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副目次
第 2 章 生態系の構造と自己組織化
  1 節 生態系の概念と範囲
  2 節 物質,エネルギー,用役による相互依存性
  3 節 森林生態系の物質・エネルギー流の計測例
  4 節 エネルギー流と自己組織化
  5 節 最大呼吸仮説



第 2 章 生態系の構造と自己組織化   (副目次へ

生態系を構成する個体や同一種の個体群の生活や成長あるいは行動における目的すなわちミクロ目的*を理解することはそれほど困難ではない。そこには,個体および種を保存する動機が強く働いていることを観察できる。もちろん前章でも指摘したように個体の目的*と個体群の目的の間の相克は存在する。しかし,それは同一の遺伝子*プール内の問題であり,種の保存という目的の優先性を容易に理解することができる。本章では,さまざまな種からなる生態系の全体論*的な目的,マクロ目的に関する一つの仮説を提示する。生態系が一つのシステムとして持続しうるのは,そこにマクロ目的が働いているからである。生態系のマクロ目的*クロ目的}は種のミクロ目的*を超えて,生態系を自己組織化*する原理である。そして,生態系のマクロ目的を理解することは,結果として, 自然の豊かさの指標は何かという今日的な問いに答えることにもなる。

また,このようなマクロ目的を理解するためにも,生態系の構造をある程度知っておく必要がある。本章の前半では,生態系の基本的な主体と,それらの間の相互依存関係と機能について必要な説明を行なう。

1 節 生態系の概念と範囲   (副目次へ

前章で与えられた生態系概念は,物質循環の中に成立する秩序の形成主体としての生物システム*の中で,経済を除いた部分というやや漠然とした定義を与えられていた。まずは,この生態系という概念をより明確にしよう。生態系*という概念は,多様な生物種の個体群を集合的にとらえた,群集という概念とは異なっている。主要な相違は,第一に,生態系は生物群集の存在条件となっている非生物的(abiotic)要因*も含めた概念となっている点であり,第二に,生態系は生物群集それ自身の構造あるいはそれと非生物的諸要素の間の相互関係,構造の認識をより積極的に意図している概念であるという点にある(注1)。

生態系が生物群集と共に非生物的要素も含んだ概念であることの積極的な意味がなんであるかを理解することは重要である。もし生物的構成要素だけに注目するなら群集という概念でまにあうかもしれない。しかし,生物群集の構造や組織を認識するためには,それに関連した非生物的要素も同時にとらえておくことが不可欠なのである。そしてその根本には,組織された生物のシステムを認識するために「 生きているものと生きていないものとを区別することが困難である」という問題が存在している(注2)\label{page:lindeman}。

物質循環の中にあるすべての生物は物質の流れの澱み*であり,目的*に動機づけられて秩序を結晶させている状態にすぎない。生物は外部から物質を取り入れ,また外部に物質を廃棄しながらその秩序を維持している。物質を取り入れる過程は,生きていないものを生きているものに変換する過程を含み,物質を廃棄する過程は多くの場合,生きているものを生きていないものに変換する過程を含んでいる。物質循環の視点からは,生きているものと生きていないものとの区別が本質的ではなくなってしまうのである。もちろん,生きているものとそうでないものとの区別が無意味であるということではない。生物の個体や個体群に注目する範囲では,生きているものを区別することは積極的意味をもつ。しかし,それらの生きているものの集合を一つの組織されたシステムとしてとらえる場合,物質循環の全体に注目することが不可欠になり,生きているものだけを取り出すことが分析上の重要性をもたなくなるのである。生物群集という概念よりも生態系という概念が結果的に人口に膾炙されたのはこのような全体論的(holistic)立場*の重要性が,人々に認識されるようになったからである。

また,生態系が生物によって構成されたシステムとして物質循環の中に位置づけられることは,必然的にそれが多様な主体の相互依存関係によってつくられた構造あるいは組織により注目した概念である,という特徴をもたらすことになるのである。したがって,生態系の二つの特徴は相互に密接な関係をもっている。それらは,生態系の本質的特徴の二つの側面にすぎない。

次に,生態系の定義される範囲の問題をとりあげよう。大気と水の循環はもともとグローバルな循環であり,人為的にそうしない限り一部で完全に閉じた循環を構成することはありえない。したがって,地球上のすべての生物は,この大循環の中で相互依存的である。物質的に閉じた生態系は,地球的規模の生態系だけなのである。しかし一般に生態系概念は,このような完全に物質的に閉じたものに対してのみ用いられるわけではない。生態系*は,地理的空間の特徴によって,あるいはそれを構成するさまざまな生物種の構成の特徴によって,他の部分とは区別された範囲が定義される。その場合,物質的に完全に閉じたものとはならないが,一般には,その中で部分的な物質循環,すなわち物質循環の渦*は存在しうる。

地球的生態系*に次ぐもっとも大きな分類は,陸上生態系*と水界生態系*である。そして,陸上生態系のもとに,森林生態系*や草地生態系*のような分類,水界生態系も海洋や湖沼,河川の生態系などの分類が行なわれる。これらはいずれも区分された生態系であるが,相対的に大きな分類である。一方,土壌の限られた部分で成立している生態系や,生物の消化器官などきわめて微小な空間でとらえられる生態系もある。生物群集および非生物的環境*の相互依存関係が他から独立してとらえられる特徴をもつ場合に生態系であると呼ばれるが,このような意味での生態系は再帰的な構造*をもつものとなる。



図(F1) 生態系の再帰的構造のモザイク:楕円の一つ一つが生態系をあらわす。

再帰的な構造とは,生態系の中に部分的な生態系がまたいくつか存在するという形で階層化されているのである。生態系の中にまた生態系が存在する構造をもつといってもよい。この再帰的構造を一つのモザイクとしてあらわせば,図~F1のようになる。そして,このような再帰的構造あるいは階層化*は生物システム*が一般にもっている特徴である。

2 節 物質,エネルギー,用役による相互依存性   (副目次へ

生態系の生物主体間の相互依存性および非生物的要因との相互依存性の媒体*体}は,大きくわけて物質,エネルギー,用役である。

物質としては,元素でみると炭素や水素や酸素,あるいは栄養塩類を構成する窒素,リン,硫黄,またマグネシウムなどであり,また,化合物でみると,植物が取り入れる二酸化炭素や水,栄養塩類,そしてさまざまな有機物などである。そして,これらの物質が媒体となって生物間の相互依存関係を形成している。また,これらの物質は,生態系外からの移入や移出はありながらも,生態系内部で物質プールを経由しながら部分的な物質循環*を形成している。

有機物は,生物にとって利用可能なエネルギー*を体化しているという点で,他の化合物とは異なった特徴をもっている。そのエネルギーの源泉はほとんど植物の光合成*による太陽エネルギーの固定化に起因するものである。植物はみずからの生体の中にエネルギーを固定化する。他の生物は,この固定化したエネルギーを自己の活動と生体維持のために利用し,生命を持続させている。したがって,生態系の物質流が有機物の流れとなっている部分では,エネルギーの流れを媒介する役割を担っているのである。生態系の生物主体(個体,個体群)を流れるエネルギーは,図~F2 のようにあらわされる(注3)。



図(F2) 生物要素を流れるエネルギー

I は総摂取エネルギーで植物の場合は太陽エネルギーであり,動物や菌類・バクテリアの場合は摂取有機物である。NU は未利用エネルギーで植物の場合は葉を通過した太陽光などであり,その他の場合は排泄物,遺体,生物的残骸(抜け殻:exuviae)*などである。A は同化エネルギーであり,R は生体の維持に用いられたエネルギー,すなわち呼吸廃熱である。P は生産であり生体量 B の増加に用いられるか部分的に他の生物に食糧として提供される部分である。

