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第 7 章 近世農業社会の剰余と編成原理
  1 節 近世農業社会の基本問題
  2 節 近世農業と物質循環
  3 節 近世経済の二つのモデル
  4 節 近世農業における技術選択の問題
  5 節 米価値体系としての石高制
  6 節 近世農業社会の不安定性と危機



第 7 章 近世農業社会の剰余と編成原理   (副目次へ

日本における農業社会の成熟化と崩壊への過程は 17 世紀から 19 世紀前半の近世社会においてみられる。この近世社会を支配した体制は,全国的な統一権力としての幕府と,その権力によって与えられる知行地*の単位としての藩によって構成され,幕藩体制とも呼ばれている。この近世農業社会が明治維新によって崩壊することで日本は近代工業社会への道に入っていく。近世農業社会から近代工業社会へ,政治体制は劇的に変化した。幕藩体制*を構成していた幕府も藩も明治維新後*,完全に消滅したことにそれはあらわれている。しかし,経済的にはどうだろうか。近世農業社会においても工業は存在し成長していた。一方,近代工業社会の中でも農業は比重を低下させながらも無視し難い部門であることは変わらなかった。このことは,明治維新によって日本経済は農業部門から工業部門へと比重が変わったことだけを意味するのであろうか。維新前後に経済の実体としての連続性があることは確かである。経済の全体的な技術編成が短期間で変わることは不可能だからである。しかし,技術的編成の連続性を見て,経済のシステム的,不連続的な飛躍を見落とすのは誤りである。明らかに両者の間には,経済を組織化するマクロ的な原理そのものの交替があった。農業から工業への経済の比重の移動も,市場の一般的普及もその結果にすぎない。本章では,まず,前章で与えた農業社会の基本的組織原理,マクロ目的*クロ目的}が近世日本でどのように働いているかを確認する。そしてその原理が,近世農業社会の基本的諸問題の分析に有効な視点を与えていることを示す。それはまた,本書で提示している物質循環論的な世界観と歴史観の有効性を明らかにするだろう。

経済は一つの再生産システム*である。すなわち,生産した財貨や用役を消費しながらまた次の生産が準備され,基本的な構造が持続する。再生産に当たって主体間の関係は財や用役の投入と産出をめぐる関係であり,量的な関係である。財やサービスの投入や生産に関する量的な構成,すなわち技術的な編成は限られた自由度*の中でしか変えられない。したがって,経済を何らかの数量的なモデルで表現することは,議論の整合性を示すうえで重要な意義をもっている。本章で用いるモデルは,単純化したモデルであるが,近世農業社会の経済的構造の全体を,その本質的原理をとらえながら表現するモデルである。近世の経済について研究成果の蓄積は進み,またその経済についてのミクロ的,ないしは部分的な数量モデル化は行なわれている。しかし,近世経済について全体的なモデル分析は十分行なわれていない。そのために,領主の行なっている経済行為の理論的分析と農民の経済行為のそれとの間の整合性がとれていないといった議論もあらわれる。近世社会のモデル分析は,これらの点からみても必要とされているのである。

1 節 近世農業社会の基本問題   (副目次へ

まず,本章の分析対象となるべき問題群を明らかにしておこう。まず第一は,近世農業社会において社会的剰余はどのようにとらえられるか,という問題である。社会的剰余*とは,経済的にみた社会が同じ水準の生産を繰り返すために必要な部分以上に生産を行ないうる能力を指す。したがってその社会的剰余は,実際に生産が行使されたものに対しては,生産物,あるいはそれらに対する何らかの価値評価によって合計されたものなどさまざまな表現形態がある。社会的剰余がどのように実現し,どのように処分されるか,そこに一つの経済の組織原理が端的にあらわれる。近世における主要な生産の担い手は農民である。農民全体が完全な自給的条件の中に閉じこめられていれば,農民自身の消費と種子として次期に繰り越すものなど,必要部分はすべて農民の中で閉じる。したがって,そこで生み出された剰余が社会的剰余*になる。このように農民が自給の中に完全に押しとどめられた場合,全体の構造の中に,商品交換が不可欠な要素としてあらわれるような状況はありえるのかという問題が検討されるべきである。

また,近世は全体として,このような自給的農業から技術的に開かれた,したがって社会的な分業の中でのみ成立する農業技術が広く浸透していった時代である。それは,肥料や農具などの生産財が農業以外の独立した生産部門から供給されることを不可欠とするような農業技術の浸透である。このような技術の前提の下で,農業部門でのみ剰余をとらえることは可能なのか,あるいはそれを可能にする条件は何かという点も,重要な問題である。そして,これらの点を明確にしてはじめて,近世全体をとおして領主階級が経済に対してとった態度の意味,あるいはその評価が可能になるのである。

第二は,近世農業社会全体を支配していた特殊な経済的価値意識*,あるいはその背景の問題である。これは近世における最も重要な経済的制度の一つである*石高制の問題でもある。石高制は,幕府と地方領主が支配するすべての水田,畑地,屋敷地について固定的な米の生産高を帰属させた制度である。これは領主階級が毎年の農民からの収奪を米の年貢としておさめさせることを意図していたことと深く結びついている制度である。したがって,それは領主階級が米の独占的な売り手になることによって経済的な支配者になることを意図していたことを意味している。また,政治的な権力をもっていた領主階級にとって,財貨やサービスの経済的な価値判断の規準は 何単位の米に値するかであった。この時代は,貨幣価値の究極的源泉が米の支配力にあった,ないしはそうあるべきことが予定されていたのである。*石高制とは,このような意味で経済的価値意識*を体化したシステムだった。そして,問題はこのような石高制がなぜ必要となったのか,近世農業社会の組織原理の中にどのように位置づくかである。そして,近世全体をとおして領主階級を苦しめた 米価安*が,近世の組織原理との関係でどのようにとらえられるかが明らかにされなければならない。さらに,近世後期に増加していく農民一揆*などの経済的背景,またその一方で進行した年貢率の低迷の要因も,近世経済の価値原理から説明されなければならない。経済的価値は分配を規定する主要な要因の一つなのである。

そして,本章の分析は,米価安*が近世の組織原理からはずれたことによって発生し,それがまた,農村の疲弊*を回避しようとする限り,年貢の増収を困難にすることを明らかにするだろう。

第三は,技術選択*あるいは技術進歩*の動機づけと方向の問題である。近世は全体としてみれば農業生産技術の著しい進歩があった時代である。日本の国土に適合した農業技術の進歩が日本の近代化の基礎をつくりだしたことは明らかである。技術進歩*といっても近代のように蒸気機関や石油で動く内燃機関が導入されたわけではない。人力を超える動力源としてはせいぜい牛馬や水車程度である。近世農業技術進歩*の基本的性格は,与えられた自然的あるいは人的条件の中で,土地*の直接的な生産性または労働の直接的な生産性を最大限高めることを意図したものであった。

水田稲作*をめぐるものとしては,それぞれの土地*の条件にあった多様な種子の開発,土や水,気温や季節の変化に精密に対応した耕作方法,肥料とその利用の仕方,多肥農業*に対応した深い土起こしに必要な鍬の改良,脱穀手段の改良など,一年間の耕作のサイクル*のほぼ全過程に,多様な技術の進歩が実現している。あるいは,一つの土地*にどのような裏作*をどのような順番で行なうか,輪作*に対応した技術なども多様な発展をみている。問題の一つは,これらの重要な技術進歩*がどのような動機のもとに行なわれたのか,またそれは近世農業の経済的組織原理と整合的なものであったのかという点にある。さらに,この時期には,たとえば同じ水田稲作をめぐってもさまざまな技術が全体として並列的に行なわれていた。たとえば,自給的に入会地の山野から刈り出した草木や人糞尿*が肥料の主体であったり,あるいは干鰯(ほしか)*や油粕*などの購入肥料*を用いたりする農業が並存していた。これは,単に商業的な農業が容易であるか否かなどの条件から説明するだけで十分なのか。また,一方で備中鍬*などの耕転用具*に頼った農業と牛馬*を用いた農業が並存していた。これらの技術選択の規準は,土地*の生産性か労働の生産性の問題か,それともまた別の規準だったのかという点もこたえられるべき問題である。
第四に,近世農業社会の内在的な危機の問題である。近世農業社会は,一方で農業技術の進歩や手工業の発展なども含めた,一般的な生産水準の上昇などによって成熟に向かいながら,その中期以降,全国的な社会改革を必要とするような構造的な危機に見舞われることになった。このような繰り返された社会の危機が,明治維新*を必要とした国内的な要因になった。亨保の改革などには領主階級が市場経済*に翻弄されている状況がはっきりとあらわれていることから,近世農業社会の危機が市場経済の領域の拡大と関連していることを読みとることはできる。しかし,全国的な統一権力が存在し,都市生活が強制されることによって領主階級は農村の自給関係から不可避的に離脱させられ,米納年貢*をあくまでも中心におき領主階級が大量の米の売り手として市場にあらわれざるをえないことなどは,体制そのものが市場経済の発展*を要求するようなものになっていたことをあらわす。このような市場経済の発展と近世農業社会の危機とは避けがたい関連をもっているのか否か,あるいは一般に危機の本質的な要因は何であるのかという問題が存在するのである。

もちろん,近世農業社会の分析的な問題がこの四つの問題につきるわけではない。この四つの問題は,特殊に,近世農業社会の経済的な組織原則に関わる問題なのである。したがって,それは近世農業社会の理解にとって最も基本的な問題でもある。この経済の組織原理を簡単にあらわせば, 領主階級による農民からの剰余搾取の最大化ということになる。領主階級のこの意志は,近世初期においては『落穂集』に記載の東照宮御上意といわれる「郷村百姓どもおは,死ぬ様に生ぬ様にと合点いたして収納申付る様に」という言葉,あるいは近世中期における本多利明の『西域物語』に,ある代官の言葉として引用されている「胡麻の油と百姓は,絞れば絞るほど出るものなり」という文章にもあらわれている(注1)。領主階級は圧倒的な武力*を背景にほとんどの農地に対する支配権を確立した。人口全体がこの土地*に依拠しない限り生活できない状況では,その人口に対する絶対的で経済的な権力を確立したことになる。そして,それはまた社会的に是認された正義*だったのである。そして,それらすべての土地生産物*は領主階級のものだったのであり,農民に再生産のための控除を許したのも,領主階級の必要から出ているのにすぎない。土地生産物の剰余*を最大限獲得することはその自然な帰結である。

