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第7章 経済システムと個性

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1.経済システムの起源
2.経済システム下の技術の変容
3.社会の経済化
4.交換のシステム化
5.市場経済と計画経済
6.成長型経済から極相型経済へ
7.多様性と個性
8.システムの局所化

(この章未完)


1.経済システムの起源

現在の日本社会ののなかで、経済システムの占めている比重の大きさはおそらく誰もが認めざるをえないだろう。この経済システムを個人と集団という関係からとらえるために、その基礎となる構造をとらえておこう。

そのためにまず必要なことは、経済システムを集団としてみた場合、そこで人々を結びつけているものを認識することである。それは、基本的に「技術」と「交換」である。この二つのファクターを認識することは結果としてでてくるべきものであるが、ここではこの二つの概念を出発点としよう。

ここで技術はかなり広い内容をもった概念である。それは、労働と道具を媒介にした人間の自然への関わり方をあらわしている。このような意味での人間の技術は強弱の違いはあっても集団的なものである。全く孤立して自然とかかわって生きていくことは、ロビンソンクルーソーのような状況としてありうるかも知れないが、特殊な例外である。人間の自然へのかかわり方が、はじめから集団的であるがゆえに、技術もまた集団的なのである。すなわち、技術の集団的性格の背後には、人間の本能的集団性があると考えるべきである。

太古において人間は、他の動物と同様に群をなして生きていたことは確実である。群で狩りをし、群で植物を採集し、群をなして魚をとって、群をなして村落をつくり生きていたはずである。さらに、植物を採集するだけでなく、人間の目的に沿った植物を馴化し選択的に育てる形での農業をする場合もまた、人間が集団であることを前提にしていた。そして、このような技術の集団的性格は、現代の生産技術のなかにも直接反映している。最終的に消費者としての個人によって消費される財が、生産に関する国際的な相互連関のなかで生産されていることは、いまやだれの目にも明らかになってきている。

集団的性格をもった人間の技術は、歴史的な長期の視点でみると、自然の全面的かつ根本的な利用を目指しながら発展してきた。そして、技術をさせる集団そのものが、狭い局地的なものから、より広域的なものへと発展してきたのである。初期の段階では、さまざまな資源のあるいは労働、生活手段の広域的な移動と融合にあらわれている。古くは、縄文時代における石器の原料としての黒曜石などの広域的移動などがある。あるいはその後の鉄原料の移動などもある。その後は、世界的なスケールで資源が移動するようになっていった。これは、自然の地域的多様性に人間の集団性を生かす形で対応してるということことができる。

このような集団的技術の発展を可能にしたもっとも人間的な要素は言語的なコミュニケーション能力の高さである。この能力が、技術的集団が広域化しても、自然にそれぞれ直接かかわる人々の間の意志疎通、あるいはそれら全体の調整にたずさわる人の意志の伝達がある程度は可能になり、集団の持続する可能性が生まれた。

しかし、この言語だけでは広域化は強い限界性をもっている。集団の共同体性が、個人の直接的関係のなかで確保できるような小さい集団が、前提を変えないままより大きな地域にまたがる形で発展するためには、言語的なコミュニケーション能力だけでは困難だということである。言語的なコミュニケーションばかりでなく、さまざまな物語の共有、神の共有、文化の共有だけでも、集団的な技術を支えるためには不十分である。その集団は、宗教のように精神性によって支えられるものではなく、自由な時間の犠牲や苦痛を伴う労働を媒介にして成立する集団だからである。

いいかえれば、その集団のなかで個人の支出した犠牲が評価されむくわれなければならないということである。そこに人間の集団性があらわれている。すなわち、人間の集団性一般が、個人の評価される必要性、個人が集団内の相互関係のなかで自己の意味を確認することの必要性をあらわしているが、個人が自己の犠牲を集団内で評価される手続きもまた必要なのである。技術とは、このような意味での集団性の発露なのである。

技術が自然の地理的多様性に対応する形で、その背景となる人間集団もまた拡大する。このとき、人間の集団性を確保する形での拡大にするため発明されたものが交換である。すなわち、交換とは個人間、個人と集団間、集団と集団の間の、犠牲の相互的な評価手続きである。したがって、交換とは集団性を壊すものではなく集団性を広域的に再生させるための手続きである。そして、このようにとらえなければ、縄文社会のような採集狩猟社会における資源の広域的移動の存在を合理的に説明できないのである。

ある労働そのものや、モノとしてあらわれた労働にたいして他者や他集団が与える評価が、交換対象の労働そのものやモノに体化した労働によって表現されるというわけである。ただし、この労働というのは、いわゆる労働価値説などにあらわれる計量単位としての労働や労働時間ではない。労働というよりも労苦と言った方がよいかもしれない。評価に値する労苦、時間の犠牲をあらわすものである。それは、感謝の交換であり、交歓といってもよいようなものである。経済学にいう交換価値が、本源的な交換では重要な役割は果たしていなかったと考えるべきである。

一方に技術の集団的性格が存在し、また自然のそのものの広域的性格にともなう技術的集団の広域化が存在し、もう一方でその広域化のもとでの集団性を保持する手段としての交換が登場しても、今日の私たちの社会で支配的な経済システムというようなものは生まれなかった。経済システム発生の経過をとらえるためには、もう一つの決定的に重要なファクターに注目しなければならない。それは、物質の流れである。

交換は、その形式的な面だけをみれば、ネットワーク的な集団関係を形成する。ネットワークというのは、要素間の関係が二対の関係に分解できるような集団の性質をあらわす。あるいは、二つの要素の連鎖から集団が構成されているととらえることができるものをネットワークと呼ぶのである。それがスポークのようなものであれ、網の目のようなものであれ、ネットワークである。

このネットワークの上にシステムという構造が形成されるためには、技術が物質の流れをとらえることが必要だった。人間ばかりでなく地球上のあらゆる生命にとって、物質の流れのなかでもっとも重要なものは水の流れである。水の流れと密接な技術が人類史上に登場することによって、システムという特殊な集団を形成するための社会ソフトウエアが開発された。人類史の初期の段階において、人間の存在にとってもっとも重要な技術は農業だった。この農業技術のなかで、水の流れと密接な関係をもった特殊技術は灌漑である。

