あとがき

人間もまた生物であるという、自明の事柄から議論を始めよう。人間もまた地球上の生命の一種にすぎないのである。46億年前の地球誕生から10億年たつかたたないくらいの時に、地球上の生命は最初でしかも不思議なことに最後の誕生を経験した。地球上のあるどこか一点で、発生したのである。地球上のすべての生命はさかのぼればこの一点に収束する。この一点収束性はわれわれの遺伝子の構成要素と情報の構成の仕方およびATPによるエネルギー転換が、すべての生物で同じになっていることによって示されている。われわれが、細胞すら持っていない原始的なウイルスと遺伝的に親戚であるといわれたからといって、確かに今更驚いたりはしないかも知れない。われわれは進化論を知っているから、あらゆる生物が系統的に枝分かれしてきた種の一つの末端に位置するにすぎないということを理解できるからである。しかし、これは一般には単に机上の理解にとどまる。すなわち、われわれ人間は他のあらゆる生物とは極端に異なった生活様式を選択するにいたり、このような共通性を感じることができなくなってしまった。

われわれは他の生物とは決定的に異なる。では何が異なっているのか。余りにたくさんのものが異なっているために、とまどってしまうほどである。人間の特異性として言語とか道具、あるいは宗教のようなものをあげるかも知れない。その答はいろいろあってよいように思う。ここでは、人間が他の生物との距離を広げてきた決定的要因を、人間のエネルギーの利用の仕方に求めよう。すなわち、人間は自らの肉体によって処理できるよりはるかにたくさんの量のエネルギーを必要充足のために利用するところに、他の生物とは異なる決定的に人間らしい、したがって、他の生物との距離を絶え間なく拡大する特徴があるとみるのである。あらゆる生物がATPに体化したエネルギーを利用する。生物はエネルギーの変換器である。しかし一般に、この処理可能エネルギー量はその種に固有のある限度内にとどまっている。

人間と他の生物との差異を、エネルギー処理量が生物体に固有な限界を超えているところに求めることは、自然科学的な解答ではない。社会科学的、より限定的には経済学的な解答である。もちろん経済学はこれまでこのような点はほとんど問題にしなかったので、厳密には、経済学的な解答ではないかも知れない。しかし、われわれにとってはこの解答は決定的な意味を持っている。

われわれのこの定義によれば、200万年以前に始まった石器を作るなどという旧人類の特徴などは、特に人類らしいものではなくなる(注1)。石器は自らの肉体的エネルギーの支出によって作られるからである。今日の経済的観点からみて、人間が他の生物と決定的に袂を分けたのは、火の使用からである。人類が火の使用を開始したのは70万年前と言われる(注2)。火によって肉あるいは採取した植物を消化のよいかたちにすることは、肉体、脳の進歩ももたらしたに違いない。火の使用がもたらす熱は、気候の急激の変化をやわらげる。生肉を食べるのではなく、火によって料理された肉を食する、このために薪一本が使われたとすると、この一本の薪の熱エネルギー量こそ人類と他の生物との最初の距離となったのである。さらに、土器を焼くために火を用いるようになり、金属の加工のために火を用いるようになり一人の必要物の充足のために必要なエネルギー量は飛躍的に増大していった。こうした火をめぐるエネルギー使用の発展の他に、川の流れなどを利用した水車などによる運動エネルギーの利用も重要な点である。また、火というかたちでのエネルギーの直接的利用ではなく、蒸気機関の出現によって、熱エネルギーを運動エネルギーに利用するすべも人間は見つけだした。さらに、高密度のエネルギーが体化されている化石資源の利用は、人間のエネルギー使用に巨大な進歩をもたらした。そして、人間は原子力エネルギーの利用という、最悪のエネルギーの使用にまで手をのばした。

このような人間の外部エネルギー利用の巨大さは、他の生物との距離を決定的に大きなものにしている。われわれが、感覚的にとらえている他の生物との距離は、この外部的なエネルギー使用の巨大さゆえのものなのである。

