章 貿易路における突然の変化について」のなかで、詳しく展開されている<32>。この章の表題は、さきに述べたような当時のイギリス経済のおかれた特徴に関連していることは間違いないように思える。リカードは、以下のように資本移動のもたらす苦況をはっきりと認識しているのである。しかも、それは単に貿易路の変更の問題にとどまらない一般性をもった議論であることにも注意しなければならない。
 「大製造業国は、資本が一つの用途からあるほかの用途へ移動することによってもたらされる、一時的な災厄や事故にさらされている。・・・・どんな特定の製造品に対する需要も、購買者の欲望ばかりでなく、さらにその趣味や気まぐれによっても支配される。また、新しい租税が、ある国がある特定の商品の製造について以前にもっていた比較上の利点を破壊することもあろう、あるいは戦争の影響がその商品の輸送上の運賃と保険料を非常に引き上げ、そのためにその商品はもはや、それが以前に輸出されていた国の国産商品と競争もできなくなることもあろう。すべてこのような場合には、かなりの苦境と、そして疑いもなく若干の損失とが、このような商品の製造に従事している人々によって経験されるであろう、そしてそれは、たんに変化のときににおいてばかりでなく、かれらがその資本とその支配しうる労働とを、一つの用途からほかの用途へ移動しつつある全期間にわたって、感ぜられるであろう」<33>
 「資本が、新事情が最も有利なものとしたそれぞれの位置に落ち着きつつある期間中、多くの固定資本は遊休させられ、おそらくは全然維持できなくなり、そして労働者は完全に雇用されない」<34>
 「大資本が機械に投下されている富裕かつ強力な国々においては、比較的にはるかより少額の固定資本とはるか多額の流動資本が存在し、したがってより多くの仕事が人間の労働によってなされているより貧困な国々におけるよりも、貿易の激変によってより多くの苦況が経験されるであろう」<35>
 貿易路の変更による過剰生産は、全体を見れば確かに一つの過剰生産ととらえることもできるかも知れないが、一国にとっては完全に一般的な過剰生産となる強い可能性を十分にはらんでいる。したがって、ここで議論している過剰生産はまさに一般的過剰生産であり表現されている失業あるいは固定資本の遊休はそうした一般的過剰生産がもたらす苦況に他ならない。
 リカードは、彼自身が目の当たりにしている現実として、一般的過剰生産を認識していたし、またその大きな問題性を十分に認識していたことは間違いない。しかし、リカードはこれが決して長期に持続するものではないことを確信していたと考えられる。すなわち、それらは短期的なものであると考えていたのである。ただし、短期的の内容は、今日われわれが一時的均衡の意味で使うような「一時的」では決してないことは確認できるだろう。すなわち、それは産業間を有利な投資機会を求めて資本が移動し、それによって極端な過剰生産を解消できるという意味での新たな均衡がもたらされるまでの期間こそ、リカードにとっての「短期的」という意味が妥当する期間なのである。したがって、それはわれわれの考えている期間、あるいはわれわれが想定する期間よりもはるかに長い可能性も含んでいるのである。そして、われわれはこのような意味で、リカードが過剰生産が存在しないという意味でとらえていた均衡を長期均衡と呼んでいることをここで強調しておく。
4 資本蓄積の持続性についてのリカードの確信
 われわれは古典派経済学において、特にそのもっともすぐれた代表者の一人であるリカードにおいて、今日セイ法則と言われる一般的過剰生産の否定命題が存在するとしたら、それは一つの長期均衡としてのそれであることを示してきた。リカードのおいてそれは、先にみたように、代替的に有利な投資機会が長い目でみれば必ず存在するという確信にもあらわれている。先の1820年のマルサスとの書簡のやりとりの中でもリカードは次のように一つの締めくくりを与えている。
 「潤沢な資本と低い価格の労働が存在するのですから、豊かな利潤をもたらす何かの用途がないわけはありませんし、またすぐれた天才がいてその国の資本の配置を管理していたならば、彼はほとんど時をうつさないで営業をこれまで同様に活気づけるでしょう。生産にあたって人々が誤りを犯しているのであり、需要の欠乏があるわけではありません。私が服地を求めており、あなたが綿製品を求めていらっしゃるとすれば、われわれが相互のあいだの交換を目的として、一方がビロードを
生産し、他方がぶどう酒を生産するのはたいへん愚かなことでしょう、われ
われは現在このような愚かなことをやっているのであり、私はこの種の思い違いが持続する期間の長いのをほとんど説明することができません」
 この最後の文章は、まさに直面する恐慌の現実が、彼の予想したのよりも長期に過剰生産を持続させていることに対する、彼の予想のはずれを表明している。それほど、彼の有利な投資機会の存在に対する確信は強かったと考えられるのである。『マルサス評注』の中でもこうした確信がはっきりと述べられている<36>。この確信は、あらゆる貯蓄に対する投資機会の存在、あるいは限界効率のスケジュールが十分に高いところで水平になっていることを意味していると考えられるが、もしこれが、われわれが今日議論するような一時均衡の成立を保証するものとして考えれば、それはまさにほとんどセイの恒等式で表わされるものに一致してしまうだろう。しかし、それとリカードの議論との差異は、彼がそれが社会的な苦況をともなう一定の期間が必要な資本の運動の過程によって実現されるものとしてとらえられているところにある。そうした投資機会に対する確信は、彼において十分な根拠によって裏付けられているとは考えにくい。それは、彼の資本制というものに対する基本的なビジョンといえるものであるように思われる。先の、「貿易路における突然の変化について」の章の中で、彼は次のようにその確信を表明している。
 「退歩状態は常に社会の不自然な状態である、ということも忘れてはならない。人間は青年から壮年に成長し、ついで老衰し、そして死亡する、しかしこれは国民の進路ではない。最も強盛な状態に達すれば、なるほど国民のより以上の前進は阻止されるかも知れない、しかしその自然の傾向は、長年にわたって、その富およびその人口を減らさないで維持するものなのである」
