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はしがき

現在,人類が直面している最も深刻な問題の一つは,巨大化した経済活動と地球という自然環境のあいだの調和をどのように樹立するかである。また,現代において,ここまで自然環境の破壊をもたらしている根本原因が,私たちの社会の仕組みやそれを支えている精神構造にあることも否定しがたい。個々の環境問題の解決をはかろうとすればするほど,私たちはこのような社会の構造的な欠陥に気づき,その改革の必要性を痛感するようになっている。またこの改革の必要性は新しい世紀に向けていっそう切実になっていくだろう。本書は,社会のどのような構造が自然環境との調和を困難にしているのかを明らかにし,持続可能な社会の構造を示すことを意図している。そして,社会や個人が改革に向けた行動をおこすための一つの指針となることを願っている。

本書の準備をはじめた直後の1995年1月17日に阪神大震災が発生した。6300人を超える人々の尊い命を奪い,いまなお幾万人の人々を苦悩のなかにおとしいれているこの災害が,私たちに理解することを迫っている大事な点の一つは,人間がつくり出したモノや仕組みあるいは知識が自然の前にいかに脆弱であるかということではないだろうか。私は災害後の長い日々のなかで,近代の生み出した科学や技術にたいする過信が大きな犠牲をもたらすことを考えずにはいられなかった。

また,皮肉にもこの年の終りには,近代科学技術の集積と声高に宣伝されていた高速増殖炉がナトリウム漏れ事故を引き起こした。

私たちは,日々刻々と劣化していく身近な,あるいは地球の自然環境を前にしても,近代科学技術はそれを克服して人々に豊かな未来をもたらすはずであるなどと,錯覚してはいないだろうか。人類の現在の知識は,自然環境という豊かな母体を失ったのちも物質的な豊かさを約束するほどに優れているものでも,完全なものでもまったくない。また完全なものになる見通しもない。そのことを私たちはいままさに知らなければならない。

振り返れば,私は,私たちが生きている,あるいは生かされているこの社会をより深いところから理解したいと考えて,経済学を学ぶ道を選択した。そのときに,根底にあった問題意識は,個人と全体としての社会の関係だったように思う。すなわち,個人の自由と社会の秩序はなぜ,あるいはどのようにして調和が可能なのかという問題である。そして,私が経済学から学んだ最も重要なことは,数学的には双対性といわれる,財の価格にかんする秩序と財の量にかんする秩序のきれいな対称性,二重性が経済のなかに存在することだった。この二重性と,個人の相互連関としてとらえられる社会と個人を超えて存在している全体としての社会という二重性が密接な関係にあることを理解したとき,私は経済学という世界を個人的に突破することができたと思う。その後私は,その視点に立脚しながら,人類にとって焦眉の課題の一つである環境問題を研究テーマとして現在まで取り組んできた。そして,環境問題をとりあげることで,私たちの社会を最もラディカルにとらえることができると考えている。本書は,このような過程を経た一つの中間生産物である。

本書の第2章は,細田衛士氏(慶應義塾大学)の私的研究会,植田和弘氏(京都大学)の大学院ゼミナールで報告された。さらに,第5章については,社会・経済システム学会関西支部の定例研究会で報告させていただいた。これらの場で,多くの方からいただいた意見は本書の作成に大きな力となった。また,第3章については長久領壱氏(関西大学)から有益な助言を数多くいただいた。寺出道雄氏(慶應義塾大学)と伊藤康氏(千葉商科大学)には,本書の全体にわたって貴重なコメントを寄せていただき,また多くの誤りも指摘していただいた。これらの方々に,心から感謝申し上げたい。もちろん,本書が含んでいるであろう誤りは,すべて筆者の責任である。また本文中のすべての個人名の敬称を省略させていただいた。お許しいただきたい。

最後に,本書の出版を引き受けていただいた勁草書房と,お世話いただいた同社編集部の宮本詳三氏に感謝申し上げる。

1996年3月5日

鷲田豊明