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環境政策と自由主義
2002年8月2日公開
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概要
 
 自由主義は経済成長を支える主要なイデオロギーとして機能し、また、20世紀末に発生した社会主義世界体制の崩壊によって、経済成長と両立する唯一の思想に祭り上げられるにいたった。そして、もう一方で深刻化する地球規模の環境劣化が、経済成長と共に憎悪している現実を照らし合わせれば、自由主義が環境破壊の思想的悪性腫瘍のように思われている現実も受け入れざるを得ないところがある。自由主義は今日の環境破壊に責任を負うべきか? --- この問いに対して、われわれは理論的にも実際においても、肯定的に答えざるを得ない。自由主義には確かに欠陥が存在しているのである。しかし、自由主義の責任を極端にあげつらうことによって、それに変わる社会制度設計のための新しい思想的原理を求めることに向かってはならない。それは、単に、自由主義が人類の生み育ててきた進歩的な理念であるからという理由によるのではない。今日の多様で複雑で、その上に深刻化する環境問題、われわれの生存を支えている自然環境の劣化の問題は、それに関わるすべての人間の情報と知恵と行動力を生かすことが不可欠なのである。これを可能にする原理は自由主義の中にこそ存在する。環境問題のよりいっそうの深刻化が予想される21世紀だからこそ、自由主義の理念が切実に求められているのである。自由主義の欠陥を克服し、新しい水準に進化させるために必要な第一の課題は、人々の環境に対する意識のよりいっそうの成熟である。自由主義は無制限の自由を主体に与えるのではなく、その枠組みを規定し、そしてなによりも自己と他者に関する個々の主体の自発的な配慮意識を前提にしながら、社会全体の自生的な秩序を形成する原理である。人間が自己をどのようにとらえ、他者としての自然環境をどのように世界観の中に位置づけるか、これが環境意識の成熟に決定的な影響を与える。西洋的なものとアジア的なものには、その把握に仕方には違いがある。その違いをふまえて環境主義を発展させることが必要となる。第二には、自然環境に対して自由主義の主体としてふさわしい代理人を与えなければならない。それは自然環境の財産権の領有と一体化した形での主体化も含まれるが、もっと一般的な形で、すでに確定した財産権の制限をも可能にするような主体であって、しかも、現在の中央・地方政府からは独立した機関として成立させなければならない。このような新しい権限を持った機関によって社会の自然環境に対する意志を代理させることによって、新しい地球環境保全型の社会制度を展望する必要がある。そのためにも、環境主義に軸足を置く人々と自由主義に軸足を置く人々の多様な対話が切実に求められている。