 しかし、これらは、単に彼の主観的信念において与えられるものであると断ずるのは余りに軽薄すぎるであろう。リカードのこうした議論の背景には、人間の欲求に対する一つのとらえ方が存在していることを見逃すことはできない。すなわち、生産が行なわれそれに対する十分な欲求が存在しているときに、両者が経済の体系の中で出会うことが長期的に阻まれることはいかなる意味においても発生しないという確信である。そして、社会的な生産の体系においてなんらかの意味で能動的な役割を果たしうる人々の欲求が生み出されてくる資本に対して過少になることはありえないという、ほとんど一つの社会観が存在している。すなわち、そうした人々の欲求は資本の希少性を再生産し続けるというとらえ方である。リカードは1814年9月のマルサスへの書簡の中で次のように述べている。
 「われわれは有効需要が購買する力と意志との二つの要素からなっている点でも意見の一致をみていますが、私はこの力があるところに意志がかけていることはま
ずないと思います、というのは蓄積の欲求は消費しようとする欲求とまった
く同じほど有効に需要を引き起こすからで、それはただ需要に向かう対象を変えるだけでしょう。もしあなたが、人間は資本の増大につれて消費に対しても蓄積に対しても無関心になるのだとお考えになるのでしたら、一国民についていうと供給は決して需要を超えることはできないというミル氏の思想に反対なさるのは正当です、
が資本の増大はあらゆる種類の贅沢品に対する好みの増大をもたらすのでは
ありますまいか、そして資本が増え利潤が減っていく行くにつれて蓄積の欲求が減退してゆくのは自然だと思われますが、消費が同じ率で増えてゆくことも同様にたぶんありそうなことと思われます。・・・・・要約して申しますと、私は人間の欲望や嗜好は無制限だと考えます。われわれはすべてわれわれの享楽や力を増やそう
と望んでいます。消費はわれわれの享楽を追加し、蓄積は力を追加し、等し
く需要を促進します」<37>
 そして、さらにこれに対するマルサスの返事を受けてこの点を次のように繰り返している。
 「人類の欲望や嗜好に種々の効果を帰す点では私はあなたよりもはるかに先へい
っています、それは無限だと信じます。人間にただ購買手段を与えてみてく
ださい、そうすれば彼らの欲望は飽くことを知らないでしょう。ミル氏の理論はこの仮定の上に立てられています。それは資本の蓄積の結果生産されるであろう諸商品の相互の比率は何かを言おうとしているのではなく、人類の欲望や嗜好にかなう商品だけが生産されるであろう、なぜならその他のものは需要されないであろうから、ということを仮定するものであります」<38>
 こうしたリカードの「人間的な欲求の無制限性」という命題は、非常に重要な意味をもっている。というのは、彼自身が直面していた資本制経済は、彼以降二百年近く長期的にみて大きな発展を実現してきている。そのもっとも根本にあるのは、人間の欲求の質的な多様性と量的な増大という面をもった、その無制限性にあることは間違いないからである。
 この点も含めて、リカードがセイ法則と言われるものに関して述べているところにあらわれている基本的な観点は、資本制経済の長期的な発展可能性に対する確信である。もちろん、この発展も資本蓄積の結果としての農業部門における生産性の低下が実質賃金の上昇をもたらし、利潤率を低下させるならば、その行き詰まりを予想せざるを得ないとは考えていた。
 「すなわち、需要にはぜんぜん限度がない資本がなんらかの利潤を生じて
いるかぎり、資本の使用にはぜんぜん限度がない、そして資本がどのように豊富になろうとも、賃金の上昇以外には利潤の低下に対する妥当な理由がない、そしてさらに付言しうるとすれば、賃金の上昇に対する妥当にして永続的な原因は、増加する労働者に対して食物および必需品をまかなうことの困難の増加ということである」<39>
 しかし、まずそうした状況にいたったときも、決して社会的にみてその状態が望ましくないものと考えていたのではない。それは、これまでの引用にも表れている。しかも、このリカードの一種の長期停滞論は、彼の分配理論の、純理論的結論からもたらされているものであり、彼がセイ法則に関して述べている資本制経済の長期的発展の理論のもつ説得的、かつ確信的主張にくらべると、明らかに彼の体系にとって本質的な面ではないことが簡単にみてとれるものである。実際、その長期停滞論と、長期的発展論という二つの面のうちで、現代までの資本制経済の発展が示しているのは、明らかに後者の側面の正しさに他ならないのである。
 われわれは、こうしたリカードのセイ法則のとらえ方を総括するとき、それが資本蓄積の長期的な傾向に対する見方と決して切り離せない内容であることがはっきりとわかる。そして、古典派経済学を全体として総括的にみるならば、スミスの定義した富の増大を約束するものとしての、資本制経済の長期的な発展のビジョンを共有していたと考えなければならないのである。すなわち、古典派経済学は全体として、長期的な意味で、資本制の健全な特性についての明確な信頼があり、その一つの表現がセイ法則である<40>。
                脚注<1>  ケインズ(1936)、邦訳、p.20。
<2>  Sowell(1974)、p.5。
<3>  ケインズ、同、pp.19〜22、27等参照。
<4>  ランゲ(1942)、パティンキン(1965)、ただしパティンキンは、セイ法則の恒等式的理解が古典派にとって固有のものであるという点は否定している。
<5>  古典的二分法との関連については、根岸(1981)、「第11章古典的二分法と中立貨幣」参照。
<6>  森嶋(1977)。
<7>  Lerner(1939)。
<8>  シュンペーター(1954)、邦訳、p.1296。
<9> Sowell(1972)、p.33、同(1974)、p.43。
<10> Becker and Baumol(1952)。
<11> パティンキン(1965)、邦訳、p.332。
<12> 同、p.612。
<13> メンデリソン(1960)。
<14> 「古典派経済学は全体にとりわけ特徴的なのは、彼らの考え方には経済政策を重視する傾向が顕著であった、ということである」、ドッブ(1973)、p.55。
<15> Sowell(1974)、p.43。
<16> Say(1821)、p.134。
<17> 同、p.135。
<18> 同、p.137。
<19> 同、p.137。
<20> 同、p.139。
<21> 同、p.139。
<22> 同、p.135。
<23> セイ(1820)、p.18。