古代の大文明が大河川に結び付いていることから例をとることも可能かもしれないが、日本的な文明の流れのなかにもその例が発見できる。日本の場合、これが劇的な形であらわれているということもできるのではないか。日本では、縄文以前と弥生以降とでは社会構造が本質的に変わった。すなわち、弥生以降の社会は、システム化した部分を指すようになったということである。社会システムが発生した、ということができる。そして、この決定的な要因が灌漑水稲農耕の導入なのである。

灌漑水稲農耕によって日本人ははじめて社会システムというソフトウエアを手にした。それはおそらく輸入されたものではない。すでに、朝鮮半島や中国大陸においてはこのソフトウエアは開発されていただろう。したがって、社会システムというソフトウエアそのものはなんらかの形で日本に伝わっていた可能性が高い。しかし、それでも社会システムは日本的な自然的あるいは文化的基礎のなかでしか本格的に花開くことはなかったのである。

それは、日本における社会システムの本格的な形成が大和川流域で行われたというところにあらわれている。

日本において農業そのものはすでに縄文時代から始まっていた可能性が高い。もちろん、その場合、農業とは何を指すかのしっかりした定義がされなければならない。しかし、灌漑水稲農耕は紀元前三〇〇年頃に北九州から開始され、非常に速い勢いで日本列島を東に伝搬していったことは確実である。弥生時代は、灌漑水稲農耕が生み出す地域的社会システムどうしの戦乱に明けくれた時代だったが、それが結局、大和政権によって国家としてまとめられていったのには、大和川の生み出す広域的な海外農耕の単位の相互連関があったということである。

大和川は葉脈状の河川構造をもっている。それは、本流とブロック化しうる支流という構造をもつ淀川などとは大きな差異を生み出している。このような大和川の河川構造が、広域的な全体目的をもつ社会システムを維持するためのソフトウエアの開発につながっていった。すなわち、このように物質の流れが技術と密接に関連する場合は、個別の最適化が全体の最適化と整合的にならない。はじめから、全体を最適化する目的とそれを実現するための構造が存在していた方が、より高い生産性を実現できることになるのである。

このような河川の水の流れだけでは、河川を超えた社会システムの形成の動機は決定的とならない。もう一つの物質の流れが必要だった。それは、鉄などの資源の地域横断的な流れである。鉄は、当時の農業生産性を決める決定的な要素だった。弥生時代には、鉄の地金は朝鮮半島などの外部から供給されたので、日本の灌漑農耕地域に広範囲に鉄が効率的に配分されるためには、それぞれの地域ごとの最適な必要水準に任せておくことはできなかった。特定の地域に集中的に供給されるのではなく適当に分散して配分される方が「全体」としてはより高い生産につながっていくものだった。したがって、そこにはより広域的な、最終的には全国規模の社会システムが必要になったのである。

ただ、この時代の段階では、経済システムが社会システムから分離している状況ではなかった。社会システムがまた経済システムでもあった。この分離は、弥生時代に始まった農業社会が近世という時代とともに終了し、工業社会が成立するまでは実現しなかったのである。いずれにしても、未分離ではあっても経済システムそのものは機能していた。この、経済システムがそれ以前の技術と交換にどのような影響を与えたのかを集団と個人という視点からとらえておくことが重要である。

2.経済システム下の技術の変容

まず、技術から考えてみよう。技術の集団的性格をもっているという事実そのものは、経済システムにおいても、それ以前の単なるネットワークとしての集団のもとでも変わらない。しかし、集団的性格そのものが変化するとともに、自然に対する関わり方は本質的に変わった。

経済システムが成立したということは、人間の技術そのものもシステム化したということである。技術が一つの社会システムとして、労働と自然を媒介するものになったということを意味する。

自然はもともと一つのシステムとして機能している。エコシステムすなわち生態系である。経済システムが成立するまでは、人間の技術は集団的であっても自然のシステムにあわせていた。しかし、経済システムが成立した後は、自然のさまざまな要素は経済というシステムにあわせて用いられるようになった。自然のシステム性が無視されるようになったのである。自然と経済の関係は、二つのシステムの間の関係となった。

自然がシステムであるとは、自然にも全体としての目的が存在しているということである。このようにいうことは、自然を一つの擬人化してとらえているということを意味する。目的という言葉が人格性をもった概念だからである。このような人格的な表現が妥当するほど、自然の全体としての秩序形成能力の高いことを私達は認めなければならないのである。すなわち、与えられた非生物的自然環境のなかで、さまざまな生物種の個体群が複雑かつ精密な相互関係をとおして、全体としてのエネルギー処理能力を高めようとしている。もちろん、そこには個別の種を超えた全体の調整者は存在していない。しかし、想像を絶する長い進化の過程のなかで、種を超えた秩序の保ち方が個々の生物の遺伝子のなかに組み込まれていったと考えることができるのである。

人間の生業がこのような自然のシステムのなかから独自の経済システムとして成立することによって、自然の全体的な目的とは必ずしも整合的とはならない新しいシステムが誕生したわけである。この経済システムも一つの全体的な目的をもっている。農業社会は全体的な目的が農業生産物でとらえた剰余の最大化であり、それは土地に対する排他的な支配権をもった権力者によって実際に体現されていた。工業社会においても、消費者や企業家・資本家はそれぞれ個人的な目的で経済システムに参加しているが、全体目的としての経済成長は政治家や企業(家)連合のリーダー達などの政治権力者がそれを担っている。

この経済システムが成立することによって、自然のシステム性が経済システムの目的と矛盾しない範囲でしか尊重されなくなった。それは、自然が人間によって、よりラディカルに利用されることを意味している。ラディカルであるとは、人間の技術が水の循環を中心にした自然の物質循環を部分的にではあるが大規模に制御することを基礎に据えたことである。そしてこれが、経済システム以降の人間による自然破壊の歴史の主要な背景になっているのである。経済システム成立以前であっても、自然資源の過剰搾取が生物種の絶滅に追い込むなどの自然環境破壊の例は存在する。しかしそれも、システムのもとで実行可能であるようなラディカルさを欠いていた。