この農業剰余の最大化というのは,近世における経済のマクロ目的*クロ目的}である。すなわち,単に個別農民と個別領主の間の経済的関係ではなく,あるいはまた集計された農民という主体と領主階級全体との関係でもなく,経済全体の構造を組織する原理なのである。農民以外の経済主体が考慮に値しないような規模しかない場合には,組織原理は集計された農民と領主階級の関係のみを規定する。しかし,それでもこの原理はマクロ的なものである。農民の中にも,規模や地理的,自然的な条件のなかで利害の異なる多様な個別主体が存在し,領主階級もまた,根本には幕府による統一権力があっても,個別領主間の利害は一様ではないからである。さらに近世経済の発展の中で,商人階級や,都市手工業の担い手として主体が無視しがたい存在になると,この原理がマクロ的なものであることは特に重要な意味をもってくる。それは個別主体の利害すなわちミクロ目的*を超えて全体のシステムの構成と運動を規定するのである。

近世経済が,農業社会一般の分析として特に魅力ある材料を豊富に提供するのは,こうしたマクロ目的*クロ目的}の存在を前提にできるからである。全国的な統一権力の存在が明確ではなく,地方領主の自給的な組織の独立性が高い場合にはこのようなマクロ目的*クロ目的}にもとづく分析が力を発揮しえなくなる。以下ではこの近世経済のマクロ目的と,その中であらわれた基本的な問題群の相互関係を解明する。

2 節 近世農業と物質循環   (副目次へ

近世農業は,自然の能力を最大限活かしながら,作物収量の増加をめざした農業である。あるいは,自然の豊かさを可能な限り社会の豊かさに結び付けていった農業である。この自然的な特質を理解することは,近世農業社会の理解の前提となる。自然の能力とは,生物のバランスのとれた相互依存関係,および*環境としての非生物的自然とのバランスのとれた関係をもったシステムである生態系の能力に他ならない。この生態系の秩序の骨組みを形成しているのは物質循環である。ここでは特に物質循環に注目しながら,近世農業の自然的特質を理解しておくことにしよう。

近世農業の基本は水田稲作にある。それは,区画された平地に,多少の種差はあるものの水稲*という単一種を作付けし生育させ収穫するものである。しかも年単位の休耕を行なわない連作*を基本としている。またそれは,今日におけるような大量の農薬*を散布し,また大量の化学肥料*に依存したものとは異なり,人間の労働や牛馬以外は,与えられた自然環境*に大きく依存した農業となっている。このように,自然的農業*でありながら単一作物を連作でかつ集約的に行なうことは,生態学的にはきわめて均衡のとれていない農業になっていたことを意味している。

自然的農業であるということは,農作物そのものも生態系の一つの生物主体としてはじめて生育可能になるということである。水田も一つの生態系*であるが,自然的農業のもとでは,労働という人為的な用役の投入を除けば,生態系のもつ本来の生産力に大きく依存することによってはじめて生産が可能になる。それは,この生態系のもつ内部的な物質循環や相互依存関係のバランスが大きく作用することを意味している。ところが,このように集約的に単一種を生育させそれを収穫することは,水田という生態系の物質循環のバランスを破壊することを意味している。もちろん土壌というのは生態系の潜在能力のプールとしての機能をもつために一時的な不均衡があっても十分な期間をおけば回復が可能になる。しかし,近世水田稲作は連作を基本にしていた。このような大きな矛盾を近世農業はかかえていたのである。

こうした生態系の物質循環におけるバランスで最も問題になるのは栄養塩類の供給ないしは循環である。生物の生育には水や二酸化炭素以外に,数十種類の栄養元素が必要とされるが,窒素,リン,カリの栄養塩類は特に不足しがちである。本来これらの栄養塩類は,生産から分解にいたる生物の連鎖によって循環的に利用される割合が大きく,それに外部からの純移入が加わり生態系の持続が可能になるのであるが,生育させた作物のほとんどを収穫することは,この物質循環を不可能にすることを意味している。近代農業の場合,このような不足した栄養塩類は大量の化学肥料の投下によって克服しているが,もちろん近世においてはできなかった。日本の水田稲作の場合,山林を通過し栄養塩を一定程度含んでいる水を大量に利用するため,連作のもとでも一定程度収穫を維持できるという見方もある。しかし,近世農業はこのような自然水準よりはるかに高い作物収量を実現していた。これを可能にしたのは,大量の有機肥料*の水田への投入だった。

近世の有機肥料としては質の異なる,3 種類の肥料を区別することが必要である。第一に林野の草木を直接に肥料とするものであり,第二に,*人糞尿,あるいは牛馬の糞尿からなる厩肥肥料*とするものであり,第三に,*干鰯や油粕*など農業以外の産物を肥料として用いるものである。

まず第一の種類の肥料からみておこう。林野の草木は焼却し灰にしてから用いられる例もあったが,最も一般的に行なわれた方法は山林から切り出された草木を直接,生のまま田に投入する方法で,*苅敷と呼ばれているものである。刈り出されるのは毎年の春,田植えの前あたりの頃である。このような林野はほとんどの場合,入会地*になっていて農民が刈り出せる日が厳密に決まっていた。刈り出されるのは,春の若い草本類と木の若芽の萌え出したもの,したがってそれは成長過程にあり生体にセルロース*だけではなく,タンパク分を多く含んだものが選ばれたのである。投入量は 1 反あたり 2 トン前後といわれ,その量はきわめて大きなものであった。日本のような気候のもとでは,これらの生の有機物が分解される速度は速くない。それらが最終的に栄養塩化されるまで分解されるためには数年はかかったはずである。したがって,この*苅敷は基肥*として行なわれたのではなく,長期的な観点から土を肥沃にし水田の基本的な生産力の維持をはかるために行なわれたものと考えられる。

この苅敷が,生態学的にみて重要なのは山林の生態系としての全体的な能力を利用している点にある。すでに述べたように,水田は生態学的な調和から遠く離れた状態におかれている。これに対して,山林からの*苅敷の大量の搾取も,生態系の自然に生み出される剰余部分から取り出すことにとどまっているのである。もしその調和を破れば持続的な利用が不可能になることは明らかである。したがってそれは,水田という生態系の物質循環の不均衡を山林という生態系の剰余によって克服したものだった。このような山林が入会地*になっているのには,山林生態系*が広域的な相互依存関係のなかで成立していることと,このような調和が重要な意味をもっていたためであろう。

第二の種類の肥料としては,*人糞尿が生態学的にみても興味深い。牛馬は林野の草木を餌にするために,食糧としての有機物の源泉は人間とはかなり異なっている。水田で生産された大量の作物は人間によって消費されるのであり,この人間による消費が水田を生態学的に劣化させている原因である。人間による穀物の分解物としての糞尿を,再度田畑に返すことは,生態学的にみて最も合理的な方法であることは明らかである。ただし,人糞尿の場合,生産された米は五公五民*あるいは四公六民*という形で領主階級が年貢としてとりあげ都市に米を集中させるので,農民自身の糞尿では収穫によって搾取した栄養元素の一部しか含まれないことになる。また,逆に都市に集中した米はそれに対応した*人糞尿を生み出すので,都市周辺の農民にとって都市住民*の生み出す人糞尿の利用は大きな意味をもつことになる(注2)。

領主階級が*人糞尿の意義を十分理解していたことを示す文書として「慶安御触書」(1649 年)*がある。この書の本質的性格は,農民による農業生産物の消費に対する農業労働の供給効率を最大限に高めることを目的としたものである。したがって,それは領主階級の剰余搾取の最大化に貢献するものであり,日常生活から農業労働の仕方まで子細にわたって言及している。その第10項で,「百姓は,こへ(肥)・はい(灰)調置候儀専一に候間,せっちん(雪隠,便所のこと)をひろく作り,雨降候時分,水入らぬ様に仕へし」と述べ,自家肥料としての糞尿を無駄にしないように説いている(注3)。

17 世紀中ごろに書かれたと思われる著作時も著作者も不明の農業技術書である『百姓伝記』*この*には人糞尿の利用について,より詳細な記述がある。この書の第 6 巻は「不浄集」として,人糞尿を中心とした肥料について記している。その冒頭の文章は次のようなものである。

百姓である以上,資産や身分に応じて雪隠,西浄,東垣,香々などの便所をところどころにそなえること。「不浄」(下肥)を一滴も捨ててはならない。不浄とは大小便のことである。屋敷や家の内に,下肥を粗末に捨てておくのは第一きたない。百姓は四季を通じて万物を育てることを仕事にしている。下肥はすべて土地*を肥やし,すべての作物の栄養になる。下肥を粗末に扱ったのでは,作物はよく育たないし,土はやせて収量の低い田畑となる。そうなれば,百姓はしだいに身上が下向きとなり,一族や奉公人にいたるまで,離れていくことは疑いもない。仕事を大切にと努力する百姓は,土を肥やし,作物をよく育てあげ,人々の役に立つので,おのずから仏,菩薩もお認めくださるであろう(注4)。

この文章は,*人糞尿の作物に与える効果とその意義をはっきりと示している。その後の項目では便所をどのように作ればよいか,あるいはその場所,また作物に対していつどのように用いるのかが詳細に書かれている。さらに,糞尿ばかりでなく,行水後の水,ゴミ溜,流し水,床下の土,屋根をふいた茅,煤の染み込んだ壁土など,日常生活で発生するさまざまな廃棄物や排水を徹底して作物の生育に用いる方法が示されている。