<24> Hollander(1987)における、リカードのセイ法則についての議論は、それがセイの恒等式に対応するか、セイの方程式に対応するかという議論に矮小化している。
<25> リカード(1817)、邦訳、p.334。
<26> 同、p.334。下線は鷲田。
<27> リカードもマルサスも、その議論の早い時期から両者の間での意見の相違が、対象とする経済的問題に関するそれぞれの時間的視野の違いからきていることをある程度認識していた。1817年7月24日のマルサス宛の書簡の中で、リカードは次のように述べている。
 「幾度となく討論をかさねてきた諸問題に関するわれわれの意見の相違の大きな原因は、あなたがいつもここの変化の直接的な、そして一時的な効果を考えていら
っしゃるのに対し私はこういう直接的な、そして一時的な効果をまったく度
外視して、それらの変化から生じてくる事態の永続的な状態にもっぱら注意を向けている点にあるように思えます。おそらくあなたはこれらの一時的な効果を余りに高く評価なさるのに対して、私はそれらをあまりに過小評価しようとするのでしょう。この問題をまったく正しく処理するには、それらの変化を慎重に区別して記述し、それぞれに当てはまる効果を帰属させるべきでしょう」、リカード(1818)、p.141。
<28> リカード(1820)、邦訳、p.388。
<29> 同、p.391。
<30> リカード(1821)、p.256。
<31> 「リカードの意味は、セイのいうようなかれこれの生産部門の単なる過剰供給ないし過少供給は、「将来の生産調節」すなわち資本の配分の変化をつうじてなされる利潤率の平準化機構の中に吸収されるべきであって、それ自身一般的利潤率の成立を媒介する基本事情でこそあれ、偶発的事情にもとづくところの、たとえば戦争等による「貿易通路上の不意の変動」等にもとづく、固有の部分的恐慌の原因となりうるものではないということである」、中野正(1948)、p.257。
<32> 「不況と失業という事実とセイ法則を和解させようとした最初の体系的な試みはリカードの『経済学および課税の原理』の「貿易路の突然の変化について」の章である」、Sowell(1972)、p.29。
<33> リカード(1817)、p.304。
<34> 同、p.306。
<35> 同、p.307。
<36> たとえば、リカード(1820)、pp.404−407。
<37> リカード(1815)、p.155。
<38> 同、p.171。
<39> リカード(1817)、p.341。
<40> ここでのわれわれと類似した観点からセイ法則をとらえようとしているものに、小林時三郎(1966)の「セイ法則にかんする若干の覚書」の中の次の記述がある。
 「スミスは、経済の発展を可能ならしめる資本蓄積の直接の原因は節約であり、これがこれまでの資本に添加され、資本としてより多くの生産的労働者を活動せしめるという。この生産的消費によって国富は増進する。この国富増進のビジョンを支えることが、「販路の法則」の本来の任務であったとも考えられる。国富の増進は節約の問題である。節約はもちろんそれ自体無条件に国民所得の上昇に資するものではない。しかし、再生産的支出としての、蓄積としての、投資としての節約は、生産の上昇をもたらすであろう。生産はそれ自体の需要を創り出すというセイ法則の意味は、その大きさのいかんにかかわらず、あらゆる節約は国民所得および国民的富の発展に対して積極的な作用を及ぼすというテーゼのうちに、そのもっとも重要な結論を見いだすであろう。
 セイ体系をこの投資は所得を創り出すというビジョンにかかわらせて理解するとき、あのケインズのセイ法則に対する攻撃をどのように考えるべきであろうか。セイ法則か、ケインズ法則かという命題はもはや無意味なものとなるか、あるいはその重要性を失うであろう。しかし、この点は、セイの片言隻語に対してまでも、慎重な配慮と理解によって、ケインズの体系との関係を明らかにしなければならないであろうし、同時にセイ法則の解釈への新しいパースペクティブを発展せしめることが可能となる」(同、p.226、仮名遣いを一部変更させていただいた)

第3節 古典派成長経路の諸特性
1 資本制経済の均衡成長経路とその特性
 古典派経済学が資本制経済の長期的な成長経路として予想したのは、貯蓄が過不足なく投資に転化し、富の拡大再生産が順調に行なわれる経路であった。この節では、こうした古典派経済学がその分析の中心においた成長経路がいかなる特性を持ちうるのかを数学モデルを用いて分析する。ただし、ここではこれまでのような結合生産をも許容するような一般的モデルではなく、より限定されたモデルを用いる。というのは、その方が経済成長の長期的な傾向をより明確に、かつ端的に示しうるからである。
 成長均衡状態の検討から話を始めよう。そのために、あらたな基本モデルを導入する。それは、これまでのモデルとの関連では、加工消費財に関する部分をすべて取り除いたモデルとなる。すなわちそれは、結合生産を排除することである。すなわち、製造業部門はただ生産財だけを生産し、消費財としては農業部門の生産物である穀物だけを考えるというモデルである。あとはすべてこれまでと同じ構造をしているので、詳しい説明は省略しておく。<1>
 x1tを第t期中に生産されt+1期の期首にストックとして存在する生産財の量とする。同じく、x2tは穀物の量である。これらの財貨はt+1期の期首から利用可能であるとしよう。これらの生産された財貨は、t+1期の期首から生産財ストックの補填、そのストックを増加させるための投資、そして消費のために用いられる。それらをそれぞれDt+1、It+1そしてCt+1とおく。ここでは通常マクロ経済学で想定されるような政府支出あるいは外国貿易などは捨象している。そこで、ストックとして存在する財の量より以上に需要することはできないから、
            x1t≧Dt+1+It+1
   x2t≧Ct+1
となる。ここで、もし不等号が厳密な不等号として成立していれば、生産された財かが完全に需要されていないことを意味している。さしあたってそうした状態は排除する。われわれは成長均衡の第一の仮定として、財が完全に需要されるという想定を採用する。従って上の二つの式は等号で成立しているとする。すなわち、これは古典派経済学がセイ法則(販路の法則)として表現していた想定の導入に他ならない。