3.社会の経済化

ところで、もともと経済とは、人間がすでに述べたような意味で集団性をもった技術に媒介されて、生活に必要な資材を獲得する人々の間の活動的な関係をあらわしている。したがって、技術とは自然と人間集団との媒介する性質、あるいは媒介のあり方に注目した人々関係であり、技術と経済は同じものの二つの側面であるというべきものである。ただし同じような人間相互の関係をとらえていても、技術の方が経済に比べて関係の内容は狭い。たとえば、自然から獲得して加工された財が、人々の間に多様な割合で分配されていく関係性は、技術的側面よりも経済的側面を強くもった人と人との関係である。

そして、社会とはこのような意味での経済や技術に限定されない、家族などの多様な集団の形式、文化や精神生活など、人の生活の全体を視野においた人と人との活動的な関係をあらわしている。このような意味での社会を人類は常に形成していた。技術がシステム化する以前においても社会はネットワーク関係を基礎に地理的に広い範囲に形成されていたのである。そして、経済はこのように形成された社会のなかで機能していた。たとえば、地縁・血縁はそれだけでひとつの水平的なネットワーク型の社会を形成する。そして、技術がシステム化する以前においては、地縁・血縁にある人々が協力して必要な生活資材を確保するという形で、このネットワーク社会に規定されて経済も機能していたということである。

しかし、技術がシステム化し、経済がシステム化することは、人々の生活の基幹部分がシステムによって機能することであり、それは水平的なネットワーク社会から自立した存在となる。そこに急速な相移転が発生し経済のシステム化にあわせて、逆に社会そのものがシステム化するのである。社会が経済ののみ込まれることによって社会システムは発生したのである。システム化した社会すなわち社会システムは、経済システムに従属した社会なのである。

社会は、経済にのみ込まれながらも経済によって消化されない要素を、本来数多くもっている。さまざまな文化的な要素や、家族関係、地縁関係、精神生活にかかわる人と人との関係などは、単純に経済に支配されない。しかし、経済がシステム化することは、社会生活のあらゆる側面がシステム化の脅威にさらされることなのである。

そして、社会のさまざまな部面の急速なシステム化は、工業社会とともに本格的に開始された。社会はそれによって、技術的に高い効率性を実現することができるようになり、逆に高い効率性を追求すればするほど、社会のより広範なシステムかが必要になっていったのである。さらに、日本のような社会の成熟化は、このシステムの一般化を加速度的に進行させていくようになった。

4.交換のシステム化

交換は財をもたらす労苦に対して集団的評価を与える手続きだった。それは人間の集団性の一つの発露という性格をもっている。この意味で、交換は集団内の現象であり、もし集団あるいはそのメンバーが別の集団あるいはその別な集団のメンバーと交換すれば、それは集団の拡張である。

交換が集団内的現象であるというのは、その集団がたとえ共同性の高い集団であっても変わらない。そもそも、交換がおこなわれるのは、交換の主体が個人であっても集団であっても個性をもっているからである。交換の原因は個性である。交換が個性を生み出すというのも全く逆転した発想である。人間の個性は歴史のある時点で生まれたものではない。したがって集団の個性もそうである。個性的であることは人間であることの本質的内容であり、高度な知性を生み出す大脳は個性も不可避的に生み出すのである。

所有形態が交換の原因であるかのように考えるのも本質を見誤っている。奴隷所有であっても土地や生産資材の所有であっても、歴史的には新しい知識ないしは概念である。交換はそれ以前から存在していた。所有などというのは本来説明されなければならない社会的には高次の概念なのである。

個性的な人間の労働そのものも個性的である。労働を投下された自然の素材、あるいはすでにそれに先行する労働投下がおこなわれた財は、また個性的な素材としてあらわれる。交換の相手はその個性的な労働に評価を与える意味で、また個性的な財を提供するのである。この個性は個人の個性だけではなく、集団の個性に置き換えても成立する。このように交換は、交換の当事者がその個性において評価される瞬間なのである。

社会システムが成立する以前のネットワーク社会においては、技術は集団的であってもそれぞれの個性の豊かさや質の高さが技術のレベルを決定していた。言い替えれば、個人が個性的であることが技術が高いことの必要条件だったのであり、質の高い多様な個性に支えられた集団が高い技術をもつことになったのである。そして、交換はこのような技術をささえ、また逆にこのような技術に動機づけられて機能していたのである。

このようなネットワーク社会における交換においては交換されるものは何か具体的な財や具体的な労働であることが必要だった。貨幣としてあらわれてくるような交換価値などは問題にならなかった。交換は集団内の一つのコミュニケーションであり、交換対象の財は個性を語らなければならなかったのである。

経済がシステム化し社会システムが成立すると交換の意味に重要な変化があらわれてくる。それは、集団と個人の間の関係に重要な変化がもたらされるからである。システム成立以前は、交換の連鎖、すなわちネットワークが経済の全体を作り上げていた。そのネットワークに先だって経済の全体はありえなかった。しかし、経済のシステム化によってこの関係が逆転する。全体がネットワークに先だって存在するようになったのである。そして、個別的な交換のなかにも全体が反映するようになってくるのである。それは、交換要因としての個性の絶対的な地位が失われることを意味していた。

表面的な現象としては、システム化した後も交換は個人的あるいは個別的な過程だった。何を交換するか、何が交換できるかは個人なり個別的あるいは部分的な集団に依存していた。しかし、同時に経済の全体的な目的のなかに、それぞれの交換が位置付けられることになるのである。全体的な目的とは、たとえば、農業社会の場合には農業生産物剰余を最大限に実現するという目的であり、あるいは工業社会であるならば、国民所得の持続的増大を目指す経済成長の実現という目的である。初期の農業社会においては、鉄素材や鉄製品の交換が農業生産力に直結したように、工業社会においては、経済成長の持続性を決める産業構造が産業のコンフィギュレーションが交換の全体的な状況によって条件づけられていたのである。

交換は、一面ではネットワーク的な連鎖の部分のになっているのであるが、もう一面では全体に規定された部分過程という意味をもつようになってきたのである。それは、ある交換とそれに必ずしも直結してない別な交換が全体のなかでどのような関係にあるかが、比較可能にならなければならないのである。そして、このような共通の計量単位としての貨幣ないしは貨幣財が登場してくる。

これはまた、それぞれの交換において個性以外の配慮が配慮が働くようになることを意味する。すなわち、貨幣単位という共通基準でみてこの交換が妥当性をもつかどうかという配慮である。それはまた、つぎの交換の機会に、この交換でえたものがどのような貨幣単位ではかった価値で交換できるのかという配慮につながっていくのである。