これらの記述から近世における一つの人間観*を読みとることができる。それは,人間を生態系の一部としてとらえる,あるいは人間が生態系に従属するものである,という観点である。その結果として,生物の相互依存関係によって生み出されたものを必要な利用を終えた後には再びその関係の中に返す,という考え方がこれらの文章にはあらわれてきている。このような,大切なものは生態系であるという考え方は,近世農業社会の「 農業生産物による社会的剰余の最大実現」という原理が,自給的な技術的条件が強い中で働いていることによるものである。農業生産物を他の生産物から最も明瞭に区別するものは,主要な生産要素が土地*,すなわち生態系であり,社会にとって最も大切なものは,この生態系だったのである。

第三の,農業外生産物としての肥料は多くの場合,市場を介した商品として農業部門に供給されたものである。そして,この種の購入肥料*を投入する技術は近世全体をとおして,およそ都市周辺の農村から一般の農村へと広がっていった。17世紀後半,加賀周辺では藩が*干鰯を農村に貸し付け米で回収するというような制度を行なっている(注5)。このような購入肥料の利用は土地*の生産性を高め,その結果として裏作*や輪作*が活発化していることを見ておく必要がある。水田裏作としては油菜*や麦*などが栽培され,稲作と綿花栽培*の輪作は畿内*(現在の京都,大阪,とその周辺地域)で広く行なわれた(注6)。また,肥料として*苅敷などを利用する場合とは異なり,入会地*としての山林を利用することが不必要になるので,購入肥料*の利用は新田開発による入会地不足*を解消する意義ももっていた。このような購入肥料の利用は,肥料という側面に限定されてはいるが,自然的生態系からの農業の自立化の傾向であり,近代的農業につながるものである。

以上のように,栄養塩類の物質循環*をとらえることによって,社会のもっとも基底をなす特質が見えてくる。近世農業社会においては,生態系の能力が社会の剰余生産能力*に直結していた。そして,自然と経済の間の物質循環が単純かつ明瞭であり,社会の剰余生産力がこの物質循環のあり方に規定されていたのである。もともと,物質循環は,時代を超えて社会の組織を規定するものだからである。

3 節 近世経済の二つのモデル   (副目次へ

次に,近世農業社会の経済モデルを定式化し,そのモデルにマクロ的な編成原理がどのようにはめ込まれるべきであるのかについて考察をしよう。

近世において最も比重の高い生産部門は農業であり,その中でも水田稲作が支配的な産業であった。そして,この水田稲作においても,いくつかの区別すべき技術が用いられていた。たとえば,労働生産性*に関わる技術としては,鍬による耕転のような労働集約的な技術,それに対する牛馬と犂を用いた労働節約的な技術が全体としては併存していた。また,土地生産性*に関わるものとしては,先に述べたように自給肥料*を中心にした技術と購入肥料*を中心にした技術が併存していた。そして,生産物においては水田単作*と裏作*や輪作*で米と畑作物との結合生産技術*が併存していた。

また,近世経済の発展とともに,農業以外の部門の比重が高まっていったことも無視しがたい事実である。農業や工業の一次生産物の加工を目的とした手工業の発展である。そして,この手工業とともに,その組織者でもあった商業が大きく発展していった。西川俊作氏の推計によれば幕末 1840 年代の長州藩*では,平常年で総付加価値生産額が銀換算で 9万5千貫であったのに対して,そのうち農業部門で生産されたのが 5万8千貫(61\%)で工業・商業部門の生産額が 3万7千貫(39\%)に達していた(注7)。長州が活発な藩専売*などで重商主義*的な藩運営を行なっていた側面を忘れてはならないが,ここから,日本全体でも商・工業の著しい発展が近世全体をとおして存在していたことは十分に推測される。ただし,この付加価値構成が人口構成をも反映していたいたわけではない。幕末においても,労働人口*のうちのおよそ 8 割が農業に従事しており,商・工業従事者*は 1 割前後と考えられるので,労働あたりの付加価値生産性*は商・工業部門が圧倒的に高かったことをみておかなければならない。

手工業部門の類型をみておくことも重要である。工業の発達した地域との関連で与えられる分類としては,城下町*を中心に発達した都市工業*,地方藩の専売事業*として発展した地方手工業*,そして農村において農業から相対的に自立する形で発展していった農村工業*という区別が可能である。また,またその生産物に関連した分類としては,農業部門への農具や肥料などの生産財を供給することを目的にした工業と繊維や紙などの消費財を供給する目的に発展した工業を区別することも重要である。

近世経済のこのような複雑な相互依存関係を一つのモデルとしてあらわすことも不可能ではないが,その前期と後期とでは社会的な生産技術の差異や市場の編成の差異が著しいことを考慮すると,単一モデルでは近世全体を視野におくことはかなり困難であるといわざるをえない。また,近世においては農業技術をみても*城下町周辺で発達した農業とそれから離れた地域で発達した農業とはまた著しい性格の違いがある。そこで,技術的にみて自給的性格の強い社会的生産編成と相対的に分業の度合いの高い社会的生産編成を代表するような二つのモデルを構成することにしよう。前者を近世経済の自給モデル*,後者を分業モデル*と呼ぼう。近世初期には相対的に自給モデルが現実をよく表現するはずであり,後期には分業モデルが経済のかなり大きな側面をあらわすような状態になっていたと考えられるのである。

まず,自給モデルの基本的な関係を図~F1 にあらわしておく。



図(F1) 近世経済の自給モデル

登場する主体は農民と商人,そして領主である。要素としては米と農産加工品という二つの財,および商業サービスである。米は体積で測られるとしよう。農産加工品は米以外の,畑作物や雑生産物一切を抽象的にあらわす財と考える。これらの財は重量や体積など何らかの物量単位で測られているとする。また,商業サービスは直接に財の移動に要した延べ労働時間などの単位で測られていると考えればよい。また,それぞれの矢印は財や貨幣の動きをあらわしている。

主体ごとにみていこう。まず農民であるが,それ自身へ還ってくる矢印は,農業生産のための生産財として用いられる米と農産加工品である。したがって,この場合の米とは種籾のことである。農民から領主に向かう矢印は年貢である。年貢には本年貢(物成)**として田畑にかかるものと雑生産物*にかかる小物成*があった。ここでの場合,農産加工品は畑作物と雑生産物をあらわしているが,これらの部分の年貢は銭納*で行なわれていたとしている。農民はこの自給モデルにおいて唯一の 生産者なのである(注8)。農民はその貨幣をえるために再生産に必要な部分を超えた農産加工品を商人に売り出している。もし,この*銭納部分も米納にしたならば,後にも述べるように,農民に剰余が残らないとする限り,商人に農産加工品を売り,必要な米を買い戻さなければならなくなる(注9)。

領主は商人に年貢としておさめられた米の一部を売り払い農産加工品を購入する。購入代金として米を売り払った額以上に貨幣の支払をしている。ここでは,領主からみて純支払の貨幣の動きしか示していない。これに対して,商人は農民から買い上げた農産加工品を領主に売ることによって,商業サービスを生産している。ここで重要なことは,農民から購入した農産加工品のすべてを領主に売るのではなく,自家消費分を減じて領主に売るということである。これに対して,領主から商人への貨幣の純支払は農産加工品の購入代金から米の販売代金を差し引いて残りの代金を貨幣で商人に支払うことになる。ところが,貨幣の循環*から,この経済が定常的に進行するためには領主が商人に支払う貨幣と商人が農民に支払う貨幣額が一致していなければならない。ということは,商人が農民に対して行なった交換と領主に行なった交換では,後者における方が農産加工品の価格が高くなっていることが分かる。つまりそれは,商人が商業サービス価格を上乗せして領主に農産加工品を売り払っていることを意味しているのである。

このような関係を,今日の産業連関表*に類似した財サービスに関するフロー表にまとめると表~T1 のようになる。

農業 商業 農民商人領主生産
X1 A1C1F1Y1
農産加工品 p2X2 p2A2p2C2p2F2p2Y2
商業サービス   p3F3p3Y3
生産者所得 M1 M2
年貢・賦課 N1 N2
生産 Y1+p2Y2 p3Y3

表(T1) 自給モデルにおける財サービスのフロー表

表中のフロー量は一定の期間,たとえば 1 年間についてとらえられた量である。表において,農業は米と農産加工品の生産主体,商業は商業サービスの生産主体をあらわす。農民,商人,領主は消費主体の区別をあらわす。農業の列を縦にみると,その費用構成になっている。農業は米を Y1 と農産加工品 Y2 を生産する。ここで, \raisebox{0.3ex}{p2} は1単位の農産加工品を米で測った価格である。すなわち,1単位の農産加工品は \raisebox{0.3ex}{p2} 単位の米に値するのである。ただし,この農産加工品価格は生産者価格であり商業サービスの価格は含まれていない。生産者である農民が商人に手渡す段階の価格である。したがって,Y1+p2Y2 は米で測った価格であり,実質的な石高をあらわす。この生産のために原材料としての米は X1 かかり,原材料としての農産価格品を米で測った額は \raisebox{0.3ex}{p2X2} であるから,農業部門によって生産された米で測った付加価値 V1 はこの両者の差,すなわち,

V1 = Y1+p2Y2 - (X1+p2X2)

となる。この付加価値のうち,農民自身が生きていくための所得部分は M1 であり,年貢となるべき部分は N1 である。この両者はともに米の量で測られている。

商業は簡単に原材料の投入がないと仮定し労働だけによって担われているとしている。商業サービスの生産量は Y3 単位とし,その 1 単位あたりの米で測った価格を \raisebox{0.3ex}{p3} としよう。すると,商業サービスの生産額は両者の積となる。これが,生産者の所得と地代としての地子*,実質的な営業税である運上*・冥加金*などの賦課として領主におさめられる。