 さらにかく需要項目について詳細に検討することにしよう。まず補填需要Dt+1について調べよう。補填需要とは、前期の生産によって使用された生産財を、今期も少なくとも同じ規模で生産が行われるために必要なだけだけの需要である。前期に生産財はx1tだけ生産されたので、それに必要な生産財自身はa1x1tである。また同様に穀物の生産のために使用された生産財はa2x2tである。従って補填需要は全体として、
Dt+1=a1x1t+a2x2t
となる。次に投資需要について調べてみよう。まず前期の生産のために使用された生産財のストックはDt+1そのもの、すなわちa1x1t+a2x2tであることは容易にわかる。しかし、実際に生産用に存在していたストックと必ずしも同じではない。実際のストックは前期に生産を予定していた量に規定される。そこで、各期の期の期待される生産量をそれぞれxe1t,xe2t としよう。また、生産財はしようされない限り新品として維持され続けるとする。すると投資需要は次のようになる。
  It+1=(a1xe1t+1+a2xe2t+1)−(a1xe1t+a2xe2t)
 したがって、もし実際の生産量が予定されていた生産量よりも下回る可能性も存在する。われわれの想定の下では、逆に上回るとは考えにくい。こうした生産財ストックの不完全利用は一つの不均衡であるが、われわれは、ここで第二の仮定としてそうした状態を排除しストックの完全利用を想定しよう。従って、予定された生産と実際の生産は一致し、
  It+1=(a1x1t+1+a2x2t+1)−(a1x1t+a2x2t)
となる。この仮定を導入することによってDt+1+It+1は簡単に次のように表せることになる。
        Dt+1+It+1=a1x1t+1+a2x2t+1
従って第一の仮定とも結び付けると、生産財についての需給方程式は、
  x1t=a1x1t+1+a2x2t+1        (1)
となる。
 次に消費について考える。まずここではこれまでと同様に古典派的な資本制経済の2階級モデルを考えるので、消費財は労働者の消費と資本家の消費に分かれることになる。どのように分配されるのかが問題である。古典派的な分配の理論を用いることになる。まず労働者の方から考えよう。われわれはこれまでと同様に、賃金が生産に先だって支払われるとしよう。今期の生産において雇用される総労働者数は、
l1x1t+1+l2x2t+1
である。従って支払われる賃金総額は貨幣賃金率をwとして、
w(l1x1t+1+l2x2t+1)
となる。ここでは、古典派経済学の想定を採用して労働者は賃金をすべて消費財に支出すると仮定しよう。また、以下生産財の価格と穀物の価格をそれぞれp1、p2で表わすことにしよう。すると、これによって購入される穀物の量は、
 w(l1x1t+1+l2x2t+1)

p2
となり、穀物で計った実質賃金率d2とすると、労働者によって需要される穀物の量は、d2(l1x1t+1+l2x2t+1)となる。
 一方、資本家の消費は利潤からの支出である。前期の生産活動の結果として受け取ることが可能な資本家の全体の利潤総額Πは、
 Π=x1t[p1−(p1a1−wl1)]+x2t[p2−(p2a2−wl2)]
となる。ただしここで注意しなければならないのは、この利潤はすでに実現した利潤ではないということである。これは、実際にそれぞれの生産物が需要し尽くされることによって初めて現実のものとなる。しかし、われわれの場合、古典派的なセイ法則を前提にするので、これらの利潤は事後的にも必ず実現されたものとなる。
 ここで、この二つの財の価格をどのようなものとして与えるのかについて述べておこう。ここでは、古典派的な再生産価格体系によって与えられていることを想定しよう。すなわち、それぞれの価格が生産費用と一般的利潤率によって与えられていると考えるのである。この体系は次のように表現される。
        p1=(1+r)(p1a1+wl1) (2)
        p2=(1+r)(p1a2+wl2) (3)
w=p2d2 (4)
(2)は、製造業部門における費用価格の均衡式であり、(3)は農業部門のそれである。これらの式で相対価格p1/p2と一般利潤率rが決定できる。この式を見ればわかるように、この価格体系は前章のスミスの価格体系を表現するために用いたモデルと強い関連性がある。すなわち、この体系は前章の体系において常に加工消費財の価格がゼロになっている場合に相当するのである。加工消費財の価格がゼロになっているというのは、加工消費財が常に需要が供給を上回るという状態、すなわち自由財になっている状態に相当する。そして、そのような場合にまた均衡において前章の二つの式は常に等号で結ばれるので、ここでの体系に完全に一致するのである。
 この一般利潤率rを用いると利潤Πは次のように変形できる。
       r
           Π=(p1x1t+p2x2t)
        1+r
この総利潤は一部分が消費にまわり他の部分は貯蓄され投資の原資となる。資本家の平均貯蓄性向は一定でそれをsとしよう<2>。すると資本家の総消費額は、(1−s)Πとなる。結局、穀物の総消費は、
    Ct+1=d(l1x1t+1+l2x2t+1)
  r
       +(1−s)(px1t+x2t)
1+r
となる。ただしここでpは穀物で計った生産財の相対価格である。したがって穀物の需給方程式は、
    x2t=d(l1x1t+1+l2x2t+1)
  r
         +(1−s)(px1t+x2t) (5)
1−r
である。この(1)、(5)は一組つの差分方程式を構成し初期条件(x10、x20)さえ与えられれば均衡成長経路が規定される。この経路は、われわれの二つの基本的な仮定にもとづく経路である。その経路を検討する前に、その中の一つの特殊な経路を調べてみよう。それは、成長の過程でその構成比と成長率を変えないような経路である。それは一般に均斉成長経路と呼ばれる。そこで、その構成(Configuration)をx1、x2とし成長率をgとしよう。これを用いると、(1)、(5)式は次のようにかくことができる。
  x1=(1+g)(a1x1+a2x2)         (6)
    x2=(1+g)d(l1x1+l2x2)
  r
         +(1−s)(px1+x2) (7)
1+r
この体系によって、構成比と成長率をえることができる。ただし構成比と成長率が正の値をとるかどうかという問題がある。まず成長率についてだけ調べてみよう。そのためにここで、生産価格体系を再度提示しておこう。(2)にx1をかけ(3)にx2をかけて各辺を加える。