このような交換における個性の果たす役割の低下は、経済における個性の意義の希薄化、したがってまた社会における個性の意義の希薄化を意味していた。それは、ちょうど技術において個性のもつ意味が、経済がシステム化することによって希薄化するのに対応しているのである。

ここでやや理論的な問題に言及しておこう。それは、経済学が教える純粋交換の状況である。もっとも単純な二者の間の二財に関する純粋交換を考えてみよう。二人がそれぞれ二つの財を適当な割合で保有している。もちろん、各財をそれぞれどちらか一方しか保有していない状況でもよい。どちらか一方が、それぞれ違う財を相対的により多くもっている状況が一般的でよいかもしれない。経済学は、二人が二つの財について整合的な無差別曲線を描けるような選好態度を有していると、交換によって二人ともに効用水準を高められるような状況を表現することができる。

さらに、交換比率について二人の間で十分な調整がおこなわれると、両者が合意できるような交換比率に到達する状況を描き出す。これは、上で私が示してきた交換に関する考え方と重要な点で対立している。なぜなら、この場合、二人以外の交換に対する何らの配慮もないのにかかわらず、二人の交換当事者が二つの財の交換比率にこだわっているからである。つまりそれは、経済システムが成立する前の交換においても交換比率に対するこだわりが存在していた可能性をあらわすものにもなりえるからだ。

しかし、そのような解釈は不適当である。経済学の二人に財の純粋交換はシステム化した経済における経済主体の交換を二人の場合に表現したものである。経済がシステム化する以前においては、交換比率を徹底して自分に有利な状況まで、相互に追求しあうということは有りえなかった。交換は、集団内の個人の評価手続きであったのであり、人は相互に相手が評価されたと感じることができるほどに相手に与えたのであり、また自分個性を表現できるほどに与えたのである。財の交換比率へのこだわりは、この一回の交換がまた他の交換に連鎖することを意識するときに発生する。もちろん、それが全くゼロだったと言うことではないだろう。ただ、それが主要な交換手続きになったのではない。

5.市場経済と計画経済

市場経済とは、経済がシステム化している下で、交換によってその全体的なつながりが実現している経済を指す。その意味では、ネットワーク型の経済は、交換からその全体が構成されているが、市場経済とはいえない。

この市場経済は、工業化社会においては経済成長という全体的な目的をもっている。目的という人格的表現を用いると、その目的を担う主体がいて、それが経済システム全体の活動を計画的にコントロールしているかのようにもとられる。しかし、それが実体にそぐわないことはだれにでも理解できるだろう。あくまで、個別の経済主体は自らの個別的な利害にもとづいて生産と交換と消費をおこなっているのである。

それでも、システム化した経済の下では、一面ではそれらの個別的なりが命からが生み出す力の合成の結果として、、もう一面では、それらの力をいかしながら、政府などの国家の中枢にある政治主体がさまざまな経済政策によって、どの個別利害も欠いている全体性に関する制御を行うことによってマクロ目的は追求される。後者も決して全体的な計画化といわれるものではない。あくまでも、経済の活力のにないてである個別経済主体は大きな自由を保持したままであるから。

このような市場経済に対立する経済の仕組みとして計画経済が考えられ、また実際に存在していた。計画経済は、カール・マルクスを中心に一九世紀から今世紀にかけて提唱されてきた社会主義思想の主要な構成部分の一つを成しているものだった。計画経済は、市場の意義を否定し経済全体を集権的な意思のもとに合理的に制御しようというものであった。この計画経済は旧ソ連を中心とした社会主義圏の崩壊とともに、実態としてもイデオロギーとしても存在感を失っていった。

計画経済崩壊の原因は単純なものではないだろうが、ここでは、交換の意義が否定された経済の問題点をとらえておくことが必要である。

計画経済の重要な特徴は、したがって交換にもとづくネットワークが存在しないかないしは希薄なことである。すでに、経済がシステムかする以前の経済、すなわちネットワーク経済とシステム化した経済の二つの経済の差異については明らかにしてきた。そして、経済がシステム化することによって、交換における個性の絶対的な地位が失われることを指摘した。それは、一つの交換に関わる評価が、個性の評価という面とともにシステムの全体の観点から与えられる評価が二重にあらわれることを意味していた。それでも、そこではまだそれぞれの個性が集団から評価されるという論理は生き残っていたのである。ところが、計画経済においては、このような個性の評価の余地が失われてしまっているのである。

計画経済においても、個別経済主体、すなわち国営企業や国営農場あるいはそこで働く労働者個人が自発的努力をする余地はあったであろうし、またそれを評価する仕組みがなかったわけではない。

問題は、経済が本来もっていた集団性を実現する場としての機能にある。交換というのは、主要には経済的な側面に限定されているが、集団の中で自己の意味を確認する行為でもあった。すなわち、それは人が本能的にもっている集団性の発現行為なのである。この場合大事なのは、個性と個性の関係になることである。交換はまた交歓でもあり、個性どうしが評価し合う場なのである。そして、その連鎖が経済の全体を構成しているのである。初期のネットワーク社会においては、個性が交換において絶対的な意義をもっていた。経済がシステム化した後も、この絶対性は失われたが、交換のこの側面は不可欠な側面として生き残っている。しかし、計画経済においては、このような経済活動をとおしての集団性を実現する機会が奪われてしまっているのである。

計画経済においては、集団性を実現する機会が、マルクスの表現を使えば疎外されてしまっているのである。確かに、個人的な努力は評価されるかもしれないが、それは個性と個性の関係の中ではない。全体性と個性の関係なのである。個人的な努力は全体の目的との関係の中で評価されるのが基本なのである。したがって、それ自体では、個性と個性の関係の中で集団性が実現されていくと言うルールが破られてしまっているのである。

しかし、社会主義はこれを克服する道を用意していた。それは、経済の直接的な関係性の中で集団性を実現するのではなく、宗教においておこなわれるのと同じような集団性実現の道を開いていたのである。すなわち、宗教においては、その宗教のシンボル的存在に個性が集中される。キリストやモハメッドあるいは親鸞などの教祖への個性の集中がおこなわれるのである。教義や奇跡などの行跡のすべてが個性の発露とされるのである。宗教における神と個人との関係は、個性と個性との関係である。そして、社会主義的計画経済においては、個人崇拝としてシンボルとしての個性が登場して、この個性との関係の中で経済に参加する個人の集団性の実現が図られるようになっているのである。