この問題を視点を変えて考えてみる。人類はもともと生態系のだだの一員だった。いま、人類が現在の類人猿につながる種から独立し、新たな一歩を開始したのを二本足の歩行によってとらえると、それはいまから500万年から1,000万年前である。しかし、人類は生物の数十億年の歩みからみると、決定的に新しい時期に生まれたといわなければならない。人類の二本足歩行はアフリカにおける気温の低下による森林の後退によって引き起こされたという説がある。これによって人類の祖先は森林とともに縮小するか、森林を離れ平地を生活の場にするかの選択を迫られた。そして、後者を選択したものが、広範囲から食糧を採取しなければならなくなったために二本足歩行を開始したというものである(注3)。この説にたてば、人類としての決定的な一歩は非常に生態系との関係が不安定で、脆弱な状態から出発したということになる。すなわち、人類は生態系の中に埋もれている間、いいかえれば、火の使用などによる生態系からの自律的な這い上がりを開始する以前は生態系の中の脆弱な一主体にとどまっていたのである。そして、もちろんそのころは、食物連鎖の最上階にいたとは確実には言い切れなかっただろう。人間もある程度は食われていただろうからである。

火の使用は、消化可能な食物の範囲を拡大し環境の変化からくる動植物相の変化に柔軟な対応を可能にし生態系との関係における脆弱さ、あるいは受動性を克服する重要な契機になったはずである。また、気温の低下も火の熱によってある程度克服できるようになり、自然と生物の相互依存関係に対する能動的な姿勢をとるようになっていった。すなわち、それは生態系に対する相対的な自立性の確保に他ならない。もちろんそれは絶対的自立性ではありえない。しかし、エネルギーの使用が拡大すればするほどこの相対的自立性は高いものとなっていった。

1万年から7,000年前にかけて開始されたといわれる農業は、この生態系に対する相対的自立性の一つの飛躍を意味する。すなわち、農業は生態系を積極的に組み替えることを意味するからである。

このような生態系にたいする相対的自立性の高度な発展と生態系の系統的な改変は今日の環境破壊につながっている。環境破壊とは物質循環の変質でありそれは常に生態系の破壊につながっている。こうした生態系に対する攻撃的姿勢は、われわれが生態系から高度の相対的自立性を実現しているから可能になっているのである。そして、この生態系に対する自立性は、われわれ人間の外部エネルギー利用の巨大化を背景に初めて実現しているということである。

人間の生態系からの相対的自立と生態系破壊としての環境破壊は、生態系と経済との対立と表現することができる。経済の側からみれば、生態系を破壊することによって、人間の存在条件を悪化、あるいは破壊させているとみることができる。しかし、生態系もまた全体としての自己保存力を有している。破壊されても、再生の条件がある限り、自ら努力を放棄したりはしない。あるいは、もちろん意識的ではないが、現在の状況は生態系が、自らを破壊している経済に対して攻撃をしかけているといえなくもない。

われわれは絶え間なく呼吸をとおして大気と酸素、二酸化炭素などの物質交換を行っている。この物質交換はわれわれの生存のための絶対的条件である。しかし、われわれは呼吸によって、われわれ自身経済活動の結果としてのさまざまな物質も肉体に取り入れている。たとえば、化石燃料を燃やした結果としての窒素酸化物や硫黄酸化物を吸収している。これらの酸化物はわれわれ自身の肉体によって分解、ないしは固定化している。また、農薬などの、それまで自然界には存在しなかったさまざまな化学物質もこの大気には含まれていて、それもわれわれは吸収している。この化学物質は難分解性のものが多いので、われわれの肉体はこうした化学物質の蓄積の場となる。われわれより上位の捕食者はいないので、地球という観点からみれば幸いにも、人間が肉体にため込んだ不幸の種は、さらに別の生物種に移転される可能性は少なくなる。死とともにわれわれの肉体は分解過程にはいるからである。化学物質はたとえ分解されなかったとしても、分散させられる。

われわれは日々、食事などをとおしてさまざまな生物あるいは水を肉体に取り入れる。それによってまた、さまざまな化学物質も吸収し呼吸と同様に分解し、またあるものは蓄積する。われわれが取り入れる生物は不幸にも上位の捕食者が地球的規模の食物連鎖の中に存在したことになる。しかし、それが動物である場合、すでにそれが化学物質の生物濃縮の主体となっているので、濃縮された化学物質をわれわれは取り入れることになる。