このような有機物による相互依存性は,有機物を生物が食物として利用することによって成立する。植物によって生産された有機物は,動物にとっての食物となるか,植物遺体となって,腐食動物や,菌類,バクテリアにとっての食物となる。そして,これらの動物相がまたほかの動物の食物となる。このような,食物をめぐる連なりを食物連鎖(food chain)*といい,これらの関係が一方向の連なりではなく,網の目上の関係になっている状態を食物網(food web)*と呼ぶ。現実の生態系の食物網は,実に多数の生物によって構成され複雑であるが,その中に構造を確認することができる。まず,食物連鎖の始まりは植物という生物主体の集合である。植物は他の生物がつくりだした有機物に依存しない。太陽エネルギーを用いて無機化合物から有機物を合成することができる。このような栄養形式を独立栄養(autotroph)*と呼ぶ。これらの主体のまとまりを生態系の中でとらえるとき生産者(producer)と呼ぶ。植物は生産者なのである。これに対して,他の生物の生産した有機物に依存する栄養形式を従属栄養(heterotroph)*と呼ぶ。従属栄養であるのは,ほとんどの動物と菌類そしてバクテリアなどである。このような従属栄養の主体を大きく二つに分ける。有機物の分解能力の大きな菌類やバクテリアどを分解者(decomposer)と呼び,その他の動物などを消費者(consumer)と呼ぶ。

これらの関係を図~F3で確認しよう。



図(F3) 生態系の概念

細い矢印付きの実線で書かれているのが無機的物質のフローであり,太い矢印付きの実線で書かれているのが有機物のフローである。植物は,二酸化炭素と水と太陽光,そして栄養塩類からさまざまな有機物を生産する。この部分を粗生産*と呼ぶ。光合成*はその過程で酸素を排出する。生産物の一部は植物自身の維持のために消費され,呼吸廃熱と二酸化炭素が生産される。一般に,植物の*粗生産から自己の維持のために用いられた部分を差し引いたものを純生産*と呼ぶ。植物の純生産としての有機物は動物によって摂食されるか植物遺体となってプールされる。

動物は,植物を主に摂食する植食動物(herbivore)*,動物を消費する肉食動物(carnivore)*,バクテリアなどを摂食する微生物食者(microbivore)*,生物遺体を摂食する腐食者(sparovore)*などの区別が可能である。図において,植食,腐食,微生物食に対応する矢印を掲げてはいるが,それらの主体を明示的に区別してはいない。動物はこれらの有機物の摂食によって,エネルギーを利用し自己の生物体や廃熱そして二酸化炭素,完全に分解しきれていない有機物としての排泄物など生産する。動物の遺体や排泄物はそれらの有機物のプールにはいる。

分解者は,基本的に動・植物の遺体や動物の排泄物を摂食する。分解者が高い有機物の分解能力をもっていることは,図にあるように,栄養塩のプールへの無機化合物の供給効率が高いことを意味している。動物も,その排泄物などからエネルギー体化水準の著しく低下した化合物を排出するがその効率は高くない。

このようなエネルギーを体化した有機物あるいは無機物などの物質は生態系の相互依存性にとっては最も重要な媒体である。しかし,それだけで生態系の稠密で複雑な相互依存性の全体をとらえることは到底できない。確かに,生態系のさまざまな主体の相互依存性を物質的な媒体だけでみることは,構造の基本的な側面をとらえるという点で重要な意味をもっている。これまで,生態学において生態系概念が果たしてきた役割は,物質・エネルギー流をとおしてそこにはめ込まれている秩序をとらえることにあったと言ってよい。しかし,生態系の相互依存性を物質を媒体にしたもの,物質流からだけ見ることは人間を骨と筋肉と血管からだけ見ることに似ている。この三つを合わせて詳細にみれば,そこから人間の外見的な形から,さまざまな内臓まで形がくっきりと浮かびあがってくるだろう。人間の構造と機能の基本的な部分をとらえることができるようになるだろう。しかし明らかに,これら三つの側面からだけでは,人間というシステムのもつ稠密で複雑な相互依存関係の一部しか見えてこない。生態系においても,確かに依存関係はほとんどの場合,物質的なものが源泉になっているが,生態系の主体を結び付けているのがかならずしも物質的なものの獲得や提供ではないような依存関係が膨大に存在しているのである。このような生態系の相互依存性の媒体を*用役(service)*と呼ぶことにする。

陸上生態系*の場合このような用役で最も規模の大きいものは植物によってつくられる空間であろう。たとえば,樹木の場合,実に多様な空間をつくりだす。樹木の頂上部分を指す樹冠(canopy)*は一面では太陽光をまともに受ける場をつくりだすと共に,その裏では直射日光を遮るような空間をつくりだす。幹では,表皮の形や部分的な死が微妙な空間をつくりだす。さらに,樹木は広く根を張ることによって土壌の中でも特別な空間をつくりだす。樹木はこのような空間によって水や土壌を生態系に保持するという役割も果たしているのである。もちろんこれらの樹木がつくりだす空間は,気体以外の何物も存在しないというような狭い意味での空間ではなく,場所であり空間的広がりをもった構造である。このような樹木による多様な空間の創造が,他の多様な生物の生息の場所をつくりだしているのである。この場合,植物が他のさまざまな生物に提供しているのは,空間的な環境*なのである。

動物や菌類・バクテリアは,このような植物による空間という用役の提供の恩恵を受けているが,逆に植物もまた,動物や菌類・バクテリアらさまざまな用役の提供を受けてその存在を維持している。動物から植物への用役の提供で最も知られているのは受粉*の媒介や種子散布*である。多くの植物が,昆虫や鳥に花粉を付着させそれを他の個体に受粉させることによって,種内の遺伝子*の交換を実現している。また,鳥類や哺乳類などの動物に果実を提供することによって種子の散布が可能になる。植物は移動性がないために,同一種が密集することによって資源の利用などが競合する場合が多い。これを回避するためには,種子が動物などによって運ばれる必要がある。鳥や哺乳類は果実を食糧とし,その種子を排泄物などの形で排出することによって種子の移動を実現する。あるいは,草本類の種子の場合は単に動物に付着することによってこの種子の移動を実現する場合もある。植物の繁栄に不可欠な生殖過程における遺伝子*の交換は動物による用役の提供に強く依存しているのである。

物質や用役の交換が,少数の個体あるいは個体群の間に限定している場合,その関係性を共生(symbiosis)*と呼ぶ。このような狭い意味での共生の概念の場合,個体や個体群の限定性は不可欠である。相互依存性一般を共生とするような,広い意味での共生概念の場合,生態系全体が一つの共生系ととらえられることになる。しかし,以下で問題にする共生概念は狭い意味のものであり,異なった種の異なった個体間の限定した関係が独立した相互依存関係ととらえる場合のみを指す。一般に,生態系を構成する種が多くなればなるほど,生態系は多様な共生関係によって,種間の相互依存関係が構成されるようになる。ある程度の広がりでとらえた,極相*に近い森林生態系*などの場合,ほとんど無数ともいえるような多様で複雑な共生関係を確認することができる(注4)。

植物に関連した共生としては,*窒素固定菌との関係が一般によく知られている。窒素はアミノ酸やタンパク質を形成している元素であるために,生物にとっては不可欠である。この窒素は大気中に最も大きな割合で存在していながら,植物は直接利用することができない。そこで,マメ科の植物などは,みずからの生体内に窒素を固定化しアンモニアに変える窒素固定菌*を生育させさせている。植物は,窒素固定菌によって生み出されたアンモニアを無毒化しアミノ酸生成の原料として利用している。植物はこの*窒素固定菌のためにエネルギー源を供給するという,相利的な共生関係*を維持しているのである(注5)。

植物と窒素固定菌*の場合の共生*関係は,物質の授受が基本になった共生関係であるが,植物と糸状菌の間で用役の授受が基本となったものもある。水田における稲とベギアトアの共生の例がそうである。この場合,ベギアトア*は稲の生育にとって有害な硫酸還元菌などによって発生させられた硫化水素を酸化して稲にとって無害にする一方,稲はベギアトアにとって有害な過酸化水素を水と酸素に分解する酵素を出し無害化することで共生*関係が成立している。したがって,これは物質の授受ではなく,相手にとって有害な物質を取り除くという浄化共生*であり,用役の授受が基本になっているのである。