社会主義的計画経済は結果として崩壊したが、そのことから学ぶべき最大の教訓の一つは個性に裏付けられたネットワーク的経済が、人間の個性に裏付けられた集団性の実現の場として不可欠だということである。人間がシステム化した経済の下で生活するようになったのは、人間の数百万年の歴史から言えば、現代に続くほんのわずかな期間に過ぎない。それ以外のほとんどの期間では、人間は自らの個性を体化したものとしての労働や財を交換し合いながら自らが集団の一員であることの喜び、集団に受け入れられ、集団に認められ評価されることの喜び、すなわち人間としての集団性を実現してきたのである。社会主義的計画経済は、この集団性実現の場を捨て去るという無謀な実験をしたために崩壊した。

そのことは、現在のシステム化した経済の問題点も明らかにしていることを見逃してはならない。すなわち、システム化した経済は個性の連鎖としてのネットワーク的な経済連鎖を従属的な位置におとしめてしまっている。言い換えれば、ネットワーク経済と計画経済を表と裏に張り付けたコインのような経済にしておきながら、表は、計画経済と同じような意味をもつ全体的な目的に沿って経済を組織しようとするものとなっているのである。

もちろん、今日の経済から完全なネットワーク型の経済に戻ることは不可能である。しかし、経済のシステム化は社会のシステム化をもたらし、社会の隅々にまでシステム性が浸透する状況の下で、人々の個性の役割がどんどん希薄化してしまってきている。このような状況を危険なものとしてとらえ、経済の中に個性と個性の連鎖の要素をいれることの必要性を計画経済の崩壊が物語っていることを忘れてはならないのである。

6.成長型経済から極相型経済へ

現代の日本経済を経済システムと個性という視点からとらえ直したとき、そこに何が見えてくるか、あるいは新しい経済をどのように展望できるかを考えてみよう。

日本経済を経済成長というマクロ目的をもった成長型の経済ととらえたとき、そこにさまざまなノイズがあることに気づかざるをえない。ただ、ノイズがあっても、基本が成長型経済であることは否定できない。規制緩和の大合唱や、金融ビッグバン、行政改革あるいは科学技術大国といったスローガンがすべて日本経済の新しい競争力、したがってまた経済成長への条件作りという意味をもっている一方で、環境対策などにおいて経済の競争力にかかわる政策には消極的な姿勢を示すという点では一貫している。

日本経済を成長経済としてとらえたときのノイズは、高齢化社会や環境問題など、経済の範囲では単純に解決できない問題に否応なく取り組まざるをえなくなっていて、しかもそれが社会全体の問題の中で実に大きな比重を占めているということである。さらに、社会の中からあらゆる効率性を絞り出そうとする経済のシステム化に動機づけられながら、社会全体のシステム化が進行し、社会の中から個性が集団性を実現する場を次々と奪い取っている。それは、計画経済が人々の活力を取り込めないようなシステムとなったのと同様の、社会の活力の低下につながろうとしている。

すなわち経済や社会が成長するにはどんどん重たくなってきているのである。しかし、成長という全体の動機は今でもいきている。日本の経済がすべての重荷を下ろして身軽に成長する経済になることはほとんど不可能になっていきている。重荷を下ろすことが、何にも本質的な解決もせずに、課題をなげ捨てるだけで、再び成長につっ走ることは可能だろう。しかし、それらを解決しながら、新たな成長のターンパイク(高速道路)に乗ることはもうできないのである。

その意味で、私たちは新しい経済のモードを展望せざるをえなくなっている。そこでは、経済のマクロ的な成長は社会の支配的な目的にすることができなくなっている。しかし、個々の消費者や個別企業および企業家は自らの個性をかけて、経済という舞台の上で精いっぱいのパフォーマンスを繰り広げている。さまざまな個性が生み出す創造的な活力が、それまでの社会的な総所得の増大という形での経済成長には必ずしもつながらないが、社会のダイナミズムを生み出すような社会である。

このような社会は先に述べた極相社会である。そして、その社会にはめ込まれた経済を極相型経済と呼ぼう。すでに述べたように、極相とは生態学に登場する概念である。やや、繰り返しになるが、生態系の極相の主要な特性と極相社会の比較の主要な点を以下に示しておこう。

それは生態系が遷移の過程に到達する成熟した定常状態をさしている。一次遷移という生態遷移は、溶岩が流出した平地のような生物的基礎のはじめからないような場所で、植物の種子が到達し岩石の腐食による崩壊などから土壌の成分が少しずつ形成され、植物が成長・枯死し、バクテリアや菌類の分解者の活動が活発化し、有機物からさらに本格的な土壌が形成され、植物の種類が多様化し消費者としての動物が発生多様化して、というかたちで進行する。二次遷移とは、すでに何らかの形で生態系が成立していたものが、自然の撹乱や人為的撹乱によってその状態を変えられたところから出発する遷移である。

この生態遷移においては、必ず、生態系全体としての成長のフェーズ(局面または段階)が存在してる。そのようなフェーズが存在していなかったとするならば、それははじめから生態遷移ではないのである。この成長過程は生態系がかかえる全体のバイオマス(生物体量)の増大によって測られる。具体的に、たとえば森林生態系の場合は、さまざまな樹木の全体としての乾燥総重量、樹木以外の植物の総乾燥重量から、動物あるいは菌類・バクテリアまですべての生物体の乾燥重量であるが、基本的には最初の総樹木のバイオマス量の増大で成長を測ればよいだろう。

この成長過程では、物理的な自然環境がもっているさまざまな形での資源の粗野な利用によってより急速な成長を可能にする種が生態系全体をリードする。この資源の中には、物質的資源のみならず、さまざまな空間的な資源など非物質的資源も含まれている。この成長過程は、物理的自然がもっている環境収容力(carrying capacity)に余裕のある状況で生まれるフェーズだといってもよい。