これらのことは、生態系の破壊を最小限にくい止めるために、われわれが汚染された生態系の清掃人になるように強制されているのだとはいえないだろうか。

今日の環境破壊をめぐる基本的な問題は、生態系との対立をどのように克服していくか、あるいは、生態系との関係をどのようなものとしていくのかである。基本的に二つの道がある。第一の道は、経済を生態系の側にすり寄せることである。すなわち、経済の構成原理から生態系と対立する内容をできる限り取り除くことである。第二の道は、生態系の組織化をより徹底的に行うことである。すなわち、生態系の自立的な力を経済の方から完全に制御し、人間にとって必要な剰余を、持続的に生み出すように組織することである。前者は、経済が生態系に包摂される道であり、後者は経済が生態系を包摂する道である。

農業についてみてみよう。第一の道は、生態系破壊の農地面積の拡大をやめ、農薬の使用を中止し、人工肥料の投入も最小限に少なくしていくような農業に変えていくことである。第二の道は、農薬の散布による生物濃縮の進行を何らかの技術的な方法で回避し、農薬によって引き起こされた昆虫の異常発生などの生態系の改変を、人間にとって害あるものとならないように、生態系の構造を正確に認識し、技術的対応を考えることである。大気汚染について考えてみる。第一の道は、事実として汚染物質が事実として生態系に害を与えない程度に徹底的に減少させることである。第二の道は、汚染と生態系破壊の関係をできる限り正確に把握し、生態系破壊を生み出さないような防除的手段の開発、生態系の許容量の正確な評価などによって最大限排出可能な量を産出していくことである。また、壊れてよい生態系と壊れてはならない生態系の正確な認識も必要になってくるだろう。

もちろん、このどちらの道においても経済成長は社会的な目的となってはならない。また、物質的循環を持続可能なものにするという点では、どちらの道においてもわれわれにとって必要とされるシステムは定常循環系としての経済である。その上で、このどちらの道が問題を解決するかという点については、どちらの道でも正しく行われれば問題を解決する抽象的な可能性はあるといえる。しかし、どちらの道もひどく困難である。先進国経済が自らこの定常循環系としての経済の道を選びとる可能性は現状では小さい。また、低開発国が現在の先進国のような環境破壊型の経済成長の道をあらかじめ拒否する可能性もまた小さい。こうした困難にとどまらず、問題の規模の大きさと深刻さにおいて、われわれに残された時間が十分存在するとはいいがたい。このような困難な状況に流されるかたちで、人類がどちらの解決の道に踏み出したともいえないままに、生態系と経済の決定的な対立が生じてしまう可能性は否定できない。

われわれ人類は、主体的に解決の道を選べないまま、この最後のような状況に追い込まれないように、自らの異常に発達した知性と比較的遅れた理性を最大限に発揮しなければならない。

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本書の内容の一部は『経済理論』(和歌山大学経済学会)に発表した5編の論文が基礎になっている。その初出を以下に示しておく。



\item 「必要原油による家計支出の評価」\\ 第242号 1991年7月 \\(第2章、第2節)\item 「循環系経済における純生産と資源散逸条件」\\ 第243号 1991年9月 \\(第3章、第1節)\item 「廃プラスチック油化技術の原油節約効率」\\ 第244号 1991年11月 \\(第3章、第2節)\item 「太陽光発電システムとエネルギー回収年」\\ 第245号 1992年1月 \\(第4章、第3節)\item 「エネルギー資源のプロメテウス条件」\\ 第246号 1992年3月 \\(第4章、第2節)





脚注
(1)もちろん、生物進化的観点からみると、石器の使用は重要なプロセスであったにちがいない。(もどる
(2)60万年前の北京原人の堆積層からは計画的な火の使用跡が発見され、炉の一つにたまった灰は6 mの厚さにも達していた。そのほか、いくつかの人類初期の火の使用跡が発見されてるが、最も古いといわれているものはケニアで発見されたもので、140万年前のものといわれているが、異論もあって論争が続いている。R.レウィン、『人の進化---新しい考え』、三浦賢一訳、岩波書店、1988年刊を参照。(もどる
(3)同上、参照。(もどる

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