浄化という用役が共生関係を成立させている例は,動物間においても数多く存在する。相対的に大型の動物に付着した微小生物をより小型の動物が浄化するという関係としては,水牛についたサシバエ*をサギ*が取り除き,サギは食糧と共に他の動物から襲われる危険性を低下している例,ベラ*に寄生菌*を食わせているクエ*の例などがある。

動物と微生物の間の共生*関係としては,植物によって大量に生産されるセルロース*の分解をめぐって行なわれているものが注目されるべきである。森林生態系に存在する樹木全体のうちタンパク質や脂質,炭水化物の占める割合の多い葉の部分はほんの数\%にすぎない。残りはほとんど幹や枝,そして根である。これらの材の部分は乾燥重量(dry weight = d.w.)*でおよそ50\%がセルロース*,20\%がヘミセルロース*,20\%がリグニン*となっている。すなわち,森林生態系*の外見上の形は半分がセルロース*によってつくられているのである。しかし,このセルロース*については,分解する酵素(セルラーゼ)をもっている生物がバクテリア,菌類,原生動物*などの微生物,藻類*,地衣類*,高等植物の他,ほんのわずかな種の軟体動物*・甲殻類*・昆虫*に限られている。リグニン*を分解する酵素をつくる生物はさらに限られ担子菌類*(いわゆるキノコ類*)および一部のバクテリアのみである。

したがって,陸上生態系*の巨大な存在量を占める植物の支配的な構成物質が,ほとんどの動物にとって直接に利用不可能になっているのである。このことは,陸上生態系の物質循環を考えると深刻な問題である。なぜなら,有機物の分解効率の悪さは生態系内の栄養塩類の循環効率の悪さを意味し,植物による利用が困難になる可能性を意味しているからである。しかし,動物は微生物と密接な共生*関係をつくることによって効率よくこれを分解することを可能にしている(注6)。

シロアリ*は,消化管内*に原生動物やバクテリアをもつことによってセルロース*の74〜99\%を消化する。この過程ではシロアリ*自身の出すある種のセルラーゼと原生動物の出すセルラーゼが働き,原生動物が一次的に分解物を消費し残りをシロアリ*が利用するという共生関係になっている。シロアリ*の中には,アリ塚の中にキノコを培養するキノコシロアリ*も存在する。微生物と共生*してセルロース*の分解を徹底して行なうシロアリ*の存在は森林生態系*の物質循環に決定的な意義をもつものとなっている。また,ウシやウマなどはルーメン(反芻胃)*内にバクテリア・原生動物などの微生物をもつことによってセルロース*の利用を可能にしている。この場合,微生物は酸素を嫌う嫌気性*であり,ルーメンによって微生物の生育可能な環境を与えられていることになる。このような,セルロース*分解のために微生物と動物が共生関係を結んでいる場合,物質的なものの授受と用役的なものの授受は複雑に関係し合っていて,単純に分離できなくなってしまっている。

ここでもう一度,図~F3 にかえろう。そこにもあるように,生態系のさまざまな主体は,エネルギーを体化しない栄養塩類,水,二酸化炭素などの物質流,食物として利用される有機物の流れ,そしてさまざまな形態における用役の授受などによって,多様で複雑な相互依存関係を形成している。特に注目すべき点は,物質的なものだけではなく,非物質的な用役の授受関係の重要性である。生物は一般に人間のような積極的に環境を改変する能力をもち合わせていない。したがって,他の生物の生活がつくりだしている環境に生物はデリケートに反応せざるをえない。一つの生物の生活は他の生物にとっての環境形成要因*である。そしてこの環境の形成とは,他の生物に対して用役の供給なのである。生物はみずからの存在に適合した環境を求め,あるいは与えられた環境の中で最も効率的な存在形式へと進化する。生態系の相互依存関係の理解に用役の授受は物質と同じくらいに重要な位置を占めている。

3 節 森林生態系の物質・エネルギー流の計測例   (副目次へ

生態系の物質流について,測定された実例から,より具体的な特徴をとらえておこう。すでに述べたように生態系の相互依存性は物質流だけではなく,非物質的な用役の授受によっても実現されている。用役をめぐる関係の定量的な把握は不可能ではないが物質的なものと比べて困難性が高い。この場合の困難性とは,特に用役として多様なものを集計するときにあらわれる。有機物の場合はさまざまな生物間に行なわれている物質的な交換を乾燥重量*や体化エネルギーによって集計することができる。植物がつくりだす空間は体積であらわしたり,動物による受粉媒介*は媒介する動物の個体数を基本にしながら何らかの調整を行なうことによってある程度の集計も可能になる。しかし用役については,乾燥重量やエネルギーのような単位の整合性を実現することが困難なのである。ここでは,物質流の測定例に限定する。

第一の例は,1967年から1972年にかけて国際生物学事業計画(IBP)*の一環として総合的な生態学的調査が行なわれた長野県の志賀山*の亜高山針葉樹林生態系*の物質流である。調査そのものは多面的かつ詳細なものであるが,北沢右三氏が,基本的な物質流を集計している(注7)。この結果をまず図~F4 に掲げておこう(注8)。



図(F4) 志賀山(亜高山針葉樹林帯)生態系における物質流: S:太陽エネルギー Pg:粗生産 Pn:純生産 C:消費 R:呼吸 D:遺体・生物的残骸 F:排泄物 N:栄養塩: 円および四角内の数字はストック量であり1m2あたりの乾燥重量 g ,矢印に与えられているのはフロー量であり1年あたりの乾燥重量 g である。ただし,( )内に与えられている量は熱量単位である。また,N の栄養塩の流量は,1m2あたりの重量 gである。

図の円はこの生態系の集計(aggregate)された生物主体(コンパートメント)*であり,矢印は有機物の物質流と呼吸廃熱である。呼吸廃熱もまた乾燥重量換算になっている。乾燥重量*を熱量単位に変換するための係数はそれぞれの生物ごとに異なっている。明らかにされているものだけを示すと,表~T1 のようになる。

林木 4.7
小哺乳動物 5.3
鳥類 5.6
土壌動物 5.4
バクテリア・菌類食者 5.5
昆虫食者 5.3

表(T1) 乾燥重量−熱量換算値: 乾燥重量 1g d.w. あたりの熱量 kcal*

物質流の数値が与えられていない矢印は測定できていないものである。

この生態系は志賀山の西側斜面の標高およそ1970mの約12.5haの広がりをもつ地域である。樹種としてはコメツガ*,オオシラビソ*,ダケカンバ*などからなり,林床にチシマザサ*ザサ}の茂るところがある自然林*である。各コンパートメント*がどのような生物種からなっているのかを概観しておこう。まず生食系の植食動物(herbivores)*はさまざまな種類のガ*の幼虫などの無脊椎動物(invertebrates)*,あるいはヒメネズミ*,タイリクヤチネズミ*,アカネズミ*などのゲッシ類*の小哺乳動物などからなる。捕食無脊椎動物(predatory invertebrates)*ではクモ類*が最も支配的な種である。鳥類ではルリビタキ*,ヒガラ*,キクイタダキ*,イワツバメ*,ミソサザイ*など29種が恒常的に確認されている。ヘビ*やカエル*などの地表の捕食者はほとんど確認されていないのでここでは推計されていない。

次に,腐食系の動物相をみておこう。まず分解土壌動物相(decomposing soil fauna)*は生物遺体や排泄物あるいは腐植*などの土壌有機物を食物とするものでミミズ*,ムカデ*,トビムシ*,ガ*,コガネムシ科*の昆虫などからなる。それらの動物を餌とする捕食性の土壌無脊椎動物(predatory soil invertebrates)*としてはオサムシ科*やハネカクシ科*の甲虫類*がいる。また,バクテリアや菌類を餌とする動物(bacterial and fungal feeders)としてはヒメミミズ*や線虫類*などがいる。腐食系の最上位にいる昆虫食者*はヒメヒミズ*やホンシュウトガリネズミ*である。