   p1x1+p2x2=(1+r)(p1a1x1+p1a2x2
                        +wl1x1+wl2x2)
次に(6)にp1、(7)にp2をかけて加え、若干の変形を加えると、
1+rs
   (p1x1+p2x2)=
1+r
         (1+g)(p1a1x1+p1a2x2 +wl1x1+wl2x2)
この二つの式より簡単に、
    rs=g              (7)
が導出できる。この式の意味は明かであろう。すなわち利潤のうちから貯蓄されるだけ経済成長にまわされることが、利潤率と成長率との関係として表されているのである。すなわち、貯蓄は必ず投資にまわることを意味している。われわれは、労働者が貯蓄しないと想定しているので成長率は資本家の貯蓄に大きく依存することになっている。
 ところで、この(6)、(7)で表わされる均斉成長経路が経済的に意味ある経路であるためには、少なくとも次の二つの条件が満たされていなくてはならない。第一に、成長率gが正でなければならないということである。第二、部門構成比が正でなければならないということである。まず、成長率が正であるためには、(7)式から明らかに一般利潤率が正であればよい。利潤率が正であるためには、次の二つの条件が満たされなければならない。
1>a1
a2l1
     1>d2( +l2)
1−a1
この二つの条件はすでに登場してきているものである。第一式は、生産財の再生産条件であり、第二式は前章の基本モデルの剰余条件(34)である。この剰余条件は、前章において加工消費財ではなく生産財が再生産の上で相対的に希少なものになっているときに、満たされなければならない剰余条件を意味していた。また、これらの条件が満たされているときに、再生産価格はともに正であることが示せる。われわれは、以下これらの条件が成立していることを仮定する。したがって、均斉成長率は正である。
 第二の条件は部門構成比が正かどうかという点である。これは簡単に正であることが確かめられる。というのは正の一般利潤率に対応する生産価格はともに正であった。したがって(2)より、1−(1+r)a1 >0 である。またsは正でかつ1よりも小さいから、1−(1+g)a1>0でなければならない。ところがx1とx2の一方だけが正で他方が負であればこの後者の関係と矛盾するのである。したがって、部門構成比は正である。
 こうしてわれわれは、成長率gが正で部門構成比が正である解があることがわかった。この解が意味していることは、(1)(5)を満たす経路のなかでもし初期の生産物ストックの構成比がこの解のような構成比であれば、その後の経路は常にこの構成比を維持し続け、両部門の成長率がgで増大しつづけるような経路となるということである。その様子は図2−1に描かれている。
 次にわれわれが検討すべき点は、もし初期時点がこの均斉成長経路の構成比とは異なる点であれば、その後の成長経路はどうなるかという点である。これについては(1)、(5)を差分方程式とみた場合のもう一つの解を調べればわかる。成長率のもう一つの解が複素数となることはありえないので、均斉成長の回りを循環するような経路になりえないことはすぐにわかる<3>。したがって均斉成長経路に漸近的に収束するか、それからどんどん離れてしまうかである。ほかのところで証明が与えられるが<4>、このモデルに関しては最後のような経路しか存在しないのである。しかもその経路は、いずれ産出が共に正であり続けることができなくなってしまうのである。そうした意味で均斉成長経路は強い不安定性を持っているのである。
 われわれは、二つの仮定で需給の不均衡を排除しまた生産財の不完全利用も排除した。まさにそうした不均衡を排除したために成長がきわめて不安定になってしまったともいえる。ところでいま、経済が順調に成長している場合を考えよう。すなわち、それは均斉成長経路上を成長しているとするのである。このとき、何等かの新しい技術が導入されるとどうなるだろうか。いま、生産財部門で単位生産に必要な生産財の量が減るような新技術が導入されたとする。このとき均斉成長経路の均衡部門構成はどのように変化するだろうか。それは、生産財部門の比率が小さくなるように変化することが次のような推論によってわかる。生産財使用についての係数が小さくなると、前章の議論によって利潤率は増大し、また生産財の相対価格も減少する。する。したがって、資本家の貯蓄率が変わらない限り均斉成長率も増大する。(7)をx2で割ったものを考えると、それらの変化の関係から、生産財部門の相対構成は減少しなければならないことがわかるのである。また、もしどちらの部門かの労働係数が減少すると、今度は(6)を利用することによって生産財部門の相対構成が増大しなければならないこと、同じ意味だが、穀物部門の相対構成比が小さくなる。このモデルの想定している状況が成立している限り、経済は均斉成長からいきなり不安定成長に突入することになる。これらの関係は以下の図2−2に描かれる。
 しかし、そうした技術変化は考えないとしても、この経済の均衡と安定成長のトレードオフは絶対視できないものなのであることに注意しなければならない。というのは、それがこの均衡成長のモデルの特性に依存しているからである。例えばモデルの基本構造がこの場合と異なる動学的レオンティエフモデルの場合は、一様均衡成長が安定である場合が存在することが知られている。
 ここでの均斉成長経路は、古典派経済学が彼らの長期的蓄積論において前提にした要請の基本的なものを備えているものである。すなわち、需給とか生産の稼働状況になんの不均衡も存在しないような状況を考えているという点である。そうした意味でこの成長経路を均衡成長経路と呼ばれうるものであるが、その性質を調べることによって経済成長というもがどのように持続していくものか、その条件について一つの新たな認識を得ることができたことは間違いない。しかし、こうした均斉成長経路の相対的な不安定性が長期的な意味において経済の動学的経路を強く規定するとは考にくい。古典派経済学が予想したことは、たとえこうした不安定性が経済の構造に内在していたとしても、そうしたものを克服していくような長期的な安定化要因が結果として働くというものだったに違いない。しかし、こうした要因が存在するとしたらどのようなものであるかを語ることは、現段階ではできない。
