これに対して,スミスに少し遅れて登場した哲学者のヘーゲルは,マクロ目的*クロ目的}(ヘーゲルにおける絶対精神*あるいは理念の普遍性に対応する)そのものが主体的にその実現をめざす側面を強調する。したがって,ミクロ目的*との関係では単なる調和だけではなく対立の存在もまた示される。哲学的歴史観を語るヘーゲルは,調和ではなく二つの目的の間の葛藤,および結果的にマクロ目的がミクロ目的*をあざむきながら貫かれるという側面を強調する。ヘーゲルはそれを「理性の狡智(List der Vernunft)」*と呼んだ(注25)。この,ヘーゲルにおけるマクロ目的*クロ目的}とミクロ目的*の関係の描写はダイナミックである。ヘーゲルにとって歴史はミクロ目的なしに,すなわち個人の情熱なしには実現しえないが,そのミクロ目的とはまったく異なったマクロ目的が,ミクロ目的を踏みにじりながら自己を貫徹する側面が強調される。「個人は犠牲にされ捨て去られる」のである。ヘーゲルの議論には,生物システム*のもつ構造化された目的*のダイナミズム*に対する正確な認識があらわれている。
しかし,これだけではマクロ目的のミクロ目的に対する優位性が貫かれる過程が明確になっていない。たとえば,二人の個人 A と B について,A のミクロ目的が B のミクロ目的に対して優位にあるという場合,何らかの理由が存在しなければならない。たとえば,B は A の奴隷であるとか,B は A から暴力的に脅されているとか,借金があるなどの理由が考えられる。あるいは,食物連鎖の過程で下位の生物のミクロ目的が上位の捕食者のミクロ目的によって踏みにじられることについても,理解可能である。これらと同じように*生物システムの目的の構造の中でミクロ目的がマクロ目的に規定される理由,過程が明らかにされなければならない。
分かりやすくするために,*生物システム間の差異性を,構成する種の違いに代表させて考えてみよう。いま X という生物システムが a, b, c という異なる種から構成され,同じく Y という生物システムが a, d, e ,Z という生物システムが a, c, d という種から構成されているとしよう。この三つのシステムともに,与えられた環境のもとで持続可能であり,簡単化のためにこれら以外に持続可能なシステムの構成がありえないとしよう。生物システムが持続可能であるとは,与えられた環境の中で,物質やエネルギー,あるいは受粉サービスなどの用役も含めてバランスがとれ,システムの再生産が維持できるということである(注32)。この環境の中で,これ以外に持続可能なシステムが存在しないということは,a という種は競争にさらされることもなく安定してその存在を確保できることを意味している。しかし,他の種は生存をかけた厳しい競争関係の中にある。
いま,ある客観的な指標が存在し,それにもとづいて環境の中でのシステムの優位性が与えられるとしよう。この指標を \Re( ) という関数であらわそう。 \Re(X) は生物システム X の優位性を与える(注33)。このシステムとしての優位性とは,環境による撹乱に対する頑強性や安定性,あるいは環境における物質循環の場の強度などの条件に対するシステムとしての優占性などの形であらわれるものである。いま仮に,システムとしての優位性が次のように与えられたとしよう。
Y>X>Z
すなわち,十分長い時間的視野の中では Y というシステムが選択されるのである。この環境の中で,撹乱などをとおして三つのシステムが無差別にあらわれる時期もありうるだろう。しかし,結果的に繰り返し Y が選択され続けることによって,そのシステムを構成する個別の種の遺伝子*コードの中に,最初からできる限り効率よくそのシステムを選択するような傾向が書き込まれることになるだろう。これは,みずからの生活形式がそのシステム選択を容易にするような種が,より確実により効率よく存在を確保できることを意味している。
このことは,生物システムを構成する個別主体の競争にどのような影響を与えるであろうか。種としての,c と d は持続可能なシステムの中の二つのシステムのもとで生存が可能になるという点で,他の b や e とは異なっている。それぞれの種はいかなる状況のもとでもみずからの存在を確保するために闘争する。これは普遍的な原理である。b や c という種も,その存在を可能にするシステムは現存する環境のもとでは最高の優位性を確保できないということはあっても,みずから生存のための闘いを放棄することはありえない。c にとっては Z というシステムの中で存在するよりも,X というシステムの中で存在する方が,高い確率で持続を実現できる。したがって,c は d と共存するよりも b と共存する方が望ましく,また,d にとっては c との共存よりも e との共存が望ましく,この意味で,d と c は厳しい相互排除の競争を行なう。そして,d は e を,その存在が何らかの意味でみずからの犠牲,たとえば個体群規模の縮小をともなうものであったとしても,システムの共存者として迎え入れるために努力するだろう。これは一種の利他主義*(altruism)が働く可能性を示唆している。同じことは,c にとっての b についてもいえる。しかし,結果的に,この環境のもとでは,d の競争と共存に関する戦略が c に対して勝ることになるのである。