この過程では、生物種の個体群どうし、あるいはさまざまな個体群と物理的自然との関係も、相対的にゆとりのある物理的資源の中で粗野に形成されていく。それは、太陽光によって供給されるエネルギーの利用効率によってとらえられる。すなわち、太陽光エネルギーは、生態系に供給さると生物体に固定化されるか固定化されないままに散逸する。資源が豊かであれば、生物体に固定化される割合は高くなるだろう。

そして、植物によって固定化されたエネルギーは生物的に利用され呼吸廃熱として散逸していく。重要なことは、生態遷移の成長過程では、生態系全体で固定化されるエネルギーに比して生態系全体で呼吸廃熱となるエネルギーの割合が、その後の極相状態と比べて低いのである。これは、成長過程でエネルギーが有機物として固定化されたまま利用されない残っていくものが相対的に多くあることを示している。この固定化されないものの一部は生態系の全体としてのバイオマスの増加に用いられ、残りは、成長過程ではゴミが発生していることを意味している。すなわち、枯れた植物のさまざまな要素や死んだ動物の部分が完全に分解されないままに、生態系の中に留まったり、生態系から流出したりしているのである。

物理的自然の環境収容力に余裕がなくなってくると、生態系は新たなフェーズに移行する。それが極相である。生態系は極相のフェーズに移行すると、生態系のバイオマス自体はほとんど増加しなくなる。すなわち、成長から定常状態に移行するのである。そして最も重要な特徴の一つは、固定化したエネルギーのほとんどを生態系の維持のために使い切るようになることである。これが重要な特徴であるというのは、生態系のコンフィギュレーション(構成種およびそれらの構成比)を、固定化したエネルギーを呼吸廃熱として使い切るようにするためには、非常にデリケートな調整が必要になるからである。それは、人間の社会で言えば、ゴミをほとんど出さなくなるような社会が極めて難しいことから少しは想像できるであろう。

また逆に、生態系はその全体の維持にエネルギーを使い尽くさなければならないほどに重たくなってしまっている、と解釈することもできる。したがって、バイオマスの全体としての成長のためにエネルギーを使えなくなってしまっているのである。しかし、それは「死んだ定常性」のなかにあるわけではない。生きたダイナミックな定常性なのである。第一に、それぞれの個体や個体群についてはさまざまな形で規模を変えている。。極相においても、生態系をマクロ的に見れば、枯れたり死んだりする個体があり替わりの個体が成長したりする。

第二に、極相においても、その物理的自然は、大小さまざまな「ゆらぎ」のなかにある。そのゆらぎに対して、あるときは極相にある生態系は頑健に自らの状態を維持し、またある揺らぎに対しては、自らのコンフィギュレーションを一時的に変化させならが、極相状態を復元するだろう。

第三に、揺らぎをとおりこして、物理的自然そのものが不可逆的な変化を起こすこともある。もちろん、時間の視野を長くもてば、物理的自然は地質学的な変化の中にある。変化のスピードがゆっくりしていれば、生態系もまた極相状態の小さな変化で対応していくだろうし、それが大きければ成長あるいは規模の縮小を伴う新たな遷移過程に突入するかもしれない。

ただ、全体として極相においては、生物種の全体としてのコンフィギュレーションは成長期と比べれば、相対的に安定している。

この極相において、その物理的環境との調和ある関係を実現するようになり、生態系は持続可能性を獲得する。生態系は、物理的環境の提供する資源やサービスなどの環境収容力の限界に直面するとき、規模の拡大が許容されたそれまでの状況とは異なる、このような新しいモードに移行するのである。私たちの経済システムも、このようなモードを変更する時期にきている。しかも、状況の類似性はいろいろな意味で著しい。自然に支えられたシステムが意識するべき共通の教訓を提示していると考えるべきで、生態系のこのような傾向から学ぶべきところは大きいと言わざるをえない。

ここまで述べてきた、生態系の極相状態におけるさまざまな特質と、それらが極相型経済のどのような性質に対応しているかを一つ一つ示すことは余計であろう。極相の生態系を構成するさまざまな生物種の個体あるいは個体群を私たちの社会経済システムの個別の経済主体に対応させながら、考えれば容易に対応づけられるだろう。しかし、以下の諸点はあらためて言及する価値がある。

第一に、極相モードへの転換において、環境の限界が決定的な役割を果たすことである。成長のモードの持続は資源や環境収容力における余裕に支えられる。しかし、このような冗長性が失われることによって、システムの全体が調製過程に入り、極相に移行していくのである。一般に、システムにおいてこのような限界は、システムの辺境、限界を与える物理的自然と直接に接する点においてまずあらわれる。それは、システムのより高次の階層に不可避的に伝えられ、さらに低次の階層に揺り戻し的に情報が返され、この繰り返しのなかで構造が形成されていくのである。

私たちの社会システムもまた、このような限界に関する情報がシステムの隅々にまで伝えられていく必要がある。限界が辺境から十分に拡散しなければ、そこで環境問題が深刻化する。限界に対する情報は、できるだけ速やかにシステム全体に浸透しなければならない。このような、より高度の情報伝達構造をもっていればそれだけ、極相モードへの移行がスムーズになる。

生態系における情報は、食物連鎖や、それ以外のさまざまなサービスのやりとりなどをとおして伝えられる。それは、情報の伝達というより物質とエネルギーに媒介された連関である。周辺から中心へ、中心から周辺へ、点から面へ、面から点へと、情報は伝わる。それは、大きなタライに水をいれて、振動を与えた時の波のようなものである。このような情報の運動のなかで、生態系における極相のコンフィギュレーションが形成されていくのである。

私たちの社会システムにおいても、情報の伝達構造は、類似している。情報は、市場における価値と言う形をとっても伝わり、マスメディアをとおしても伝わり、また、組織内、組織間の情報としても伝わる。環境の限界という点では、経済システムにその情報が適切に伝わっていくメカニズムを形成することが決定的に重要な意味をもっている。地球温暖かをまねくと指摘されている二酸化炭素や、さまざまな環境問題の原因となるゴミの排出など、今日の社会経済システムが直面している限界の問題が端的にあらわれている。このような場合に、直接的な排出規制、課税や課徴金という形、あるいは排出限界のなかでの主体間の排出権の取り引きによってこのような限界をシステムに浸透させる可能性はある。もちろん、それらは所得分配などに無視しがたい歪みを与える可能性はあり、それらに対する補正処置は不可欠である。