農民,商人,領主による消費は,それぞれ A, C, F に財・サービスを区別する番号を付してあらわしている。商業で生産された商業サービスは領主によって消費される。

表からとらえられる生産と消費の各種のバランスを示しておこう。まず,三つの要素,米,農産加工品,商業サービスのそれぞれに関する需給バランス次のようになっている。

Y1 = X1 + A1 + C1 + F1
Y2 = X2 + A2 + C2 + F2
Y3 = F3

また,農民,商人,領主の各主体の予算制約式はそれぞれ次のようになる。

M1 = A1 + p2A2
M2 = C1 + p2C2
N1 + N2 = F1 + p2F2 + p3F3

この表から,農業から提供される年貢量が不変な場合は,商人の消費する農業生産物の増加はそれと同じだけの領主の消費の減少をもたらすという,自明の結果を読みとることができる。上の諸式であらわされたバランスが成立しているとき,次の式が成立する。

N1 = C1 + p2C2 + F1 + p2F2

これは,商人の所得 M2 の増加は領主の消費を減少させるということと言いあらわすこともできる。さらにこれから,商人の所得が不変であるとして,商人に対する賦課 N2 の増加は商業サービスの価格 \raisebox{0.3ex}{p3} を増加させるだけで,領主の実質消費に何の影響も与えない。ただし,領主の購入する商業サービスは農産加工品に付随するものであり,それが不変であるもとでは,商業サービスの生産量 Y3 も不変である。つまり,商人の所得が一定のもとでは商業に対する課税はかけてもかけなくても結局同じなのである。しかし,商業に対する賦課が一定のもとで,商業サービスの価格の増加は商人の所得を増加させ領主の農業生産物に対する実質消費を減少させる。

この商業に関するほとんど自明の事実は重要な意味をもっている。その点の議論を続ける前に,領主とって農産加工品を商人をとおして購入することが農民から直接年貢としておさめさせることより,どのような長所があったのかを考えておく必要がある。領主にとっては,米ばかりでなく畑作物も本年貢*として物納*し,雑税である小物成*りもまた物納させる道はあった。実際多くの年貢はこのような物納として徴収されていた。都市職人*がいまだ十分な成長を遂げていない,自給的性格の強い状態では支配的な生産者は農村にあり,農業と密着したところにあった。したがって,領主にとって必要財はほとんどが年貢として獲得可能であったと考えられる。にもかかわらず,このような状態でも商人の活動は活発であった。実際には,畑作物に対応する年貢や小物成りに対応する年貢が*銭納として広く行なわれていたからである。この理由は,地方大名*にとって,*城下町近在の*知行地から徴収可能な畑作物や農産加工品が,領主の多様な消費欲求にこたえるには不十分だったことである。商人による商業サービスの全国的展開によって,全国の多様な生産物を領主の選択対象にすることが可能になった(注10)。また,幕府にとっても,全国に分散するその直轄地から直接物納させるよりも市場をとおすことによって近在の多様で新鮮な生産物の獲得が可能になったわけである。

再度モデルにかえろう。ここでの M2 は商人の生活水準を維持するために必要となる所得であるとすると,領主による賦課が一定のもとで商業サービスの価格が需給を反映して高まれば商人に余剰が発生することになる。徴税の理論と機構の十分な発達がなかった近世においてこのような余剰を柔軟に獲得することは,領主にとっては困難であった。近世においては,幕藩体制*の維持のために必要であるとして,武士の城下町住まいが事実上強制*され,領主も参勤交代*によって隔年の江戸住まいが強制された。大名も一般武士もその*知行地から離れれば離れるほど商業サービスの購入は不可避となったのであり,それに対する需要は領主階級の欲求の多様化*と高まりのなかで増大していった。したがって,商業サービスの価格が高まる要素は一貫して増大していったのである。

ところで,この自給モデルにおいて物財の消費でみた厚生水準は農業生産量によって規定されている。この厚生水準を維持するために必要な財の投入は,

X1 + p2X2 + M1

であり,また社会的剰余は N1 につきている。したがって,社会的観点からみると領主階級は与えられた剰余の再分配をしているにすぎないことになる。生産される商業サービスも剰余の再配分に関わっているだけなのである。ただし,このことは,商業サービスは常に社会の必要を構成する要素にはならないという意味ではない。農業などの基礎的な財の生産過程の投入が商業サービスによって媒介されるようになれば,それが社会的に必要部分を構成することになるのである。

この自給モデルのように商業サービスが剰余の再配分にしか関わっていないということは,近世農業社会の編成原理を考えるうえで,明示的に商業をとりあげる積極的意味がないことを意味する。なぜならば,すでに述べたように,この社会の編成原理は農業剰余の最大化であり,この原理に商業は何ら貢献しないのである。領主階級が農業剰余の最大化を実現するには,農地を拡大し規模の制約を克服する,農業における生産技術を換える,農民に剰余が残らないように徹底して搾取する,などの方法しかないのである。

近世において,商業サービスが社会的剰余の生産に本質的な貢献をするのは,工業が農業生産の技術水準の維持に不可欠な生産要素を供給するようになってからである。近世経済のこの側面は*分業モデルによってあらわすことができる。まず,このモデルの概念図を図~F2 に示す。



図(F2) 近世経済の分業モデル

このモデルにおいては主体として工業が登場する。近世においては多様な種類の加工業としての工業が発達した。それらを一つの主体に集計している。財としては,簡単化のために農産加工品を捨象し,かわりに工業製品を加えた。自給モデルとの本質的な違いは農業生産のために工業製品の投入が必要になっていることである。この工業製品とは各種の農具や肥料などを代表している。もちろん,農具と肥料とでは,前者が固定的な生産用具として多期間にまたがって用いられるのに対して後者は生産期間中に使用しつくされる原料である。この違いも,ここでは簡単化のために捨象する。そして,農業技術のこの変化にともなって,工業製品を農業に供給するための商業サービスの投入も必要になっているのである。

工業の技術としては,労働の他に工業製品それ自身の投入を含めている。工業は,農産物の加工業という性格をもつ場合も数多く存在するが,農具の場合は鉱産物を考慮しなければならず,*干鰯などの農業原料を考えれば漁業*も考えなければならない。したがって,ここでは農業生産物からの投入そのものも捨象している。商業についても,工業製品の投入を考慮した。

これらの関係を先と同様の表にあらわすと表~T2 のようになる。

農業 工業 商業 農民職人商人領主生産
X11 A1T1C1F1Y1
工業製品 p2X21 p2X22 p2X23  p2T2p2C2p2F2p2Y2
商業サービス p3X31    p3F3p3Y3
生産者所得 M1 M2 M3
年貢・賦課 N1 N2 N3
生産 Y1 p2Y2 p3Y3

表(T2) 分業モデルにおける財サービスのフロー表

各欄の数字は自給モデルのフロー表と同様に米の量の単位であらわされている。農民以外の主体にとって工業製品は消費財としても用いられると想定している。農民は工業製品と代替的な自給品でまかなっていると考えるわけである。また,職人が工業製品を消費するのに商業サービスを必要としない。商人は前と同様に自己の生産用役を表中に掲げない。ただ,領主階級だけが消費財としての工業製品の購入に際して商業サービスを同時に消費すると想定している。

この*分業モデルにおいて,近世社会の編成原理と整合的な社会的剰余はどのように与えられるだろうか。自給モデルの場合と同様に,米の総生産量 Y1 から原料としての米 X11 と農民の必要所得 M1 を差し引いたものでよいだろうか。しかし,これでは農業生産を維持するために工業製品の投入が不可欠になっている,この技術体系の本質的な特徴を見落としてしまう。そこで考えられるもう一つの定式化は,*米納年貢である N1 に等しいとすることである。すなわち,

N1 = Y1 - (X11 + p2X21 + p3X31 + M1)

である。しかし,この定式化にも一つ重要な難点がある。それは,この剰余が,米で測った工業製品と商業サービスの価格の水準に依存してしまうことである。自給モデルの場合も N1 は,農産加工品の米で測った価格に依存していた。しかし,その場合,農産加工品は同じ農業の副産物であり,この分業モデルの場合のような農業以外の独立した工業の生産物とは本質的に異なっている。

そこでさらに,代替的な定式化としては米の総生産量から原料としての米と農民の必要所得分だけをまず差し引き,それから農業部門が必要としている工業製品と商業サービスの投入量の生産に必要な職人と商人の維持に必要とされる米の量を差し引くことである。ただし,工業製品や商業サービスが領主階級の需要に対して生産している分が存在しているのでこの表だけからは単純に計算できない。以下において,技術や価値体系について検討する中で,この剰余のより正確な定式化を示すことにしよう。

4 節 近世農業における技術選択*の問題   (副目次へ

技術を選択する規準は近世農業を支配する編成原理にある。この点を近世経済のモデルで示そう。まず,*自給モデルによって技術選択*と編成原理の基本的な関連を示そう。そこで示したように,自給モデルにおいて商業は剰余生産に無関係である。そこで,商業をモデルから捨象し農業生産物を米だけであるとさらに単純化しよう。まず,農業の技術は1単位の米を生産するのに a 単位の原料としての米と l 単位の労働,そして \raisebox{0.2ex}{g} 単位の水田が必要であるとする。また,1 単位の労働を維持するために必要な米の量を d 単位であるとする。このとき,1 単位の米の生産による剰余は,そこから種籾*としての原料である a ,1 単位の米の生産に必要な労働を維持するために用いられる米の量である dl を引いたものである。すなわち,1 単位の米の生産で,1-a-dl だけの剰余が生産できる。一方,1 単位の米の生産に必要な水田面積は g であるから,1 単位の土地*から 1/g だけの米が生産できる。結局,1 単位の面積の土地*から生産可能な剰余の量 S は,

S = (1-a-dl)/(g)