 われわれは、ここまでで均衡成長経路一般に関する分析は終わりにする。しかし、この中の一つの特殊な経路である、均斉成長経路はさらに分析しなければならない特殊な性質を持っている。それは、最大資本蓄積経路のターンパイク(高速道路)として機能するということである。すなわち、古典派の意図したような、経済が最大蓄積をめざす長期的傾向を有しているならばその現実の経路はこの均斉成長経路に対して安定性を持つことになる、ということである。このことを次ぎに示そう。
2 有効成長とターンパイク安定性
 ターンパイク安定性について述べる前に、有効成長経路というものについて少しふれておこう。われわれは、ここでさらにモデルを簡単にする。すなわち、他は一定のまま資本家の貯蓄性向を1と仮定するのである。すなわち、資本家は利潤として獲得したものをすべて貯蓄すると仮定するのである<5>。また、そうしたとしても、すべての生産物が必ず次の期に生産財として利用されるのであればそれはまた均衡成長経路になり、それはすでに調べたところと同じ結論しかでてこない。そこでわれわれは、必ずしもこうした資源の完全利用はされないと考えよう<6>。したがって、ここで需給に関する制約条件だけを示すと次のようになる。
          x1t≧a1x1t+1+a2x2t+1         (8)
        x2t≧d2(l1x1t+1+l2x2t+1)     (9)
 ここで、われわれの検討すべき問題は次のように表わされる。まず、現在期の期首にある財のストックをx10とx20で表わすことにしよう。すると問題は、この初期状態から出発してある一定の期間に最大の資本の蓄積を実現するにはどうしたらいいかということである。そこで、成長経路の有効性というものを示してみよう<7>。
 第0期(初期)の生産財のストックが与えられれば、その下で実現可能な第1期(次期)の生産水準の組み合せが解る。言い換えれば、与えられて初期状態の下で、t=0として(8)、(9)式を満たすx11,x21の範囲が与えられるということである。これを図示すると図2−3のようになる。
 体系が剰余を生み出すほどに生産的であれば、上図のように両方の財を今期以上に生産する可能性がある。(ここでは、a1=0.5,a2=0.5,d2=1,l1=0.2,l2=0.5という数値を用いている。)初期状態から出発して、第1期目で到達できる範囲斜線の内側である。次に、この斜線の内側のいずれかの点から出発して、第二期目の到達可能な領域も調べてみよう。代表的な点、L,M,Nについてその点から到達可能な領域を描いたのが次の図2−4である。
 点Lから出発した経路は図のαの領域(一部しか描いていない)内ならば到達可能である。また、M,Nについてはβ、γの領域が到達可能になり、結局、線形体系なので、それらを含む包絡線内は到達可能となる。この包絡線で囲まれた領域は、初期状態から出発して到達可能な領域であって、この領域から東北の方角に外れた領域は決して実現できない。この到達可能な領域のもっとも東北の方向の境界を有効成長フロンティアと呼ぼう。この領域の性質を調べるために第3期目も考えてみる。(ただし以下の議論は、第2期においても可能である)そこで、M’からm”への成長は可能である。すなわち、Sから出発してM,M’,m”という成長は、実行可能な成長経路であることは解る。しかしこのm”点は、第三期における有効成長経路の内点である。ということは、m”よりも1財も2財も多いP”のような点とそれにいたるSPP’P”という経路が存在して、それが3期間で到達可能ということである。したがってSMM’m”という経路は有効な成長経路ではないということである。このことによって、われわれは、初期状態を出発する実行可能な成長経路のうち、すべてがそれぞれの期の有効成長フロンティアに到達するわけではないということが解る。
 ここで、以上の分析の中でふれなかった一つの点について言及することが必要であるように思われる。それは、われわれの制約条件について、たとえ有効成長経路であっても、すべての期において等号が成立して成長するとは限らない。ということは、もし不等号になっている場合、その残った財貨がどうなっているのかが問題になる。食物ならば、腐ってしまって時期まで残せる可能性の少ないものばかりである。しかし、生産財の場合は、ふつう多くのものが保存可能である。ということは、それらの財貨は次期になっても使える可能性があるということである。ここでのモデルにおいては、こうした点は、まったく考慮されていない。しかし、それも簡単化のためであって、たとえその点を考慮したとしてもこの節、あるいは次の節における主要な結論まったく変わらない。
 さてここまででわれわれは、初期状態からのすべての実行可能経路が、それぞれの期の有効成長フロンティアに到達するのではないということを明らかにした。計画期間が長くなればそれだけ、多くの成長経路が有効成長フロンティアに到達できなくなる。そこで、この節では、最後の有効成長フロンティアに到達するような成長経路がどのような性質を持つのかを調べることにしよう。
 結論を先取りすれば、そうした有効成長経路はそのすべてが、一つの同じ一様均衡成長経路の近傍に、計画期間の大半を過ごすことが示されるのである。これは、いわゆるターンパイク定理と呼ばれるもので、それ自体驚くべき性質であるとともに、1960年代の理論経済学が生みだした最も価値ある理論の一つである。これは、経済を計画的に運用する上で、きわめて重要な情報となる。というのは、計画最終期における目標部門構成がいかに違っていても、その間の成長の効率性を追求する限り、一様均衡成長に向けて経済を運用することが共通の最適な成長政策となるからである。そして、その点に関する限り、社会的な合意形成の可能性が高いものとなる。またそれは、単に計画経済のもとでの成長経路について有益な情報を与えるだけでなく、現実にこの資本制経済においても、急速な成長を遂げた経済はそのターンパイクの近傍にあったと考えることによって、重要な分析の視点を与えるものとなろう。実際、ターンパイク定理の証明を見れば明らかなようにそれは長期的な時間視野を持った理論である。資本制経済が、長期的にみて大きな成長を遂げてきたという、われわれが前節での議論の前提にした事実は、その現実的なメカニズムの完全な理論化はできないにしても、長期的に資本制経済がこのターンパイクにのる傾向を持ちうるものであることを示している。古典派経済学の最良の部分が考えたセイ法則の中身は、現実成長経路のターンパイク安定性の長期的な成立であると考えられるのである。