図~F4 におけるエネルギーや物質の動きをより細かくみておこう。まず,植物はこの生態系において最も生体現存量(ストック)の大きな構成主体である。植物によって,この生態系に到達する1m2あたり 699,840kcal の太陽エネルギーから 17,945kcal,植物体乾燥重量(d.w.)*で 3,818g の*粗生産が行なわれる。したがって,太陽エネルギーの固定化する効率は,2.56\%である。この粗生産のうち 12,942kcal,植物体乾燥重量で2,749g が植物体の維持のために呼吸廃熱化される。この差の 1,069g が,植物体の*純生産となる。この純生産は葉,枝・幹,根に分配される。ここでは,北沢氏の定式化に従って,植食動物の食糧となる部分 12gを純生産に換算していないが,葉の純生産を落葉量*から測っている点を考えれば,本来純生産に加えるべきである。しかし,この部分の量は小さいので,原図のままの数字にしている。

各コンパートメント*の物質流や呼吸廃熱に*関する測定値は,基本的に現地における生態学的,定量的な調査にもとづいている。一般に動物の消費量や排泄物量などは外部的に測定可能である(図~F4 を参照)。前者から後者を引いたものが同化量であるからこれらの量の推計も困難ではない。しかし,同化量のうち呼吸として用いられるものと生産に用いられるエネルギーの割合は測定が相対的に困難になる。呼吸量の推計*のためには実験室での結果を外挿して求める場合が多い。すなわち,実験室で,その動物の酸素の消費量や二酸化炭素の排出量を測ることによって,生体量や消費量と呼吸量の関係を明らかにしたデータなどを用いて推計するのである。ただし,土壌動物の場合は,採取されたヤスデ*などについてワールブルク検圧計(Warburg manometer)*を用いて酸素の消費率が測定され呼吸量が推定されている。

また,土壌呼吸*の測定は特別な重要性をもっている。なぜなら,土壌呼吸は森林生態系の従属栄養生物の全呼吸の中で最も大きな割合を占めるからである。そしてこの土壌呼吸は,植物の根による呼吸をのぞけば,基本的に土壌中の微生物による有機物の分解の結果としてあらわれ,それはまた植物への栄養塩類の供給にもつながる。土壌呼吸は土壌から発生するCO2 を,NaOH 溶液でとらえ,その中のOH-が減少する(Na2CO3の生成による)量を測ることによって推計している。測定された総土壌呼吸から,植物の根による呼吸を推定的に控除して,ここでは土壌微生物*,動物による土壌呼吸を657g d.w./m2 と推計している。図中のバクテリア・菌類の呼吸はこの土壌呼吸*から腐食系の他の動物の呼吸を差し引いたものとなっている。

次に,生態系内の栄養塩の動態を見ておこう。循環の全体の測定はないが,植物の純生産*をとおして栄養塩の流れの一端をとらえることができる。表~T2 は図の植物からの栄養塩流出をそれぞれに矢印に対応させて示したものである。

N P K Ca
1.723 0.142 0.466 1.374
枝・幹 0.891 0.058 0.868 2.212
0.232 0.015 0.226 0.576
植食者 0.011 0.020 0.028 0.082
2.857 0.235 1.588 4.244

表(T2) 植物からの栄養塩流出 g/m^2

葉からの流出は1年間の落葉分の栄養塩含有量によって与えている。枝・幹,根からの流出はそれぞれの*純生産部分に体化していると推計される栄養塩含有量で与えている。植食者へ移動する分は,地上へ落下する動物の遺体や排泄物の栄養塩含有量によって与えている。これらの栄養塩は,植物が主に根から吸収したものであり,その多くの割合は分解者による有機物の分解によってもたらされたものと考えられる。

次に生態系物質循環*のマクロ的な特徴をとらえておこう。細かいところでは,生食系に比べて腐食系の物質流が大きい点があげられる。これは陸上生態系*の一般的特徴である。特に土壌有機物がバクテリア・菌類の食物となることによる腐食系への取り込みの規模が巨大である。それは,バクテリア・菌類の呼吸の大きさにあらわれている。次に,最上位捕食者である生食系の鳥類と腐食系の昆虫食者*の生物体ストックがその下位の栄養段階の*コンパートメント規模に比べて著しく小さくなっている。これも,生態学でこれまで一般に確認されてきた事実である。

ここで最も注目したいマクロ的特徴は,生態系のエネルギーバランス*に関わるものである。すなわち,植物による一次生産の供給量に比べて従属栄養生物全体による呼吸廃熱生産量がかなり低くなっていることである。具体的にみると,植物の*粗生産 Pg から植物による呼吸廃熱 R を引いたのこりが*純生産 Pn に体化したエネルギーであるが,これは5,003kcal/m2である。従属栄養生物の図中の呼吸廃熱は生物体乾燥重量で測っているので,それを表~T1 を用いて熱量換算すると,3,632kcal/m2である。その差の,1,371kcal/m2が,少なくともこの生態系では呼吸廃熱化されていないことになる。この割合は著しく大きいものである。呼吸廃熱化されていないということは,生態系内に分解されない有機物として蓄積していることがまず考えられる。確かに,この亜高山帯生態系*は冬場に長い積雪の期間があり,有機物の分解はそれによって大きく阻害される。一般に,このような生態系において分解の遅れが問題になり,山火事*による有機物の急速な分解が生態系の時間的な循環の中に組み入れられている例も報告されている。また,この生態系は,物質的に外に開いている生態系であり,外部への有機物の流出もあるだろう。土壌呼吸の過少評価など,測定上の問題から生態系への有機物の蓄積が過大評価されている可能性も否定できない。

また,このように生産に対する分解の割合が低いということは,分解をとおして供給される栄養塩類が植物の必要とする量よりも少なくなっていることを示している。これらの不足した量は,外部からの移入や,ミネラルの場合,無機的土壌層*から供給されることが必要となる。

生態系の物質流を測定した第二の例として,前例と同じくIBPの一環として行なわれた水俣の温帯常緑広葉樹林の調査の結果による生態系の炭素循環*の推定をとりあげよう(注9)。この生態系の優先樹種*は常緑高木*のツブラジイ*であり,その他の樹種としてはイスノキ*,タブノキ*,があり,また落葉性のカナクギノキ*,クマノミズキ*ミズキ},ヤマザクラ*ザクラ}なども混在している。図~F5 に推計された炭素循環を示している(注10)。



図(F5) 温帯常緑広葉樹林(水俣)の炭素循環: 四角であらわされたものは有機物プールであり,その内部にある数字はストック量であり1haあたりの炭素重量tをあらわす。矢印は炭素のフローであり,1年1haあたりの炭素重量tをあらわしている。( )内の数字は推定値でありその他は実測値である。



この図の中で,呼吸による排出をあらわしている炭素量は二酸化炭素の形態にあるものであり,他は有機物の形態にある炭素である。二酸化炭素であらわされた呼吸量は有機物の分解によるエネルギーの拡散量と対応させることができるという点では,前の例のように呼吸廃熱を代理的にあらわすものであると考えればよい。たとえば呼吸によってブドウ糖から二酸化炭素形態の炭素1gを発生すると約9.58kcalの熱量を発生する(注11)。この生態系の場合,植物の呼吸(地上および根)は炭素重量で18.6t/ha,または1860g/m2である。したがって,この呼吸を廃熱換算すると,17,819kcalとなる。有機物もまたエネルギーへの換算が可能である。前例の志賀山生態系*の場合,同じ面積あたりの植物の呼吸廃熱は12,942kcalであるから,こちらの生態系の方がかなり大きい。

炭素量とエネルギーの対応づけが可能であることを念頭におきながらこの*森林生態系の物質循環,エネルギー流の特徴を見ておこう。植物による*粗生産が27.8に対して全呼吸は18.60であるから,差引 9.2 が*純生産である。この純生産のうち,落葉*や落葉前分解,枝や幹,根からの脱落で 6.98 が失われる。したがって,1 年間に9.2 - 6.98 = 2.22 が植物の生体量の増加に用いられることになる。前の志賀山生態系の場合,植物(林木)については定常性を前提としていた点で大きな違いがある。植物全体の生体量は235であり,またこの生態系は測定時点から60年前に皆伐されているので,年間の平均増加量は3.92である。したがって,この生態系は急速な生体量増加の時期が過去にあって,測定時点ではこの蓄積の勢いの低下している状態にあると予想されている。