となる。この S を大きくするような技術が社会的剰余を増加させる技術なのである。

この場合,農業生産技術を規定する係数は a, l, g の三つ存在する。それぞれの係数が小さくなれば,S は増加する。しかし,一つの係数は増加するが,他の係数は減少するような技術の場合,係数全体の変化が問題になる。この点は,技術係数に関する等剰余平面*を描いてみるとわかりやすい。いま,剰余が S で固定しているとし,この一定の剰余を実現するような技術の組み合わせを平面上に描いてみると,図~F3 のようになる。



図(F3) 自給的農業生産技術における等剰余平面

この図において点 ABC で作られる面上の技術 a, l, g はすべて 1 単位の水田あたり等しい剰余 S を生み出すことが可能である。そして,この面より原点側の正象現の空間上の技術は S 以上の剰余を生産することができる。すなわち,もし代替技術*の a, l, g の組み合わせがこの平面より原点側の点になるならば,剰余の生産力が高い技術ということになる。

このような自給的農業を前提とした場合の技術選択*の自由度は小さい。まず,播種量*に関する a であるが,近世初期の農業においては水田 1 反あたり 1 斗前後の種子が必要であり,後期の農業においてこの量は大きく減少する。初期の農業の種子が自給的農業を反映し,1 反あたり 1 石 5 斗を生産高とすると a は 0.1 以下となる。この種子量*の労働生産性*との関連は高くないと考えられ,種子量は 1 反あたりの生産量を大きく変えないで減少させようとするものであるならば,a に関わる技術進歩*は他の生産要素の投入とは独立に進行した性格が強いと思われる。

小農*を基本にした近世農業,あるいはその後の農業も含めて最も基本的な技術選択*問題は労働生産性*と土地生産性*に関わるものである。近世全体をとおして新田開発*が活発に行なわれてきたが,水田面積の増加は,潅漑設備の建設や*自給肥料を提供する林野の必要性などから,容易に行なえるものではない。これに対して,労働の供給は,水田稲作が 1 年を通じて行なわれるものであり生産が安定していれば農業人口は増加するために,より弾力的なものになる。その場合,より労働集約的でかつ土地節約的*な技術が革新的な技術になっていく可能性が高い。すなわちそれは,a を与えられたものとして g の減少を l の増加で実現するような*技術革新である。図~F4 にこの状況を描いている。



図(F4) 労働集約的・土地節約的な*技術革新のタイプ

この図は,図~F3の OABC を a が一定の平面で輪切りにした切断面となっている。既存の技術が A 点にあるとしよう。*技術革新の方向として B へ変化するものと C へ変化するものが考えられる。二つの新技術は,ともに土地*の生産性を高めるかわりに追加的な労働が必要となるものである。しかし,B は確かに 1 単位の水田から生み出される剰余を増加させるが,C は労働投入量を多くし過ぎて,それの維持のために必要となる米の量の増大が土地*の生産性からくる増産量を上回り剰余生産量が低下してしまっている。

このようなタイプの技術選択*上,最も大きなものは肥料の問題である。すでに述べたように近世においては自給農業といえども水田については*苅敷や*人糞尿など大量の施肥を行なう農業に転化していた。このような多肥農業*の基本的な意図は,労働投入量の増加のうえに土地生産性*を徹底して高めようというものである。ここには近世の水田稲作の*技術革新の基本的な方向があらわれている。興味深いのは,稲作の裏作*として,麦*などの粗放的な作物の耕作*が行なわれていることである。表作の米に大量の労働投入をし,裏作には土地生産性は低いが労働を節約できる作物を植える。これによって,年間の労働のバランス*をとることを意図していた。もちろん,大量の施肥は単に稲作だけでなく,裏作の生産性も規定しているという点では二つの作物は結合生産物*であるが,便宜的に二つのプロセスで生産されていると考えると,表作と裏作が対称的な技術の方向を意図していたのである。

近世にも焼畑*が広範に行なわれていることは知られている。あるいは,畑作として粗放的な雑穀*の栽培も行なわれている。そこでは,無肥ないしは施肥量の少ない農業となっていた。焼畑は,その土地*の水の供給可能性や土地の肥沃度などの自然条件や,労働供給の条件に規定され選択された農業技術である。それは先の図~F4 で,D 方向への*技術革新が可能である場合に行なわれていたと考えられる。すなわち,土地の生産性を犠牲にするかわりに労働を節約することによって土地*あたりの剰余の生産性が高まるのである。

近世後期における,新しい生産財の投入を前提にした農業技術の革新の問題を考える場合には*自給モデルでは明らかに限界がある。そこで,近世経済の*分業モデルをもとに技術選択*の問題を考えてみよう。この分業モデルでは,農業生産のために,工業製品も商業サービスもともに必要になっている。したがって,それらの生産部門の技術もまた農業部門の技術に影響を与える。逆に,農業の技術は商人や職人の農業生産物の消費をとおして工業と商業の技術に影響を与える。社会的な技術システムの全体は分解不可能な一体のものとなっている。したがって,自給モデル*の場合のように,三つの技術的係数だけを考慮すればよいというわけにはいかなくなっている。それは,等剰余平面のようなものを描くことは不可能であることを意味している。そこで,やや複雑になることを避けることはできないが,農業部門に新しい代替技術*があらわれた場合に,近世経済の編成原理からみてその技術が選択されるか否かを決定できる問題を定式化しよう。

まず,農業部門の既存の技術から示そう。1 単位の米を生産するために必要な土地*,種籾,工業製品,商業サービス,労働の量をそれぞれ \raisebox{0.2ex}{g1, a11, a21, a31, l1} とし,この技術による米の生産量を x1 とする。工業の技術は, 1 単位の工業製品を生産するために必要な工業製品それ自身と労働をそれぞれ a22, l2,工業製品の生産量を x2 とする。商業の技術は,商業サービスの 1 単位の生産に必要な工業製品の量を a23 ,同じく必要な労働投入量を l3,商業サービスの生産量を x3 としよう。また,社会全体として養われている供給可能な労働総量を L とし,農業に利用可能な耕地面積を G であらわそう。さらに,農民,商人,職人のいずれの場合も,工業製品は労働供給のために不可欠の財にはなっていないとする。すなわち,工業製品は,消費としては奢侈財にしか用いられないとする。そして,1 単位の労働を供給するために不可欠の米は,d1 単位であるとしよう。このとき農業生産物,すなわち米で測られた社会的な剰余 S は,

S = (1-a11)x1-d1L   (E1)

とあらわされる。ただし,生産される米よりもそのために必要な種籾が多くなるということは無意味なので,1-a11 は正であると仮定する。この(E1)において, x1 と L は自由に値をとることはできない。これらの変数は次のような条件式を満たすものでなければならないのである。

G = g1x1   (E2)
x2 = a21x1 + a22x2 + a23x3   (E3)
x3 = a31x1   (E4)
L = l1x1 + l2x2 + l3x3   (E5)
x1, x2, x3, L ≧ 0   (E6)

ここで,(E2) は農耕地がすべて使用されることを意味している。(E3),(E4),(E5) はそれぞれ工業製品,商業サービス,労働について需要と供給と供給がバランスすることを示している。(E6)は変数に関する非負条件である。

この条件式は,1-a22>0 という常識的な仮定が与えられる限り,すべての変数について正の値を与えるものとなっている。すなわち,(E2) は農業部門の産出を与え,(E4) は商業サービスの必要産出を与え,この二つから (E3) は工業製品の産出を与える。そして,(E5) は必要な労働量を与える。もちろん,係数が正である限り,すべての解は正の値となる。そして,その解について (E1) から農業部門の産出で測られた社会的な剰余は次のように与えられる。

S = (R-d1l1-(d1l2)/(1-a22)a21)(G)/(g1)   (E7)

ただし,R は次のようなものである。

R = 1-a11-(d1l2a23a31)/(1-a22)-d1l3a31   (E8)

この剰余に関して一つ注意しておかなければならない点は,1-a11>0 および1-a22>0 という条件が与えられれば各部門の生産量 x1, x2, x3 や総労働は L は正の値をとるが,それだけでは剰余 S が正の値をとるとは限らないということである。S が正となるためには,前章の剰余条件* (),() に対応するものが,ここで登場するすべての係数について成立してなければならない。この分業モデルにおける剰余条件は (E7) の右辺の括弧内が正となることである。ここでは,この剰余条件が成立していることを前提としよう。

(E8) のように,R の部分を別にしたのは,農業部門の技術係数の中で特に l1,g1, a21 という三つに注目するためである。種子生産性*に関する a11 の係数もとりあげるべきであるが,4 次元に描くのは不可能であるために以下の検討の必要上,この三つの係数に限定した。さらに (E7) は次のように書き換えられる。

(S)/(G)g1 + d1l1 + (d1l2)/(1-a22)a21 = R   (E9)

いま,この (E9) により,三つの技術係数 l1,g1, a21 について等剰余平面を描くと図~F5 のようになる。



図(F5) 労働・土地・生産財の集約度に関する等剰余平面

農業部門における*代替技術が社会的な剰余を増大させるためには,この平面よりも原点に近い側の正象現の点であらわされなければならないのである。*分業モデルにおいて最も注目すべき*技術革新は農業部門が工業製品である生産財を用いることによって社会的剰余を増加させるタイプのものである。いま,たとえば現行の技術が等剰余平面上の A 点にあるとする。代替的な技術は単位農業生産あたりの生産財投入量 a21 を増加させるようなものである。そして,革新的技術としては生産財集約度の増大のかわりとして,主要に土地*に関する生産性を高めることを期待するものと,労働生産性*を高めることを期待するものとがありうる。前者の場合はおよそ B 点のような方向への技術の代替となるだろうし,後者のような場合はおよそ C 点のような方向への代替となるだろう。問題は,これらの*代替技術をあらわす点が等剰余平面より原点側に位置するかどうかである。