 このターンパイク定理の研究には、多くの成果がある。われわれの議論しているのは、いわゆる資本蓄積(最終状態、Final State)ターンパイク定理と言われているもので、成長の目標を最終的なストック水準においている。これに対して、大きく分ければもう一つ、成長過程で生み出されるフローの総量についての評価を最大にする、消費ターンパイク定理と言われるものもある。しかし、この消費ターンパイクというのは、資本制的価値観と、計画経済的な考え方を折衷したようなものであり、われわれのテーマからははずれるものである。したがって、われわれは、資本蓄積ターンパイク定理に注目しながら、それを分かりやすく、かつ精密に示すことにしよう。
 まず、ターンパイク定理が成立する様子を図で現わすことにしよう。この図2−5ではSからYあるいはY’に至る二つの有効成長経路を表わしている。その経路は、はじめの期に大きく均斉成長経路(ターンパイク、高速道路のこと)に方向を変え、それに沿って成長を続け、最後に搖れながら目的の産出構成に到達している<8>。その様子は、われわれが高速道路を利用する様式に極めて類似している。すなわち遠くにいく場合、多少離れていても、まず高速道路に乗った方が短い時間で目標に到達できるということである。
 このターンパイク定理をより詳しくみるために、計画問題を正確に立てることから始めよう。初期状態は同じx10,x20とする。ターンパイク定理は目標を多少変更したとしても成立し、結果は変わらないが、さしあたってある与えられたT+1期の生産水準の構成比y1,y2 のもとで、その規模を最大にすることと考えよう。すなわち、最終期に到達する生産水準をμy1,μy2として、このスケールファクターμを最大にするということである<9>。最適経路のターンパイクへの接近は、この最終構成には依存しないことをもう一度指摘しておく。したがって、問題は一つの線形計画問題として、次のように表わされる。
           max.μ
s.t.
      x1t≧a1x1t+1+a2x2t+1  t=0,1,2,・・・・,T-1 (10)
      x2t≧d2(l1x1t+1+l2x2t+1)t=0,1,2,・・・・,T-1 (11)
      x1T≧μηTs1         (12)
      x2T≧μηTs2       (13)
      s1=a1y1+a2y2              
      s2=d2(l1y1+l2y2)         
      xi0>0 given             
      xit≧0   i=1,2;t=0,1,2,・・・・T   
ただし、ここでηはすでに述べた均斉成長率に1を加えたものである。(12)、(13)式の左辺においてηTがかけられているが、これはなんら最適経路に影響を与えないことは明かである。この問題について、ターンパイク性が成立することを簡単にスケッチしてみよう。こうした線形の多部門モデルにおいて、一般にターンパイク定理は、2段階に分けて証明される。一つは、この解の最適経路が、ある等号経路に接近していることを示すことである。等号経路とは、(10)、(11)で表わされる財の需給に関する制約条件が、その経路の下では等号で成立している特殊な経路のことである。したがって、その経路の下では財貨が完全に利用されている。この経路のことを、レオンティエフ経路ともいう。 第二の段階は、その等号経路が、均斉成長経路にほかならないことを示すことである。この二つの段階によって、初めてターンパイク性は完全に証明されたことになるが、われわれのモデルの場合、第一の段階の議論によって、第二段階の結果がかなりはっきりと予測される。というのは、われわれのモデルは、均斉成長経路以外の等号経路が不安定で、必ずいずれは経済的意味のない負の値を持つことになってしまうことがさきに示されているからである。したがって、計画期間が十分長い状況では、均斉成長経路以外の等号経路に接近していれば、目標資本構成に到達することは不可能だからである。そこで、われわれはこの第一段階の点だけを、完全に示すことにしよう。
 以下では、最適経路を{xit、i=1,2;t=0,1,2,・・・・・T}としよう。そして、この最適経路に対する、一つの比較経路を考える。比較経路は、実行可能な経路、すなわち問題の制約条件を満たす経路で、かつ次のようにして構成される。いま、一様均衡成長経路の構成比をx1,x2とする。ただし、x1+x2=1であるよう正規化してあるとする。そして、第1期において、いきなりターンパイクに乗るとしよう。すなわち、ζを正の実数として、
x10≧ζ(a1x1+a2x2)
x20≧ζd2(l1x1+l2x2)
を満たす最大のζを考えると、ζx1,ζx2は、初期状態から、第1期においてターンパイクに乗った点にほかならない。図にかくと図2−6のようになる。
それ以後この均衡成長をT期まで続けるとその産出水準は、ηT-1ζx1,ηT-1ζx2 になる。この産出水準によって、到達可能な目標産出構成の規模μは次の制約条件を満たす最大のμということになる。
             ηT-1ζx1≧μηTs1
             ηT-1ζx2≧μηTs2 
このμは比較経路によって到達可能なμの最大値ということになる。これをμcとおくことにしよう。すると、両辺をηT-1で割れば明らかなように、μcは、計画期間Tにまったく依存せずに決まることがわかる。一方最適経路によって達成される最大のμをμeとおくことにしよう。明らかに、
              μc≦μe (14)
でなければならない。
 次に、等号経路からのはずれたことによる残差λitを次のように定義しよう。
    λ1tηt=x1t−(a1x1t+1+a2x2t+1)  
    λ2tηt=x2t−d2(l1x1t+1+l2x2t+1) t=0,1,2,・・・・・,T-1
両辺をηtで割り、zit=xit/ηtとおくと、
    λ1t=z1t−η(a1z1t+1+a2z2t+1)  
    λ2t=z2t−ηd2(l1z1t+1+l2z2t+1) t=0,1,2,・・・・・,T-1