この生態系において,*粗生産から群集総呼吸*を引いたものがちょうど植物の蓄積に対応しているということは,土壌有機物の形で分解されないままに残される部分はほとんど存在しないことを意味している。この点は,志賀山生態系*とは大きく異なる。すなわち,この水俣生態系**の方が生産と分解のバランスという点では,より効率的なものになっている。それは,物質とエネルギーが効率よく生態系の中を流れているということであり,植物によって体化されたエネルギーが生物の連鎖の中で効率よく利用されていることを示している。

志賀山生態系と水俣生態系の分解の効率をめぐる差は物質流の計測上の困難を反映している可能性もあるが,生態系間で植物によって生産された有機物の分解効率の差は一般に存在する。それは,熱帯多雨林*が非生物的環境*の影響もあって物質の分解効率が高いなどの例もあるが,生物種間のバランスや相互依存関係が有機物をどれほど効率よく分解するものとなっているかにも強く依存する。また,この生物種間のバランスは,ここでとりあげたような物質・エネルギー流をめぐる関係だけではなく,さまざまな用役の授受をめぐるバランスにも関連している。

4 節 エネルギー流と自己組織化   (副目次へ

全体としての生態系はマクロ目的*クロ目的}のもとに組織されている(注12)。生態系の秩序*とは,さまざまな種が意識することなく生態系全体の目的に貢献するような個体群の規模と異なった種間の関係を構成しているということである。そして,このマクロ目的に貢献できない種は,その生態系の中で安定して存在を持続できなくなることも意味している。生態系のマクロ目的*クロ目的},あるいはマクロ的な自己組織化*原理を理解することは,生態系全体にとって望ましいことと望ましくないことを理解することにつながる。生態系にとって,特定の種が多すぎても問題が生じ,また少なすぎても問題が生じることはいたるところで観察できる。また,人間の経済活動がほとんどすべての生態系に対してさまざまな影響を与えるようになっている現在,特定の種に対する積極的ないしは消極的影響が,ある生態系全体に,すなわちマクロ的に,どのように影響を与えるかを知ることはきわめて重要になっている。これらの点に関する理解を深めるためには,生態系がみずからを組織する原理を理解することが不可欠である。それはいいかえれば,これまで漠然と考えられていた,生態系にとって秩序とはいったいなんであるのかについて明確な判断規準を確立することでもある。

このような生態系のマクロ的な組織原理に関して,その後の生態学の発展に少なくない影響を与えた注目すべき論文として,ロトカが1922年に発表した「進化のエネルギー論への貢献」と題する短い論文がある(注13)。この中でロトカは次のように述べている。

もし生物の全システムによって実際に用いられる量以上の利用可能なエネルギーの供給が可能であるならば,システムを通過する全エネルギー(total energy flux through the system)を増大させるように適切につくられた生物にチャンスは与えられる。そのような生物があらわれるならば自然選択*はその生物を保存し増大させるように働くだろう。この場合,結果は単に新たな経路にそった有機体のシステムをとおしてのエネルギーの分流の増大ではなく,システムを通過する全エネルギー流の増大なのである。

すなわち,ロトカは生態系内の全エネルギー通過量を増大させるように活動する生物が*自然選択の恩恵を受けることになると述べている。ロトカのこの主張で注目される点は第一に,生態系のマクロ目的*クロ目的}の存在を示していることである。すなわち個々の生物種の生態系内での生存がマクロ目的,すなわちここでは生態系内の全エネルギー通過量の増大への貢献によって規定されるのであって,逆にマクロ的な生態系組織化の目的*が個々の種の目的に規定されるのではないことを,ロトカは述べているのである。第二の注目点は,マクロ的な生態系の組織化原理の量的指標として全エネルギー流を提示していることである。単なるマクロ的な指標というのであれば,エネルギー流ではなく他の物質流,あるいは生態系全体の生物体ストックの総量,全個体総数など数多くの候補者が存在する。これに対して,ロトカは全エネルギー流に注目しているのである。ロトカはこの原理を エネルギー流最大化法則*(Law of Maximum Energy Flux)と呼んでいる。

このロトカのいう,全エネルギー流の増大に貢献するとは,具体的に何を意味しているのだろうか。この貢献の仕方は,独立栄養生物*すなわち生産者と従属栄養生物*すなわち消費者,分解者では異なっている。生産者の場合,太陽エネルギーをより多く固定化することが全エネルギー流の増加に貢献する側面をもっていると考えられる。しかし,これもそれほど単純ではない。たとえば,森林生態系*の場合,一つの樹種によってその生態系に降り注ぐ太陽エネルギーを完全に固定化することは一般に不可能である。一つの種ではエネルギーの固定化漏れが生じてしまうのである。森林を構成する種が,多様な垂直的階層構造*をつくることによってより効率の良い太陽エネルギーの固定化が実現可能になる。太陽エネルギーの固定化効率は,このようなさまざまな植物種の葉の太陽光に対する空間的構造だけではなく,水や栄養塩類の供給構造からなるその生態系の環境との関係にも依存する。いずれにしろ植物の場合,全エネルギー流の増加に対する貢献は直接的である。

消費者や分解者の場合,全エネルギー流の増加に貢献するとは,植物のような直接的な意味ではありえない。消費者や分解者は,生態系内に植物によって獲得されたエネルギーの利用者にすぎないからである。しかし,すでにみたような生態系の複雑な相互依存関係の全体をとらえれば消費者や分解者もまた,植物に必要な用役や物質を供給するという形で全エネルギー流の増加に貢献している。したがって,その貢献は植物に比較すれば間接的なものであるということができる。たとえば,移動できない植物の受粉*などの生殖*は動物によって媒介されることによって,必要な遺伝子*の交換が実現している。また,動物やバクテリア・菌類などによる分解によって生態系内の栄養塩類の植物への供給が行なわれる。したがって,全エネルギー通過量の増加という原理は,植物による生産の秩序と分解者による分解の秩序,それら全体をあらわす生態系の秩序の組織原理を表現する潜在的能力をもっている。しかし,このロトカのエネルギー最大化法則*は生態系における生産と分解という二重のプロセスに対して,かならずしも同等の重要性を与えるものになっていない。エネルギーの通過量という場合,相対的に生態系におけるエネルギーの固定化に重点がおかれるような解釈を可能にするのである。

オダムとピンカートンは,このロトカの論文を再び人々の前に明らかにすると同時に,それを 最大能力原理(Maximum Power Principle)*というものに展開させた(注14)。ただし,最大能力原理は生物的なものに限らず物理的なシステムをも支配している一般的原理として提示されている。この原理の基本的な主張は,システムはエネルギー流から最大能力を引き出すように組織されるというものである。外部に開かれているシステムはエネルギーを投入し,一方ではそれを利用し拡散させながら,もう一方でそれを別な形態の利用可能なエネルギー*に変換するという二つのプロセスをもつ。そして,システムはすべてのエネルギーを拡散させるのでも,すべてを別な形態のエネルギーに転換するのでもなく,その中間あたりの効率で稼働させることによって最大能力を引き出せると,この原理は主張している。オダムとピンカートンはこの原理の適用例をさまざまに示しているが,成熟状態にある生態系についての記述は,原理の適用の仕方が,一般に考えられるものとは異なっている。成熟した生態系は,植物によって固定化されたエネルギーのほとんどを,生態系の維持のために用いてしまう。これは,生態系内へのエネルギーの蓄積がゼロに近づいている状態であり,最大能力状態からははずれてしまっていることになる。この点について,オダムとピンカートンは,成熟状態の生態系における最大能力原理は,一次生産者の効率に対してのみ適用できるものであるということで,片づけてしまっている。すなわち,植物の太陽エネルギーの固定化と生体量の蓄積に関して最大能力原理が適応され,極相*において生態系全体は,この能力に規定されるとしているのである。ここには,生態系の生産面の相対的重視というロトカのエネルギー流最大化法則における弱点がそのまま反映している。すなわち,生態系の分解過程の重要性が隠れてしまうのである。また,生物システム*も非生物システムも含む一般的定式化が,生態系のような生物システムに適用される場合,具体的な適用における定式化,たとえば力をどう定式化するかや摂取や生産の流れの特定化が,一意に与えられないという問題も否定できない。