ここで重要なことは,これらの農業部門の技術代替が社会的剰余を増大させるかどうかは,単に農業生産に関する係数 g1, l1, a11, a21 などばかりでなく,工業部門の技術にも依存するということである。つまり,まったく同じ農業部門における技術変化であっても,工業部門の技術水準次第では,社会的剰余を増加させることも減少させることも起こりうるのである。それは,図~F5 からも明らかなように,工業部門において生産財集約度 a22 や労働集約度 l2 が低下すると,等剰余平面が原点から遠ざかる方向へ開くように変化する。これは,農業部門における,生産財集約度*が増加するような技術で土地集約度*や労働集約度を低下させるような技術代替が原点側の点になりやすくなることを意味している。農業部門における技術代替が,工業部門の技術水準の増加によって促進する可能性をこのことは示しているのである。

近世における分業に依存したような*技術革新を例にとって,それらの方向を検討してみることにしよう。重要なものからとりあげると,まず*自給肥料から購入肥料*への代替がある。これは,図~F5 で,A 点から B 点への技術の代替に相当する。干鰯や油粕*などの購入肥料の増大は農業技術における生産財集約度の増加である。これは,主要には土壌の肥沃度を増大させることであり,それまでの*苅敷などの自給肥料に比べて分解されやすく即効性が高い。苅敷などの場合は,セルロース*とかリグニン*といった自然の状態では分解が遅い化合物が重量比で 50 \% を超えるようになっているために長い分解期間がかかる。*干鰯などはこのような難分解性の高分子化合物*はほとんど含まれず,油粕*についても割合は少ない。これらの肥料は効果が直接的で必要な時期に,効果を予想しながら用いることができるのである。したがって,このような購入肥料は土地*の比沃度を高め作物の成長を促進し丈夫にする。それはまた,病害虫から作物を守り土地*あたりの生産性を高めることになるのである。そしてこれと同じ効果として,種子の集約度も低める。近世後期に,前期には反あたり 1 斗前後も投入した種子が 6 升,さらには 3 升にも低下したといわれるのは,このような購入肥料の使用が要因であるといわれる。また,*自給肥料との関係では労働生産性*も増大したことは明らかである。ただし,いったん自給肥料から自立した後は,追加的な肥料の増加に対する労働生産性*の上昇は,そう大きくは期待できない。

近世における技術進歩のもう一つの重要な内容は鍬の発達である(注11)。近世前期においてもより質の高い鍬が用いられるようになってきたが,近世後期には*備中鍬が普及し,近世独特の農業技術が確立していった。備中鍬は三本ないしは四本の 20cm 前後の鉄の指のついた鍬で,鍬の柄に直接鉄製の部分がはめてある。これによって冬場に固くなった水田の土の荒田起こしの際の深耕*ができるようになった。荒田起こし*の鍬を打鍬というが,備中鍬が普及するまでは風呂鍬*といわれる,鍬の柄の先についた木製部である風呂の部分に鉄の刃先をつけたものを用いていた。備中鍬以前は固くなった土を起こすために,刃先のより重い鍬を用いる工夫しか行なわれていず,固い土の抵抗に十分対応できなかった。深耕ができないことは,*干鰯や油粕*の効果の高い肥料を用いるには難点があった。*備中鍬の登場によって深耕ができ肥料を土に十分行き渡らせることができるようになったのである。この鍬は,近世における家族労働*を基本とした小規模農業に適したものであったために,全国的に普及した。この備中鍬の生産も,従来の庭先における回遊的職人*による注文生産であったものが,近世中期以降は商品として販売されるようになった。従来の鍬からの外見上非常に単純な発展であったにも関わらず,日本農業を革新させたものとしてきわめて注目される。

*備中鍬農法という新しい技術の最も大きな効果は,労働生産性*の向上である(注12)。つまり,同じ剰余を生産するために必要な労働投入を減少させたのである。近世農業における唯一の農具論*といわれる『農具便利論』*にも「江戸近国の農夫の話を聞くに,昔年は備中といへるものなくして,悉く鍬をもて耕をなせしに,近世は*備中鍬を用る事おぼえしより,労をはぶく事すくなからじといへり」と述べている(注13)。それはまた,同じ家族労働であっても耕作可能な水田が拡大したことを意味する。その点では,A 点から C 点への技術の変化が基本である。ただし,この技術は購入肥料*の利用を可能にしたという点では,土地生産性*の向上にも貢献している。

購入肥料も*備中鍬も耕地としての水田そのものに直接関連する技術問題であったのに対して,収穫後の脱穀・調整における農具の分野でも*技術革新が進んだ。たとえば脱穀*の分野ではそれまでの多大な手間が必要だった扱箸*による脱穀から千歯扱*きによる脱穀への変化は重要な*技術革新であった。これによって,脱穀の能力は労働あたりで 3 倍になったといわれている。明らかにこのような技術変化は,*土地生産性が一定であるもとでの生産財集約度の増加と労働節約を意味する。

また,この*備中鍬や千歯扱*きなど鉄製品の民間技術としての普及は近世における鉄の生産技術の高まりと深く関連している。すなわち先に述べたように,工業部門の生産性の高まりによる等剰余平面のシフトによってこのような技術の剰余生産効率を高めていったのである。具体的には,およそ 16 世紀末における砂鉄採集技術*の革新である鉄穴流し*工程の普及,17 世紀末の製鉄技術における天秤吹子*の登場,18世紀の終わりには中世から近世にかけての日本の製鉄技術の主要な発展である「 たたら炉*の開発などによって,製鉄における労働生産性*が著しく上昇した。これによって,鉄生産量の飛躍的増加と,鉄の価格の著しい低下が生じた(注14)。

近世におけるこのような技術進歩*は,その後の近代における農業技術につながり,近代の経済の基礎を形成したものとしてきわめて重要な意義をもっている。ここで示したように,近世農業における技術の進歩は,農業生産物,特に米で測った社会的剰余を最大にするという,近世経済の組織原理と不可分の関係をもっていた。近世経済が米で測った剰余の増加に執着したことが,社会の最も基礎的な生産部門である農業分野における技術の進歩を促進させ,さらにはそれと関連した工業分野の技術の発展も誘発していったのである。技術の進歩を,新技術の採用に関する社会的な動機の分析を抜きにして論じるのは無意味である。いつの時代でも技術は常に社会のマクロ目的*クロ目的}との関連を有しているのである。近世経済はそれを明瞭に示し,また近代工業社会の発展の最も基礎には,このような近世農業技術の進歩とそれによる剰余生産能力*の増加があったのである。

5 節 米価値体系としての石高制   (副目次へ

石高制*は,1582年から1598年にかけて豊臣秀吉によって全国的に行なわれた太閤検地*検地}によって基礎づけられた。検地においては統一した枡や竿などの測定器具を用い,田畑を上,中,下,下々と等級にわけ,それぞれについて 1 反あたりの標準生産高を米の産出量であらわした石盛*を定めた。伊勢の国で行なわれた検地の一例では,上田を1石5斗,等級を下がるごとにこの石盛は2斗ずつ下がった。畑は,対応する等級の田の石盛から2斗ずつ下がった量と決められていた。この石盛は17世紀の江戸時代でも確認されている。ただし,地域ごとには異なった石盛が行なわれていたことも知られている。そして,石高の一つの村の総計を村高*といい,それらをもとに大名領主の知行地*全体の総石高が与えられた。この石高は,基本的に年貢賦課の規準として機能している。実際のそれぞれの水田の産出量は石盛とかならずしも一致しないが,毛見*などによって現実の産出量が考慮され,それにもとづき五公五民*や四公六民*といった年貢賦課の統一性のある規準が実施された(注15)。

この*石高制に関して,現象的には二つの重要な特徴が確認できる。第一に,農業生産に賦課された貢租だということである。そして,農民それ自身はある程度人格的に自立した存在としてとらえられているので,地代*としての性格ももっている。もちろん,検地によってそれぞれの田の耕作者が決められてしまい,簡単に耕作を放棄することもできないために自立性は完全ではない。地代としての性質をもつならば,商・工業にも同じような地代として賦課されてもいいはずだが,都市における地代は近世の初期にほとんど地子免許*によって撤廃されてしまう。第二に,米による現物納を基本にしていることである。確かに畑地の年貢が*銭納化されたり,田に対する年貢も一部銭納が行なわれたりするが,基本は米による現物納*である。重要なことは,この現物納という形は,近世後期になり全国的な市場が整備され貨幣の流通が近世以前と比べ大きく発展しても,基本的に維持されたことである。織豊政権*の時代には,貨幣そのものが粗悪で,貨幣に対する信頼が低い状態で安定した価値尺度としての米を重視した面もあった。しかし,現物納に領主階級がこだわった理由は他に求めなければならない。

そこで,*石高制が近世農業社会の編成原理の中にどのように位置づけられるべきなのかを考察しよう。石高制をどのようにとらえるのかについて,脇田修氏による次の指摘が重要な意味をもっている。この文章は,石高制を近世農業社会の編成原理との関連でとらえるための重要な視点を与えている。

*米納年貢を強制し,水田以外にも石高制を施行するのは,明らかに,それが貨幣と同様,価値の規準として考えられたからであり,最も商品化しうる米を最大限収奪しようとしたからであった(注16)。

この短い文章の中から,三つの内容を読みとることができる。第一に,米は価値基準であるということである。第二に,米は最も商品化しえるものであるということである。第三に,*石高制を強制する領主階級の意図が米の最大収奪にあるということである。

まず,第一の点であるが,16 世紀後半,貨幣に対する信頼が低下したこともあって,「多聞院日記」や「妙心寺文書」などには,支払手段などに貨幣の替わりに米が用いられていることが示されていて,価値基準としての米を前提にした石高制の採用を,貨幣の信頼性との関係としてとらえる見方もある(注17)。確かにこの点を単純に否定することはできない。米が価値基準であることと*石高制とは不可分の関係にあることは確かであるが,両者の関係はやはり近世農業社会の編成原理との関係でとらえなければならない。