ここで先の(2)、(3)および(4)式で与えられる均衡生産価格をp1とp2としよう。また、そこでの議論との関係では資本家の貯蓄性向は1となっている状態であるから、η=1+rという関係になっていることに注意しよう。この等号経路からはずれたことによる損失を、均衡生産価格で評価しそれを合計しよう。すなわち、
T-1
 (p1λ1t+p2λ2t)=z10+z20
t=0
T-1
+(p1z1t+p2z2t
   t=1     
   −η[p1(a1z1t+a2z2t)+p2d2(l1z1t+l2z2t)])
   −η[p1(a1z1T+a2z2T)+p2d2(l1z1T+l2z2T)]
である。しかし、この右辺は均衡価格を表わす式を考慮すると、の項が0であることがわかる。すなわち、
T-1
 (p1λ1t+p2λ2t)=z10+z20
t=0
    −η[p1(a1z1T+a2z2T)+p2d2(l1z1T+l2z2T)]と簡単になる。さらに、(12)と(13)の制約式と、最適経路であることに注意するとこの式は、
T-1
 (p1λ1t+p2λ2t)≦z10+z20
t=0
    −ημe[(p1a1+p2dl1)s1+(p1a2+p2dl2)s2)]
さらに(14)式より、
T-1
 (p1λ1t+p2λ2t)≦z10+z20
t=0
    −ημc[(p1a1+p2dl1)s1+(p1a2+p2dl2)s2)]
となる。この式の右辺はまったく計画期間Tに依存していない。ということは、計画期間をどの様に長くしても、等号経路をはずれることによる価値損失は計画期間に依存しないある一定の値によって上限を画されているということである。より精密には次のようにいい直すことができる。上の式の右辺の値をVとする。また、p1とp2はともに正であるからそのうち小さい方の値をαとおく。このときλ1t+λ2tをノルムと考えてそれがβよりも大きくなった期間をτとすると、
     ταβ≦V
すなわち、計画期間がいかに長くなろうとも、τはV/αβ以上にはならないことを意味している。
 以上の議論で、計画期間が長くなれば、最適経路はそのほとんどの期間をある等号経路の近くで過ごしていることがわかった。そして、先にも述べたように、われわれのモデルにおいては、その等号経路とは、一様均衡成長経路以外にはありえないのである。すなわち、最適経路は、ターンパイクについて安定であることがわかった。
3 資本蓄積ターンパイクの数値例
 ここでは、先に示した技術的なモデルに関する数値例を示そう。すなわちa1=0.5,a2=0.5,d2=1,l1=0.2,l2=0.5である。そして初期状態は、以下の2つの例においていずれも製造業部門1、農業部門1というように与えられている。ただし、最終的な生産水準の構成比は第1の例が、製造業部門:農業部門が1:2になるように構成されており、後の例は逆にそれが3:1になるように与えられている。ここでは最適解をだすために、線形計画における改訂シンプレックス法を用いて、計算した。
(例1)

  最適産出水準   構成比

 期 製造業部門 農業部門 製造業部門  農業部門

0 1.000001.000000.500000.50000
1 1.225140.774860.612570.38743
2 1.500970.949320.612570.38743
3 1.838811.163120.612540.38746
4 2.252291.425330.612430.38757
5 2.756531.748050.611940.38806
6 3.361632.151440.609760.39024
7 4.033952.689300.600000.40000
8 4.482173.585740.555560.44444
9 2.981115.976230.333330.66667

(例2)

  最適産出水準   構成比

 期 製造業部門 農業部門 製造業部門  農業部門

0 1.000001.000000.500000.50000
1 1.225150.774850.612580.38742
2 1.501000.949300.612580.38742
3 1.839011.163000.612590.38741
4 2.253371.424640.612660.38734
5 2.762411.744320.612950.38705
6 3.393632.131200.614250.38575
7 4.208102.579160.620000.38000
8 5.429802.986390.645160.35484
9 8.144702.714900.750000.25000

 ここで、両部門とも同じ初期状態から出発している。最終構成比は、第1例の場合は農業部門の構成比が高いようにしてあるが、第2例の場合は逆に製造業部門の構成比がかなり高いようにとっている。しかし、二つの例において共通に次のような特徴が確認できる。第1に、初期状態から次の第1期にいきなりほとんどターンパイクにのっているということである。ここに、均斉成長経路にのることがいかに産出水準を増大させる上で重要な意味を持つかがはっきりと示されている。第2に、第6、7期まではほとんどターンパイクにのり続けていることである。先に、ターンパイク理論は長期の理論であると述べたが、われわれのようなたかだか10期間の資本蓄積最大化問題を構成するだけで、このターンパイク安定性がはっきりとあらわれてくるのである。この点はまさに注目すべきであろう。そして、残りの第8、9期で最終的な産出構成比に大きく軌道を修正していることがわかる。
脚注
<1>以下での均斉成長経路に関する議論は、置塩(1975)を参照。
<2>第1章第5節では資本家はすべて貯蓄すると仮定していた。
<3>差分方程式については、岡本(1975)など参照。
<4>本節の補論。
<5>この仮定をせずに、また部門数を一般にn部門にした場合の証明は補論で与えられる。
<6>ただし、財のすべてが利用されなくても、余剰財をただ次の期に繰り越すだけの機能を持った部門を考えると、以下のターンパイク安定性についてまったく同じような結論を得る。
<7>DOSSO(1958)のなかで提出され分析された
<8>この「搖れながら」というのは、理論的に証明が与えられるのではなく、実証分析、数値計算からの経験則である。
<9>補論においてはT期の期末ストックの構成比を与えているので、多少異同があるが結論、証明方法ともほとんど同じである。