生態系における分解過程よりも,生産ないしは蓄積を相対的に重視する考え方はジョルゲンセンによっても提唱されている(注15)。ジョルゲンセンの理論は,(1)生態系は,全体のエクセルギー*を最大化する傾向をもつ,(2)この傾向に貢献する種が選択される,というものである。エクセルギーとは与えられた環境(温度や圧力など)の中で対象とする物質から取り出しうる最大の利用可能なエネルギーである。したがってまず,ジョルゲンセンの定式化はエネルギーの質*を問題にし,それを厳密に取り扱おうというものであることを確認できる。熱力学の第一法則*にしたがえば,エネルギーは常に保存されるのであって,エネルギーの利用として必要な仕事をさせることはその質を劣化させ,利用可能性の低いエネルギーに転換することである。エクセルギーはこのエネルギーの利用可能性に曖昧さのない定式化を与えることを意図したものである。

図~F2にもう一度たちかえろう。個々の生物にとってエネルギーは常に保存されている。すなわち,各項が共通のエネルギー単位で測られているとすると I = NU + P + R である。動物の場合,摂取エネルギー(食物)と未利用エネルギー(排泄物)および生産(生物体)はいずれも有機物であり,それらのエネルギーの質に大きな違いはないが,呼吸は廃熱をあらわしていて,エネルギーの質は著しく劣化したものになってしまっている。植物の場合,未利用エネルギーは葉を通過した太陽光などを含むために大きく劣化してしまっている場合もある。したがって,生物によるエネルギー利用には,生物体の生産に向かうものと,呼吸廃熱として排出されるものとがある。

ジョルゲンセンのいう最大エクセルギー原理*とは,生態系が取り入れたエネルギー,すなわち植物によって固定化されたエネルギーがより多く生態系全体の生物体現存量の増加に向かうように生態系は自己組織化*するということを意味している。生態系の現存量の増加が,群集呼吸の増加すなわち分解規模の増加に向かうかどうかは,この原理によって明確化できない。したがって,この最大エクセルギーの原理も最大能力原理と同様に生態系の分解過程の相対的な軽視になっていることを否定できない。ジョルゲンセン自身,最大能力原理*と最大エクセルギー原理*の違いを,後者が生態系のエクセルギー* 水準を最大する傾向をあらわしているのに対して,前者は生態系のエクセルギーの 増加率を最大にする原理であると対比させている。いずれも,生態系における現存量の蓄積を生態系の戦略の指標としている点では共通しているのである(注16)。

ただし,ジョルゲンセンが,生態系の原理が還元論的立場(reductionism)*からではなく全体論的立場*から与えられるべきである点を強調していることは注目すべきである。前者は,生態系を個々の要素に分解し,全体から切り離し,現象の説明を与えようとする立場であるのにたいして,後者は生態系をあくまで全体としてとらえて,その理解に迫ろうという立場である。実際,生態学はこれまで生態系の全体としての複雑さを直接に対象とすることを回避し,部分の理解に終始している傾向があることは否めない。その点から,このジョルゲンセンの立場は生態系の理解の上で重要で積極的な意味をもっている(注17)。

最大能力原理*や最大エクセルギー原理*とは対称的に,生態系におけるエネルギーの拡散*をマクロ的指標とする生態系の原理の一つはカイおよびシュナイダーによって提唱されている(注18)。かれらは,「機能する物理的,化学的過程は不可避的に全体としてのエネルギーの質を劣化させる」という熱力学の第二法則*を再定式化し,生態系の自己組織化の原理をそのひとつのあらわれとしてみている。かれらの言う「 再定式化された第二法則」(restated second law)*とは,

システムは熱力学的平衡から離れるにつれて,加えられた熱量傾斜(gradients)*に対抗するためのすべての可能な手段を利用する

というものである。そして,かれらはこの熱量傾斜を最大限劣化させるためにシステムは,それに含まれる主体間の秩序ある動きをつくりだすこと,それによって加えられた熱量傾斜を加速的に劣化させることを,簡単な実験装置で示している。この熱量傾斜とは,物体の一方の端に熱のシンク*,熱の逃げ場が与えられ,もう一方の端に高い熱源が与えられるという簡単な場合では,その熱源とシンクとの間の熱的格差を指している。地球に与えられる熱量傾斜の最大のものは,太陽によって加えられるものである。また,熱量傾斜の最大劣化とは,加えられる熱エネルギーの最大限の散逸(dissipation)*をもたらすものである。カイとシュナイダーは,太陽によって加えられた熱量傾斜を,大気や水の運動によって劣化させようとする非生物的反応をとらえるとともに,地球上の生物とそれがつくるシステムもまた,この熱量傾斜の劣化の手段となっていることを強調する。

カイとシュナイダーの理論は,このようにシステム一般に適用する原理として提示されているが,ここでは特に生態系に対するかれらの理論の適用に注目しよう。再定式化された第二法則は,生態系に対しては次のような原理として述べられている。

生態系が発展あるいは成熟するにつれて,生態系はエネルギーの全散逸を増加させ,またエネルギーの劣化を加速するために,多様性の増加と序列的なレベルの形成をともなうより複雑な構造を発展させる。生態系内で生き残るのは,かれらのエネルギーの利用が生態系の全散逸を増加させるような自己組織化*過程に貢献する種である。より簡単には,生態系は到達した太陽エネルギーを劣化させる能力を体系的に増加させるように発展する。

そして,この結果として生態系には次のような特徴があらわれるとしている。すなわち,(1)太陽エネルギーの固定化量の増大,(2)生態系内のエネルギー流をともなう活動の増加,(3)エネルギーと物質の循環の促進,(4)捕食−被食による栄養構造の高度化,(5)呼吸と蒸散の増大,(6)生態系の全生物体量の増加,(7)有機物の種類の増加,である。

以上から明らかなように,カイとシュナイダーの生態系に対する原理は,生態系に到達した太陽エネルギーを最大限に散逸させ熱量傾斜*を劣化させるように生態系が秩序を自己組織化*するというものであり, 最大エネルギー散逸原理*と言えるものである。したがって,これはジョルゲンセンのエクセルギー最大化原理と対照的なものになっている。ジョルゲンセン自身は,エクセルギー最大化原理がカイとシュナイダーの最大エネルギー散逸原理と矛盾しないものであるとし,それはメダルの表と裏の関係のようなものであると述べている。一方,カイとシュナイダーは両者がまったく異なったものであることを認めている。生態系は,物質的にみれば,有機物が分解され栄養塩となり再び植物に利用されると言う意味で循環の中にあり,流れのどの時点,どの過程を注目するかは大きな違いがないことになる。しかし,エネルギーは厳密には生態系の中で循環しない。それは植物によって固定化され,分解者や消費者によって廃熱化されるという,一方的な流れの中にあるのである。このために,生態系としての最大限のエネルギーの散逸は,自動的に最大限のエネルギーの固定化も意味するが,後者は前者をかならずしも意味しない。したがって,生態系の原理を利用可能なエネルギーのストックの増加でとらえることと,生態系のエネルギーの散逸*でとらえることとは決して同じものではないのである。

最大エネルギー散逸原理*は,このような意味で生態系の物質循環の意義をとらえることができるものになっている。また,生態系の原理がより一般的な法則の中に位置づけられている点において,注目すべきものである。しかし,このような一般原理から演繹的に生態系の原理を与える場合,最大能力原理*と同じような恣意性が生じている可能性を否定できない。すなわち,生態系における最大エネルギー散逸が,なぜ先にあげたような生態系の特徴を生み出すのか,特に,それが含む生態系の秩序形成に関わる特徴を生み出すのかについて整合的な説明が与えられないのである。物理的な実験装置の中で,最大散逸と秩序形成が証明されても,より複雑で数十億年の長い生物の進化*の結果として創り出されている生態系にそれが単純に適用できるものではないことは明らかである。また,原理と秩序の関係を示すことが可能なモデルの提示も必要であろう。