そして、このようなシステムの外部的限界に対する情報のダイナミクスが、現実的な影響力を行使するようになり、システムのコンフィギュレーションを調整させていくならば、社会経済システムは極相モードに移行していくのである。

第二は、成長型経済システムから、極相型経済システムへの移行過程についてである。成長型経済システムの境界からの環境の限界についての情報が経済システムの内部に効果的に浸透していくならば、さまざまな形で、このシステムからの離脱が発生する。成長型経済システムにおける企業は、経済の全体的な規模の拡大のなかで、あるいはそれとパラレルな形で自らの成長を実現しようとする。これに対して極相型経済システムの企業は、経済システムのなかにある隙間を埋めることを目的とすることによって、活力ある存在感を確保しようとする。そして後者のような、経済システムのなかにあるより大きな隙間をとらえる、あるいはさまざまな隙間を多様な能力で埋めていくような力を持った企業が主流になるのである。

この離脱は、もっと違った形で、すなわち企業の内部的な質そのものも変えるような形でもあらわれるだろう。次のような状況を考えればよい。すなわち、例えば時間の余裕のある主婦達が集まって地域のなんらかのサービス、たとえば老齢家庭への弁当の配達販売をはじめたとしよう。これも一つの企業である。しかし、必ずしもその企業は、高い利潤の実現を目指すようにはならないだろう。そして、このような形で形成される企業が極相型経済では重要な役割を果たすのである。成長型経済では、このような隙間はかえりみられず、取り残された。しかし、極相型経済においては、このような隙間を埋めることによって、成長型経済では実現できなかった形で人々の厚生水準の増加が実現されるのである。
そして、高収益が主要な目的とならないこのような企業の内部においては、企業そのもののシステム性が希薄になるのである。

このような移行のためのもっとも重要な基礎は、人々の旧来のシステムからのより大きな自由の獲得である。この自由も経済的、政治的、文化的な多様な側面を持っている。経済的側面に限定した場合に、具体的な意味でもっとも重要な内容は、労働者の労働時間の大幅な短縮である。先ず何よりも、旧来のシステムにおいては、労働時間とは高い緊張性を持ったシステムに拘束される時間である。この時間を短縮することは、人にシステムの主体として個性の自発的抑制を求める時間を短くすることを意味し、個性の解放と発露を容易にする。そして、この解放される個性こそ、極相型経済システムにとどまらず、それを含む社会全体の活力の基礎にならなければならないものなのである。

この労働時間の短縮は、同時に、成長型経済システムがもたらす雇用の不安定性や経済システム自体の活力の低下を緩和する。人々は、労働そのものを分け合うことによって、長時間雇用されている人々と、完全に失業している人々の存在という不均衡を緩和することができる。そして、システム化した企業から解放された時間を自らの厚生水準を高めるために用いることができる。それは、経済システムに依存性を低くして実現可能なものである。また、それによって社会の活力が、経済システムに拘束されている活力によってしかとらえられない状態から、準経済的あるいは非経済的な人々の活動によって豊かにされることを意味している。成長型経済においては、経済が不況に陥り、生産活動や雇用が縮小するとそれは直ちに社会の活力の低下を意味していた。このような状況の緩和が可能になるのである。

全体として、極相型経済システムは、成長型経済システムの腐朽とともにそれを覆う形でより包括的な構造として形成されていくだろう。ただ、その新しいシステムが、それまでの成長型経済システムの実現していたシステム性とは異なった特性をもっていることに特別な注意が必要である。

7.多様性と個性

極相型経済システムが持つ特性について、さらに詳細な考察を加えよう。

極相型経済システムにおいては環境の制約、資源としての環境の制約が経済活動に内部化されている。このような内部化は、不可避的に環境の社会的な利用効率を高めることになる。それは一般に、自然環境の保存的な利用、エネルギーや物質的資源の節約、あるいは廃棄物の減少やリサイクル・リユースの活性化などを意味すると考えられるだろう。一見そのことは何の不思議さもないようだが、実はこれら全てがミクロ的な環境・資源の利用効率であり限定された意味での効率であることに気づく必要がある。

すなわち、ここからは、ある企業が同じ生産を上げるのによりエネルギーを節約した生産技術を採用することや企業ないリサイクル率を上げたり、リサイクルしやすい製品に転換したりすること、消費者が浪費的な自動車の利用を回避したり、ゴミをリサイクルに回したりすることによる効率の増大が例として思う浮かぶ。社会的なある消費水準、あるいは人々の全体としての厚生水準を維持するための環境や資源の利用効率がこのような、個別効率の増大の結果としてとらえられるのに留まりがちなのである。

しかし、社会的な利用効率という視点でいけば、あるAという部面で利用されていたX量の資源が別のBという部面でおなじX量利用されるように変更されたとしても、もしそれによって社会的な厚生水準が増大すれば、それもまた一つの利用効率の増大である。これは、同じ社会的厚生水準を資源の利用部面を変更したことによって、より少い資源で実現できるようになることも意味する。

既存の企業や消費者がその内部的に環境や資源の利用効率を高めることは堅実だが絶対的な限界がある。しかし、環境や資源の利用のされ方の変更によるそれらの節約はもっと自由であり、社会のダイナミックな変革をもたらすものとなる。環境の限界が経済システムに浸透すればするほど、これらのマクロ的でダイナミックな効率化が社会を覆うようになっていく。

マクロ的な効率化が進行していく前提には、一つの生産単位がより高い生産性の水準で活動を行う必要があり、そのような企業活動の規模への選好がある。それは企業活動の社会的希少性の高さを確保できる水準でもあり、結局より小規模で生産性の高い企業あるいは企業活動の単位が全体としては優位になっていくことを意味している。社会的には、規模の経済が相対的に低下することを意味する。

この結果は経済活動における多様性の増大である。潜在的にあるいは顕在的に効率性の高い部面をもとめて、相対的に大きな経済活動の単位は花火のようにはじけていく。それは、企業の内部が多様な質の活動単位に分解し多様な生産物やサービスを生み出すようになることに、あるいは新しい多様な企業が次々とあらわれるとともに既存大企業が活動の縮小に追い込まれることになっていく。企業活動は、もともとエントロピー的な劣化の力に支配され、それに抗する力として企業家精神が発揮されているのだが、企業活動を陳腐化させる力が一層強まっていくのである。その結果が経済活動の質的な散逸なのである。