一般に,ある財が価値基準財*であるとは,その財に対する主観的な価値評価が,日時が変わっても,あるいは場所が変わっても,人々の間で大きな差異がなく安定していると判断されることを意味している。アダム・スミスは,労働が価値基準財となることについて,その理由を「等量の労働は,いつどのようなところでも,労働者にとっては等しい価値である」ためとしている(注18)。つまり,人々のその財に対する評価が 主観的安定性をもつものに価値基準財の資格が与えられるのである。スミスの価値説に対して投下労働価値説*と支配労働価値説*が混在しているという批判がよく行なわれるが,スミスにとってはそれはどちらであっても大きな違いはなく,財の価値が 労働で測られることが重要だったのである(注19)。なぜなら,労働こそが少なくとも当時においては価値基準財としての資格をもつものだったからである。価値基準財*とは,共同体が与える共感によって規定されるものなのである。

近世日本においては,このような意味での価値基準財としての資格は労働よりも主食である米に与えられていた。そして,この米によって人々の経済的財貨に対する秩序づけが行なわれた。それは,市場においてひろく貨幣が交換を媒介している事実と矛盾するものではない。貨幣もまた,米によって価値的な根拠が与えられていたのである。

このような価値体系を強固に維持しようとしているのは領主階級である。そして,領主階級は米による剰余を最大限に獲得しようとした。それは階級的な目的である。領主階級の経済的な価値観はこの目的に規定されていた。それは不可避的に,あらゆる経済的選択をこの目的に対する貢献度として測ることを要求するようになる。経済的選択が,米で測った社会的な剰余をどれだけ増加させるのかを規準として行なわれるようになるのである。すでに技術のところでみたように,米で測った社会的剰余を増加させるか否かに関わる,最も重要な選択は技術の選択である。

米で測った社会的剰余を増加させるような技術選択*を行なうための最も合理的な方法は,次のようなものである。まず,さまざまな生産財や商業サービスあるいは労働について,その限界的な増加にたいする米で測った社会的剰余の増加の割合で,価値体系を構成することである。逆に,その社会的な必要量が限界的に増加したときの米による社会的な剰余の減少割合としても同じである。それは結果的に,財やサービス,労働の米による特殊な価値体系を構成することになる。そして,代替的な技術の要素をこの米価値体系で測り,より費用のかからない技術が社会的な米の剰余を増大させることになるのである。この点を,先の技術選択*のところで用いた*分業モデルに即して調べてみよう。

いま,土地*,工業製品,商業サービス,労働について,それぞれの社会的な必要量が 1 単位増加したときに社会的剰余の減少する量をそれぞれ, \raisebox{0.3ex}{p1, p2, p3, p4} としよう。これが,米価値体系*である。いま,農業技術に注目して,米 1 単位の生産のための既存技術を,前と同様に (a11, g1, a21, a31, l1) としよう。これに対して,同じく 1 単位の米の生産のための*代替技術をそれぞれにプライムをつけた (a11', g1', a21', a31', l1') としよう。このとき,

a11+p1g1+ p2a21+p3a31+p4l1 >a11'+p1g1'+ p2a21'+p3a31'+p4l1'

が成立するならば,社会的剰余を生産する上での費用は新しい技術の方が低いことを意味し,望ましいことになる。この不等号の向きが逆ならば,既存技術の方が米で測った社会的剰余*をより多く生産することを意味するのである。この同じ*米価値体系が工業製品の生産技術の選択についても適用でき,米で測った社会的な剰余をより多く生産する技術の選択が可能になるのである。

このような*米価値体系は,次のような連立方程式で一挙に求めることができる。

1=a11+p1g1+p2a21+p3a31+p4l1   (E10)
p2=p2a22+p4l2   (E11)
p3=p2a23+p4l3   (E12)
p4=d1   (E13)

これは,四つの未知数 \raisebox{0.3ex}{p1, p2, p3, p4} に対して四つの式が与えられているので,それぞれの産業の技術的な係数と分配に関わる係数 d1 が与えられているもとで解くことができる。

これらの式の意味であるが,(E10)式は,この*米価値体系で測ることによって農業ではまったく剰余が残らないことを意味する。これは後に述べるように,この農業部門で本来発生した剰余がすべて領主階級に地代として与えられていることを意味している。同じく(E11)と(E12) は,それぞれ工業部門と商業部門においても剰余が発生しないことを意味する。そして,(E13) は労働 1 単位の米価値が,それだけの労働を維持するために消費される米の量に等しいことを意味している。そして,重要なことはこの価値体系に関して,*分業モデルにおける技術選択*の分析で与えた社会的剰余 S が,ちょうど総耕地面積 G の米価値に一致するのである。すなわち,(E2)〜(E5) にそれぞれ \raisebox{0.3ex}{p1, p2, p3, p4} をかけ,辺々加えた式と, (E10)〜(E13) のそれぞれに x1, x2, x3, L をかけ,辺々加えた式を比較することによって,次の式をえる。

p1G = S = (1-a11)x1-d1L   (E14)

ここで,S を与える式は (E1) で与えられるものである。これは,前章における農業社会の分析の結果とまったく一致する。すなわち,社会的剰余はすべて農業部門で生産され,そのすべてが土地*に帰属させられるのである(注20)。

*米価値体系に関するこれらの結果は,非常に興味深いことを示している。まず,p1G は何を意味するかであるが,これは全耕作地 G に対する米で測った全地代である(注21)。そして,(E14) は,その全地代が,米で測った社会的な総剰余に一致することを示している。したがって,領主階級は,1 単位の耕地に対する地代を先の価値体系で与えられる \raisebox{0.3ex}{p1} とすることによって社会的な剰余の全部を取得できるのである。それは,(E10)〜(E13)式を見ても分かるように,領主がこの \raisebox{0.3ex}{p1} という地代で年貢をかけることによって,この価値体系 \raisebox{0.3ex}{p1, p2, p3, p4} のもとで,農業,工業,商業の主体のいずれにもまったく剰余は発生しなくなるのである。すなわち,領主階級による最大剰余の収奪が実現するのである。ただし,この場合,農業の主体は農民である。年貢を地代としてとらえるということは,農民を独立な主体として考えることである。農民は領主階級に地代を納めることによって,耕作が可能になっているとみている。

また,この p1G は農耕地の剰余生産能力をあらわしている。それは,近世農業社会が基礎としていた生態系の能力の転嫁したものである。近世農業社会は,この剰余生産を最大にするように組織されていたのであり,この社会の自然経済的な性格をはっきりと表現する量になっている。したがって,*石高制が背景としている米による価値体系は,領主階級による最大剰余の収奪と完全に整合的なものであり,両者は不可分の関係におかれているのである。

脇田氏の石高制に関する,「米が最も商品化しえる」という第二の指摘は,米の売り手独占を実現できるものだと解釈できる。すなわち,領主階級は米の独占的売り手となることができるのである。米は何よりも主食である。農民にはその必要最小限の米しか残さず,それ以外の全住民はこの領主階級の獲得した米によって生活するしかないのである。それによって,米の独占的な価格体系が実現できる。いま, \raisebox{0.3ex}{p1, p2, p3, p4} は,米の価格を 1 としたときの土地*,工業製品,商業サービス,労働の米価格体系である。市場で形成する,貨幣換算の価格体系が,この*米価値体系の価格比と同じになる限り,領主階級は社会的剰余をすべて収奪できる。しかし,他の部門に剰余が発生すると,剰余の独占が不可能になるのである(注22)。

他の部門に剰余が発生すると,実質的な地代 \raisebox{0.3ex}{p1} が減少せざるをえなくなること,および米の相対価値が低下することが次のようにして分かる。たとえば,いま,商業部門に剰余が発生する場合を考えよう。これは,それを実現する価格体系のもとで,(E12) は右辺より左辺が大きい不等号になることを示している。いま, \raisebox{0.3ex}{p4} は前と変わらず d1 であり,(E11) は,工業部門の剰余はないので等号で成立しているから,\raisebox{0.3ex}{p2} も前と同じである。したがって,(E12) が不等号であることは,\raisebox{0.3ex}{p3} が前よりも増加したことを意味している。この結果,(E10) において,\raisebox{0.3ex}{p1} は低下せざるをえない。したがって,実質的な地代が減少したことを意味している。同じように,もし工業部門に剰余が発生すると,\raisebox{0.3ex}{p2, p3} ともに増大し,地代が減少する。このように,工業製品と,商業サービスの価格が上昇したことは米の相対価値が低下したことを意味している。

まとめると次のようになる。商業部門や工業部門に剰余が発生すると,まず第一に,工業製品や商業サービスに対する米の相対価値が低下する。すなわち,*米価安である。第二に,農業部門における正常な再生産を維持しようとする限り,実質的な地代切り下げを招くことになるのである。その場合,地代を低下させずにおくと農業の再生産条件が劣化する。

以上の二点は,近世全体をとおしてあらわれた領主階級の側からの危機の本質をとらえる上で,重要な視点を与える。まず,*米価安であるが,この問題が領主階級の主要な問題の一つであったことは亨保の改革*などにあらわれている。寛政の改革*時に行われた囲米*はまさに売り手独占という状況を生かして,米の独占的価格*を維持しようとしたものであった。これは,領主階級にとって近世社会の編成原理に則しているという点で,すぐれた経済政策であったといえる。しかし,領主階級の他の政策が近世農業社会の組織原則に沿っていなかったために,その有効性を完全に発揮するにはいたらなかった。また,古島敏雄氏らによって近世後期には年貢の率が十分高められなかったという指摘があるが,これはここで明らかにしたように商業を中心に剰余が発生したことによって,実質地代の低下が不可避だったことに対応している(注23)。ただし,近世後期には*農民一揆も増加していったことは,本来実質地代すなわち年貢率の低下によって農業の再生産基盤*を維持しなければならなかったにもかかわらず,必要なだけそれの引き下げを行なわなかったことによると考えられる。