5 節 最大呼吸仮説   (副目次へ

生態系について観察され,広く了解されている事実から出発しよう。それは,生態系が*遷移(succession),すなわち成熟化に向かう動的な過程で*粗生産の多くを群集総呼吸として利用するようになっていくという事実である(注19)。\label{page:climax}成熟した生態系の状態を極相*(climax)という。極相では,生物種やそれらの構成が平均的に安定し,変化があったとしても規則的あるいは循環的なものになっている。生態系は,この極相に先立って生態系全体の規模を増加させる期間が存在している。この規模の増加は植物による*粗生産の多くが群集全体の生体量の増加に用いられることによって実現している。しかし,極相に近づくにしたがって,群集総呼吸は群集粗生産に近づいていくのである。

図~F6 は実験室の中のミクロ生態系*で実際に測定された粗生産 P,総呼吸 R,および総生体量 B の初期状態から生態系の極相までの変化を示している(注20)。



図(F6) 生態系の遷移における生産 P,呼吸 R,生体量 B の変化

この生態系は*遷移の過程で,光合成*をする藻類*などの独立栄養生物*が22種類,ミジンコ*やゾウリムシ*などの従属栄養生物*が5種類観察されている。エネルギー以外,外部との物質の移入,移出が存在せず閉じている。このようなミクロ生態系であるから,生態系の遷移が成熟期である極相*にいたる期間が短く,60日前後で定常状態に到達している。図~F6 を見れば明らかなように,*遷移の初期には,生産が急速に増大する。呼吸も増大するが,生産よりも低い水準を維持し,その差 P-R は純生産であり,生態系の規模の増大,すなわち生態系の群集生体量 B の増加をもたらしている。このミクロ生態系の場合,生産は20日前後でピークに達し,その後,漸減する。そして,全体が極相に向かう。そして,極相に向かうにしたがって,群集生産と群集呼吸の乖離が縮まる。

ミクロ生態系*にあらわれた群集粗生産*と群集呼吸とのこのダイナミックな関係は,一般の生態系においてもあらわれていると考えられている。もちろんその場合,*遷移の初期状態から極相*にいたる時間は大きく異なっている。たとえば,*森林生態系の場合,数百年という時間が要することもある。このような差異を念頭におきながら,ここでは 図~F6 が生態系遷移の一般的特徴をあらわすものであると考えよう。図にあらわれているように,生態系の遷移には大きく分けて二つの局面が存在する。一つは,生態系規模の増大が主要な傾向である局面,すなわち成長期とその後の定常状態である成熟期,すなわち極相*である。成長期と成熟期の間には調整期が存在すると考えることもできる。

成長期が持続しないのは非生物的な環境の制限*にぶつかるからである。成長期は,初期に生態系内に存在していた資源などの有利な条件などによってもたらされた,絶対的な外部制約から自由な状態においてはじめて可能になっている。一方,成熟期は与えられた外部の絶対的制限の中で生態系の固有の目的*を持続可能なものとして実現する時期である。成熟期は,非生物的環境*の劣化や生態系に必要な種の欠落などの本質的な欠陥が存在しない限り,持続すべきものである。成長期は永続不可能であり成熟期は永続的なものであるととらえることは重要である。生態系にとって,本質的な存在形態は永続可能な成熟期において与えられるのである。したがって,生態系の秩序を自己組織化*するものとしての原理はなによりも成熟期を支配するものとしてとらえられなければならない。一方,成長期に生態系がどのように自己組織化するかは,一つの特殊問題なのである。

エネルギーの利用をめぐって成熟期にあらわれる主要な特徴は,生態系の*粗生産のほとんどを呼吸廃熱化しようとする傾向である。このような傾向は 図~F6 ではっきりと確認できる。そこでいま,図~F3 にたちかえって考えてみよう。固定化された太陽エネルギー,すなわち粗生産 Pg はこの生態系の群集*粗生産をあらわす。群集総呼吸* \Re は 生産者,消費者,および分解者の呼吸の総和,すなわち,

\Re = Rp + Rc + Rd

によってあらわされる。観察される事実はこの群集総呼吸 \Re が粗生産 Pg に近づくことである。いま仮に,*粗生産 Pg が外部的な制限によって与えられてしまっているとすると総呼吸廃熱 \Re が最大化されることを意味する。総呼吸廃熱が最大化されるとは次の二重の意味をもっている。第一に,固定化されたエネルギーが生態系の維持のために利用しつくされる傾向を意味し,第二に,生産された有機物が分解しつくされることを意味する。

生態系において取り入れられたエネルギーは群集全体としての有機物,生体量の増加,すなわち蓄積か呼吸廃熱に向かう。ところで,蓄積によって生体量が増加すると,それにともなって,ある程度の呼吸廃熱の増加が避けられない。しかし,群集総呼吸*は植物による粗生産量によって上限が画されているので,このような形での蓄積の継続は不可能である。したがって,持続的な蓄積は,それに対応する有機物量が DOM*(生物遺体プール)*の蓄積の増加,すなわち維持呼吸廃熱の増加しない形での有機物の増加によってしかありえない。したがって,成熟期において生態系が呼吸廃熱を最大化させるということはDOM* の増加によるエネルギー利用を生態系が回避していることを意味するのである。呼吸廃熱の最大化は,粗生産が与えられたもとでは植物によって生産された有機物が食物連鎖の中で分解しつくされる傾向をあらわす。

有機物の分解効率のよい生態系は,まず第一に,内部の物質循環効率の良い生態系である。したがってそれは植物への無機栄養塩類の供給が確実に行なわれる可能性のある生態系を意味している。栄養塩類は外部から供給される場合もあるが,それは植物にとって必要なさまざまな栄養塩類についてバランス良く供給されるものではない。内部的に供給される栄養塩類は,基本的に植物自身が生産のために固定化したものから発しているものであり,最も良いバランスが与えられていると考えられる。このような意味で,内部的な物質循環の効率の良さは生態系全体の能力の高さをあらわすものなのである。それはまた第二に,消費者や分解者の規模や活動能力が高い生態系を意味している。消費者や分解者の活動能力の高さは,それらが供給する物質以外の,用役の供給量の高さを意味している。すでにみたように,生態系における用役をめぐる相互依存関係は,植物も含めて生態系のバランスを維持する重要な要因である。それは生態系の持続能力の高さを大きく規定しているものなのである。

したがって,このような意味で,成熟期における呼吸廃熱の高さは生態系のエネルギー利用効率の高さをあらわすのである。そして,このような成熟期における生態系の自己組織化*の原理に関する仮説を最大呼吸仮説(Maximum Respiration Hypothesis)*と呼ぶことにしよう(注21)。最大呼吸仮説は次のように定式化できる。

生態系は,*群集総呼吸を最大にするように生物種間の相互依存関係および非生物的環境との関係を自己組織化*する

最大呼吸仮説は,単に,観察される群集呼吸の最大化を表現しているというものではなく,生態系は群集呼吸を最大にするようにみずからの秩序,それを体化した組織を形成することをも意味している。それは,上の考察から明らかなように,より確実な生態系の相互依存関係を形成するという生態系の目的*に関する仮説となっている。したがって,この仮説は生態系というシステムのマクロ目的*クロ目的}に関するものである。つまり,個々の種やその個体群のミクロ目的*ではなく,それらより一つ上位にあってミクロ目的をも支配する力をもった目的である。

この最大呼吸仮説について,いくつか注意すべき点を述べておこう。第一に,最大呼吸仮説*が生態系における全*粗生産を与えられたものとして,分解過程による呼吸廃熱の最大化することを意味してはいないということである。*群集総呼吸の最大化は,群集粗生産もまた極大化することを必要とする。群集総呼吸の最大化はエネルギー利用を最大化することであり,これを実現するための原資としての粗生産の形で固定化されるエネルギー量もまた極大化していなければならない。ただし,群集総呼吸の最大化を可能にする極大群集粗生産と,群集総呼吸*の最大化という制約を与えない条件のもとでの最大の群集粗生産とは多少異なる可能性を否定できない。たとえば,*粗生産を担う植物種の構成が,生態系全体の呼吸廃熱の最大化を容易にするものと,太陽エネルギーを最も効率よく固定化するものとでは異なる可能性があるからである。この点はより詳細な理論的分析が行なわれる必要がある。