既存の企業は一般に、自らの規模を維持するための資金を償却費としてコスト扱いにできる。物理的にみれば、企業はその物的資本を常に維持することはできるのだが、経済的な陳腐化が補填を不可能なくらいに進行すれば企業は縮小せざるをえなくなる。効率の高い部面をとらえられない企業は陳腐化の波にさらわれ、それによって新しい企業のために環境や資源が解放されるのである。リストラクチャリングである。経済は、物的な規模の増大をできるだけ回避しながら人々の厚生水準を低下させないように活動の方向をダイナミックに変えていくだろう。そして、多様性こそ変化を規定しているものなのである。

多様性の増大は、環境制約に直面した経済システムの防御的反応である。それは、社会的な制御あるいは計画によって実現するものではない。経済社会システムの中心的組織、政府あるいは企業や消費者などを経済主体を代表する組織、さらに政党などの政治組織に求められることは大きくは次のようなものである。まず、このような多様性の増大という潜在的傾向の実現を阻害しないこと、阻害する因子を積極的に排除すること、促進するための対策、そしてこのようなダイナミックなプロセスの過程で大量失業などによって特定の人々の厚生水準が著しく低下しないような対策をとることである。

経済活動の多様性は、それを構成する個人そのものの多様性と並行して進行する。個人の多様性に対する積極的評価あるいは尊重こそ、経済活動の多様性を現実化する力の源泉である。そして、それは明らかに個性そのものの重視である。

成長型経済システムにおいても多様性と個性が役割を果していないということではない。集団性の力と個性の力がそれぞれ発揮されることによってシステムは機能するのである。しかし、極相型経済システムにおいては、成長型経済システムに比べると多様性を支える個性の役割が著しく高くなるということである。個性を重視し評価しそれを育めるかが、この新しい社会システムの中で生き残るための条件になるのである。

このような変化は単に、企業などの経済活動の中に求められるだけではなく、それを支える社会全体に浸透していかなければならないものである。日本の社会は、相対的にみれば、個性よりも集団性を重視して来た。学校教育の中でも、個性を育てるよりも集団生活の中で生きていけるような人間を育てることに注意が払われてきたのである。集団に馴染むために変わり者でないような人間になること、それは自分の個性を自発的に抑制することを意味している。それは、また、日本企業の体質にもつながっている。集団の力が重視され、個性の役割が低く評価されてきた。

このような社会経済システムの中で、あらためて多様性と個性の役割を重視する方向に転換することは、大きな社会変革を意味すると考えるべきである。システムの質の変革が求められるようになってきているのである。

極相型経済システムが多様性と個性を重要な特質とするということは、生態系の特質とも対比させて考えることが可能である。経済システムと生態系は社会システムとして重要な類似性を持っている。すなわち、マクロ的な秩序形成原理とミクロ的な相対的に自立した主体による物的ネットワークの客観的な存在である。しかしそこには重要な差異もある。経済システムはその主体は多様な企業や組織として考えることはできたとしてもあくまでも中間システムのようなものであり、究極的個別主体は一人の人間である。これに対して、生態系は究極の主体そのものがさまざまな種の個体群からなっている。もちろん、その個体群は一つの種の個体からなっているのであるが、一つの種の個体群からだけ成立しているような生態系はない。生態系はどのような局所的なものであっても多様な種から形成されているのである。

生態系もその遷移の過程で多様性を変化させる。基本的には、遷移によって生態系が成熟すればするほど構成する種が増大するという意味で多様性は増加していく。しかし、一次遷移での初期の局面など特殊な状況を除けば生態系は複数の、二、三の種というよりももっと多数の種から構成されている。生態系は、特殊に隔離された状況でない限り大気と水の循環によって潜在的に多数の種がその構成要素となりうる可能性をもっているのである。すなわち、生態系は一様性から多様性に変化するとか、その間を揺らぐとかいうのではなく、本質的に多様性をかかえ込んでいるのである。

生命の長い歴史の中で、生命はみずからを維持するためにつねに種の多様性を確保してきた。その意味は、単純なものに還元することはできないだろう。しかし、生命が常に物理的自然の制約にさらされてきたことが、その多様性を維持する一つの重要な理由になっていることは明らかである。生物主体の多様な相互依存関係の中で物理的自然の制約が厳しければ厳しいほど、種間関係の多様性によって与えられた条件の中でもっとも高いエネルギーの利用を実現させようとしてきたのである。

この意味では、経済システムと生態系は、異なった二つの型の社会システムがあるというより構成主体の多様性のレベルの異なった二つの社会システムとしてとらえることもできる。極相型経済システムはそれまでの経済システムに比べ多様性のレベルを一つ上昇させた社会システムであり、それはまた生態系のような高いレベルの多様性を持ったシステムへの発展であるといえる。

ただ、この多様生は無秩序に多くの種や個性から成立していることを意味しているわけではない。秩序をともなう多様性なのである。秩序とは、社会システムとしてのそれであり、システム全体としてのマクロ的な目的性と個別主体のミクロ的な目的性という二つの秩序原理が貫かれているのである。この意味では、多様性もまた限界をもっていると考えてよいだろう。生態系においては自然選択の力が働き、社会においてもまた個人の自由には限界がある。しかし、日本の社会の今の局面においては、多様性と個性の限界が問題になる状況ではないことを認めなければならない。多様性の個性の解放の側面こそが主要な側面なのである。

8.システムの局所化

多様性と並んでシステムが局所化する傾向もまた認識できる。局所化とはシステムがより小さな単位で一つの相対的に完結した部分システム化を実現しようとする傾向が極相型経済システムにおいてはあらわれてくるのである。もちろんこの自己完結性は相対的なものであって絶対的なものではない。局所化(localization)は環境や資源の厳しい状況のもとで、システムがそれらの利用効率を高めるためのもう一つの道なのである。

(構造が大きければ大きいほど環境と資源を浪費する:規模の収穫性の限界→多様性と同じ原因)

(グローバル、あるいは全体的な問題を解決するために、そのまま全体的な問題として解決しようとしても明解な解決策があらわれない。このとき、問題そのものを局所化する必要があらわれて、このような解決を追求していくことによって、システムの局所化が進行するのである)

(東京一極集中をどう考えるかが難しい)


《この章未完》