6 節 近世農業社会の不安定性と危機   (副目次へ

近世農業社会は,経済的編成原理自体に危機を内在させる要因があったとは考えられない。米価の低下にしても,領主階級が米の独占的売り手として統一した対応をしていれば回避できた。それによって最大剰余の収奪を持続できたはずである。しかし,近世の全体をとおして経済的危機に領主階級はさいなまれた。この要因はどのようにとらえられるだろうか。

まず指摘しなければならない点は,純粋な農業社会の編成原理のもとでは,社会的生産の全過程が主たる農業生産物の生産に従属させられていたことである。さまざまな工業の発展,商業サービスの多様な発展も,それが農業における剰余生産力につながる限りにおいて動機づけられる。農業社会の編成原理が完全に機能すれば工業であろうが商業であろうが,剰余によって動機づけられることはないからである。それらの産業は,たずさわる労働に対する報酬あたる付加価値生産力をもつ程度の価格体系は与えられるが,剰余は生み出すことができない。領主階級が主食を独占することによって,米の独占価格を維持するからである。したがって,近世経済の編成原理が完全に働く限り,工業や商業の自由な発展はありえず,このような意味での非常に偏った,一面的な発展にとどまるのである。しかし,そのこと自体に矛盾はない。近世の領主階級も,みずからが潜在的に意図した社会の編成を厳密に追求する限り,それは持続可能な経済システムだったはずである。

近世の危機の本質的な要因は,領主階級がこの原則から部分的に逸脱したことにある。すなわち領主階級は,みずから商品経済を拡大することによって,農業,特に米の生産に直接関係しないような多様な工業・商業的生産物が,社会の維持にとって必要不可欠になる状況をつくりだしたのである。すなわちそれは,多様な財やサービスが社会のさまざまな階級の必要な消費財の生産に集約していく状況である。このような多様な商品生産は,独自の剰余追求原理を与えない限り発展しないものである。そこに剰余を与えることは,すでに述べたように米の相対価値を低下させ,農業部門における再生産を可能にする年貢の水準を引き下げることになる。近世経済の編成原理は,社会が質素であることを要求する。その要求を領主階級が守らなかったことに,近世社会が繰り返し危機に見舞われた本質的原因がある。

領主階級が多様な消費の促進に向かったのは,領主階級が都市住まい*を強制されたことに大きく依存している。参勤交代*はその象徴であるが,大名はもちろん一般武士もまた*知行地に住まうことは自由にできずに,知行地をもたない武士とともに*城下町住まいが強制された。生産点を離れることによって,そこに商業がさまざまな形で入り込み,都市住まい*の武士による消費選択は多様になり,それが商・工業の発展につながっていった(注24)。

このようは領主階級のかかえた経済的矛盾を最も明瞭にとらえた思想家は荻生徂徠である。徂徠は次のように述べている。

武家御城下にあつまり居るは旅宿也。諸大名の家来も,その城下に居るを,江戸に対して在所とはいえども,これまた己が知行所にあらざれば旅宿也。その子細は,衣食住初め箸一本も買い調えねばならぬゆえ,旅宿也。故に武家を御城下に差し置くときは,一年の知行米を売り払うて,それにてものを買い調え,一年中に使いきる故,精を出して上へする奉公は,皆御城下の町人のためになるなり。これによりて,御城下の町人盛んになりて,世界次第にあやしくなり,物の値段次第に高値になりて,武家の困窮,当時にいたりてはもはやすべきようなくなりたり(注25)。

ここには,領主階級の矛盾が鋭くとらえられている。ただ,単に領主階級が,みずからの消費のためだけに商・工業を発達させるのであれば,それは,自給経済のところで明らかにしたように,社会的剰余の再配分を意味しているだけである。問題は,このように商・工業生産物の消費が一般化し多様化することによって,農民・商人・職人などの消費の不可欠の要素として,商品生産物が登場すると,社会の再生産に必要な部分に多様な商品が入り込むことである。そのために,商・工業における剰余が必要となり,米価が低下し,領主階級による剰余の完全獲得が困難になるのである(注26)。

荻生徂徠とはまったく逆に,剰余そのものを一般化することによって社会の矛盾を解決する,すなわち,近世経済の組織原理の完全放棄を意図した経済思想家も近世末期にはあらわれている。海保青陵は領主による年貢を利子としてとらえ,経済を貨幣経済の原則によって編成しなおし,*石高制的原則の一掃を主張した。

田も山も海も金も米も,およそ天地のあいだに存在するものはみな,しろものである。しろものがまたしろものを生むのは,理である。田から米が生ずるのは,金から利息が生まれるのと何もちがったことはない(注27)。

ここで, しろもの*とはおよそ経済的財貨一般を指していると考えられ,そこから利息が生まれる可能性を指摘している。利息という考え方の中に,剰余としての利潤の一般的な生産可能性の認識があらわれているとみてよい。すなわち,青陵の考え方は剰余の一般的な生産可能性であり,剰余の米による取得にこだわった,近世経済の組織原理と正面から対立するのである。青陵はさらに,武士もまた積極的に*市場経済に参加すべきであるとして,近世の経済的な組織原理からの積極的脱皮の重要性を強調している(注28)。

領主階級が,積極的に商品経済を生み出すようになり,近世の組織原理から逸脱したことは,近世農業社会の危機を生みだし,それが結局はその社会の崩壊にまでつながっていった。近世農業社会の崩壊は,日本における農業の歴史的な敗北*でもあった。しかしそれが結局,経済の進歩という意味でしかないが,歴史的な観点からみれば積極的なものだったのである。近世農業社会は,最も理想的な農業社会の原理を掲げながら,同時に来るべきすべての産業が剰余としての利潤に動機づけられる工業社会の基礎をなすものを内部につくりだしていった,二重化された社会だった。


脚注

(1)いずれも世界歴史事典~ , p.335よりとった。(もどる
(2)「同じ人糞尿でも排泄者の生活程度によって肥効*は異なる。美食者*の糞尿は肥効大であり,粗食者*のそれは劣る。従って繁昌の地の糞尿は良好の肥料であり,これを汲み取り施すことの出来る村里は,穀物・野菜いずれも思うように作ることが出来る」,古島~ , p.344。(もどる
(3)世界歴史事典~ , p.333より。(もどる
(4)山田~ , p.227。(もどる
(5)古島~ , p.207(もどる
(6)三橋~ , p.75。(もどる
(7)西川~ 。(もどる
(8)「都市人口*の集中は当然農産物に対する需要を作るが,毎日の主食が領主の貢租米の商品化せられたものであるほかは,農民の手より商品として送り出されることになるのである。それらは絹・綿織物等の衣料,野菜のような副食物,燈油の原料の他あらゆる必需品・嗜好品を要求するのであり,しかも都市人口の富裕化は商品たる生産物の向上を要求し,量質ともに農村の生産を刺戟することになる」,古島~ , p.185。(もどる
(9)古島氏は,「年貢の収奪が理想どおり百姓の手に余剰を残さずしかもすべての領主が米のみを年貢として収納していれば交換の契機はどこにも生じない」と述べているが,農民に剰余が残らない状態でも交換はありえた。古島~ , p.16。(もどる
(10)「領主およびそれと結んだ城下町の側からの需要によって始まる特産地の成立*が,江戸時代*における農民経済の商品流通介入の最初の大きな契機となる」,古島~ , p.208。(もどる
(11)「古代の鍬から中世の犂へと,主要耕具を換えた日本の農業は,こうして再び鍬の時代へ入る。鍬の時代が進むうちに,やがて急激な農業の発展期を迎える。世界の農業史の一般的な流れは,犂の段階になって発展するというものであるが,再び鍬の時代になり,そこでもさらに発展するというのは特異的である」,岡~ , p.231。「小農経営が一般化する過程では,小農*の生産力発展はむしろ鍬の普及・発展にかかっていた」,古島~ , p.247。(もどる
(12)三橋~ , p.73。(もどる
(13)大蔵~ , p.152。(もどる
(14)「製鉄技術の改良に応じ,新農具が出現し,吹子の出はじめた元禄年間には千歯扱きが,吹子の普及した元文後の頃に*備中鍬がつくられだしたのは,鉄しかも良質の鉄が出まわったことによるものである」,岡~ , p.129。他に飯田~ , 武井~ 。(もどる
(15)古島~ , p.47。(もどる
(16)脇田~ , p.21。(もどる
(17)浦長瀬~ 。(もどる
(18)スミス~ , p.155。(もどる
(19)投下労働価値説と支配労働価値説については,三土~ など。(もどる
(20)p. \pageref{page:rent} 参照。(もどる
(21)この意味で, $p_{1}$ は前章の $v_{g}$ とまったく同じものである。(もどる
(22)米価値体系のこのような機能は,神戸大学経済学部で開かれた研究会で置塩信雄教授に教えていただいた。(もどる
(23)古島~ , 第四章。(もどる
(24)「このような過程をへて地域的な遅速をもって成立した幕藩体制*は,それが確立するとともに変質,崩壊の一歩を踏みだした。それは領主財政の破綻とそれに対する対策のうちにその姿を現わす。領主体制の危機の要因は幕藩体制の基礎条件ならびにそれを確立するための処方策の中に含まれていた。統一的な現物年貢賦課体系がそれであり,兵農分離の表現としての武士の城下居住,大名統制策としての参勤交代による隔年の大名の江戸在府,同じ趣旨に出る大名への土木工事の強制がそれである」,古島~ , p.14。(もどる
(25)荻生~ , p.69。(もどる
(26)熊沢蕃山も米を現実の価値尺度とするという思想を展開したという点では,徂徠と同じ保守回帰的な方向をもっていた。熊沢~ , p.191, 熊沢~ , p.334。また,中村孝也氏も米による価値体系が,交換経済の発展を抑圧し,武家階級の特権と地位を維持するためのものであることを鋭く指摘している。中村~ , p.245。(もどる
(27)海保~ , p.346。(もどる
(28)松浦玲氏は「青陵の経済理論は,経済学説史でいうところの重商主義*の特徴をほとんど全部備えていることにならないだろうか」と指摘している。松浦~ , p.130。(もどる



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