第二の注意すべき点は,最大呼吸はあくまで生態系にとって持続可能なものとして実現していなければならないということである。たとえば,図~F6 をみると,成長期の最大群集総呼吸は,その後の定常期における群集総呼吸水準よりも大きい。定常期も含めた全期間中で最大呼吸水準は成長期で実現している。しかし重要な点は,この成長期の最大呼吸水準は一時的なものであり,生態系はこの水準を持続的に維持することができない。この一時的な最大呼吸水準は初期において存在していた資源などの有利な条件を生かすことができたために実現したオーバーシュートにすぎない。この有利な条件を利用しつくした後に生態系にとっての定常的に実現可能な群集総呼吸の最大水準があらわれてくる。最大呼吸仮説はこの定常期における群集総呼吸の最大化が生態系のマクロ目的であることを示す仮説である。持続的な定常期における最大呼吸は,閉鎖性の高い内部的な物質循環をめぐる最も効率的なバランスを維持することのよってはじめて実現可能になるのである。

ただし,最大呼吸仮説が生態系の定常期のマクロ目的に関するものであることは,成長期の生態系の振る舞いに何の影響も与えないということではまったくない。生態系にとって定常期は,永続することが前提であり,その意味で一時的成長期とは違って生態系の主要な存在様式を示す時期である。このような定常期のマクロ目的は,成長期をも規定すると考えられる。すなわち,最も効率よく定常期の最大呼吸を実現する状態に到達するために,成長過程の生態系の構造も組織化されるということである。最も効率よくとは,むだな回り道をすることなく可能な限り短い期間で,かつ初期資源の用い方を誤り,定常期の最大呼吸水準を低いところでしか実現できなくなるようなことを避ける,という意味である。これは最大呼吸仮説の自然な展開*である。図~F6にあるような最大呼吸のオーバーシュートもまた,定常期の最大呼吸の効率的実現のために必要であると考えるべきなのである(注22)。

第三に,明らかにこの*最大呼吸仮説は,ジョルゲンセンの最大エクセルギー原理*よりもカイ,シュナイダーによる最大エネルギー散逸原理と密接な関係をもつ仮説である。最大呼吸仮説は,生態系に取り入れられたエネルギーが総呼吸廃熱という形での散逸を最大化するという仮説であるのに対して,カイ,シュナイダーの原理は生態系に到達した太陽エネルギー全体の最大散逸を原理として表現している。この点だけみると,最大呼吸仮説は最大エネルギー散逸原理*の部分原理であるかのような錯覚に陥る。後者は,もともと物理過程に関する一般法則から演繹されているものであるために,生態系に到達したエネルギーが生物によって利用されることと,取り入れられる前に,蒸発散(evapotranspiration)*などによって散逸することとを区別していない。

重要なことは,カイ,シュナイダーの理論においては,生態系の自己組織化*のあり方,秩序の形成そのものがエネルギーの散逸,あるいは生態系に外部から加えられた熱量傾斜の劣化の手段の一つとなることであり,成熟期における群集呼吸の増加はそれと同列の一つの手段化されていることである。これに対して,*最大呼吸仮説は,群集総呼吸の増大が優先的目的として存在し,生態系の秩序やその自己組織化*は,この*目的の手段となっていることである。

これはカイ,シュナイダーの理論が蒸発散を含め生態系に加えられたエネルギーの全散逸を念頭においていることと深く関連している。確かに,生態系に加えられた太陽エネルギーのうち,植物による粗生産として体化されるのはほんの数\%にすぎない。良く茂った*森林生態系では,残りのほとんどが植物体表面で水を蒸発散させることによって廃熱化する。したがって,かれらの理論では,生態系が植物によってバランス良く被われること自体が,全体の熱量傾斜の劣化にとって大きな意味をもつのである。これに対して,*最大呼吸仮説が問題するエネルギー流は植物によって固定化された部分である。蒸発散という形でのエネルギーの散逸は,植物が固定化できなかったエネルギーによる植物体の体温の上昇をおさえるための防衛的費用の支出でしかないのである。生態系にとって真の所得は,固定化されたエネルギーである。生態系自身の能力の増大は,この所得の利用にかかっているととらえるのが明らかに合理性がある。結局,カイ,シュナイダーの原理は,もともと物理現象を説明する法則からの演繹であるという限界をもっている。最大呼吸仮説は,生態系が生物の数十億年の進化*と共にDNAに蓄えてきた情報と能力の独自な意義をとらえている。一方,カイとシュナイダーの原理は結局この意義を見落とすものとなっている。

カイとシュナイダーの原理では生態系に入射した太陽エネルギーのうち植物に固定化されないままに散逸する部分がなぜ増加する傾向をもつのかについて合理的な説明が与えられていない。一方,最大呼吸仮説は群集呼吸の最大化が生態系のマクロ目的として機能する理由を説明している。すなわち,群集総呼吸水準の高さは生態系の全体的な頑健性,安定性などの能力の高さをあらわしている。そして,このような高い能力をもったシステムが,システムとしての自然選択の中で生き残ることになるのである。そして,システム進化の仮説にいうように,このシステムとしてのマクロ目的に貢献する種がミクロ的に選択されることになるのである。



脚注

(1)生態系の概念は Tansley~ によって生態学に導入された。(もどる
(2)この点に関して,リンデマンがアメリカのミネソタ大学の近くの小さな湖における栄養動態*に関する研究をまとめた論文にある次の文章に注目しよう。「栄養循環に関する考察を進めると,生物群集の部分としての生きている組織と,死んだ組織および無機栄養物の間の区別は恣意的で不自然に思えてくる。生きている群集と生きていない*環境との間に明確な線を引くことの困難性は,継続的に死んでゆく付着生物*におおわれたゆっくりと死につつあるヒルムシロ*(水生植物)の状態を決定することの困難性によってあらわされる」,Lindeman~ , p.399。(もどる
(3)原図:Odum~ 。(もどる
(4)極相とは生態系の安定した成熟期の状態を指す。これについては,本章 p.\pageref{page:climax} 以下を参照。(もどる
(5)共生*関係については小沢~ , 東~ , 大串~ , 石川~ など。(もどる
(6)以下シロアリについて安部~ 。(もどる
(7)Kitazawa~ 。(もどる
(8)原図:Kitazawa~ を一部改変。(もどる
(9)Kira, Ono, and Hosokawa~ 。(もどる
(10)原図:Kira, Ono, and Hosokawa~ を一部改変。(もどる
(11)酸素呼吸*では 1 モルのブトウ糖*から 6 モルの二酸化炭素とエネルギー688kcalが発生すること,および炭素の分子量が 12 であることから計算した。(もどる
(12)生物システム一般におけるマクロ目的についてはすでに前章で議論している。(もどる
(13)Lotka~ 。(もどる
(14)Odum and Pinkerton~ , Odum~ 。(もどる
(15)Jo\llap/rgensen~ , Jo\llap/rgensen and Mejer~ 。(もどる
(16)B.ハノンによって一時提唱された{\bf エネルギー体化の最大仮説}(energy storage maximizing hypothesis)*も,最大エクセルギー原理と同一の立場にたつ生態系のマクロ的組織原理である。Hannon~ 。ただし,ハノンはこの立場をその後も維持しているとは言いがたい。Ulanowicz and Hannon~ 。(もどる
(17)R.ヘレンディーンは目標となる集計的指標をもった原理を,生態系の economic-like principle(経済的原理)*とよんでいる。Herendeen~ 。この規準によれば,ここでとりあげている原理はすべて, economic-like principle ということになる。(もどる
(18)Schneider and Kay~ 。他に Kay~ , Kay and Schneider~ も参照。(もどる
(19)Cooke~ , Kira and Shidei~ , Odum~ , Smith~ 。(もどる
(20)原図:Cooke~ を改変。(もどる
(21)Washida~ 。(もどる
(22)このような定常期マクロ目的と成長期の生態系のダイナミクスとの関係は第 5 章でより詳細に分析する。(もどる



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